第15章 夏の終わりと、新しい風
八月も終わりに近づき、朝夕に少しずつ涼しい風が吹くようになった。
Lunetteのテラス席に置いた小さな風鈴が、軽やかな音を立てる。真澄はその音を聞きながら、朝の準備をしていた。コーヒー豆を挽く音と風鈴の音が混ざり合うのが、最近のお気に入りだ。
「夏も、もう終わりね……」
独り言のように呟きながら、季節の変わり目に合う新しいタルトを考えていた。桃が終わり、梨や葡萄が美味しくなる頃。甘さの中に少し酸味を効かせたものがいいかもしれない。
午前中、山田老人が来て、いつものブラックコーヒーを飲んだ後、珍しく真剣な顔で言った。
「真澄さん、拓也のやつとどうだい?」
「……順調、だと思います。ゆっくりだけど」
「よかった。君がまた誰かを好きになれる日が来るなんて、爺さんは嬉しくてね」
山田老人の言葉に、真澄は胸が熱くなった。
この人は、ずっと自分のことを娘のように見てくれていたのだと改めて実感した。
午後、拓也が書店の休憩時間に顔を出した。最近は週に二、三回、必ず店に寄るようになっていた。
「新しいメニュー、考えてるの?」
「ええ。夏の終わりから秋向けに、梨のタルトはどうかなって。少しスパイスを効かせて」
拓也は試作品を一口食べて、目を細めた。
「美味しい。これ、絶対売れる。……僕の書店でも置きたいな」
「またコラボ? 欲張りね」
「君のものなら、全部欲しくなるよ」
真澄は笑いながら拓也の肩を軽く叩いた。でも、その言葉が胸に染みるのは止められなかった。
夕方、彩花と遥が同時に来て、店内が少し賑やかになった。
彩花は最近夫と話し合いを重ねているらしく、少し前向きな表情を見せていた。遥は大学で文学サークルの話をして、真澄を笑わせた。
閉店後、真澄と拓也は二人で近所の公園を軽く散歩した。
夏の終わり特有の、名残惜しい風が吹いている。
「真澄さん」
「ん?」
「秋になったら、旅行に行かない? 近場でいいんだけど。一泊二日くらい」
真澄は少し驚いて拓也を見た。
一瞬迷ったが、ゆっくりと頷いた。
「……いいわよ。行ってみましょうか」
拓也の顔が嬉しそうに緩んだ。その表情を見ていると、真澄も自然と笑顔になる。
家に帰ってから、真澄は二階の部屋でカレンダーを見ながら、そっと息を吐いた。
夏が終わろうとしている。
でも、自分の新しい季節は、まだ始まったばかりのように感じた。
風鈴の音が、静かに夜の店内に響いていた。




