【冠崎家の朝】
冠崎家。
朝のリビングには、いつもの空気が流れていた。
真奈と杏奈は、すでに起きていた。
由美は台所で朝食の準備をしている。
修一は、いつもの席で新聞を広げ、コーヒーを飲んでいた。
ただ。
その顔には、隠しきれない困惑が滲んでいた。
真奈
「……。」
杏奈
「……。」
二人は黙って、修一を見ていた。
しばらくして。
真奈
「……父さん。」
修一
「なんだ?」
真奈
「一つ聞いてもいい?」
修一
「だから、なんだ?」
真奈
「……新聞。」
修一
「新聞がどうした。」
真奈
「反対からでも読めたんだね。」
修一
「……ああ。」
修一は何気なく頷いた。
そして。
修一
「……ん?」
真奈
「だから、父さんは反対からも読めるんだね。文字。」
修一
「は?」
修一は、手元の新聞を見た。
新聞は、見事に逆さまだった。
修一
「……。」
杏奈
「悩む気持ちも、困惑する気持ちも分かるけど。」
杏奈は静かにコーヒーを飲む。
杏奈
「陸斗と隼人の餌になるわよ。」
修一
「分かっている。」
修一は大人しく新聞を元に戻した。
その瞬間。
陸斗
「父さんの頭脳には恐れ入るよ。」
廊下から、陸斗が現れた。
陸斗
「俺には無理だ。新聞を逆さまに読むなんて。」
隼人
「それができたら、バスケで世界一取れる。」
隼人も続いて入ってくる。
真奈・杏奈
「遅かったな。」
二人は同時に修一を見る。
修一
「……。」
修一は静かに新聞を畳んだ。
修一
「仕事へ行く。」
陸斗
「逃げた。」
隼人
「完全に逃げた。」
修一
「仕事だ。」
真奈
「父さん。」
修一
「なんだ。」
真奈
「新聞は置いていきなよ。今日は逆さまだから。」
修一
「……。」
由美
「クスクス。」
台所から、由美が笑いながら顔を出す。
由美
「行ってらっしゃい。気をつけて。」
修一
「……ああ。」
修一は鞄を持つ。
だが、玄関へ向かう直前で足を止めた。
修一
「真奈。」
真奈
「何?」
修一
「胡桃は。」
杏奈
「もうそろそろ起きるわよ。今日から仕事よ。怪我も心配ないし。」
修一
「……そうか。」
杏奈
「そろそろ動く頃かしら?」
空気が少し変わる。
杏奈
「神崎組も、こちらを調べ始めてるはず。」
真奈
「玲央なら調べるだろうね。」
修一
「ああ。」
修一の表情から、先ほどまでの困惑が消える。
総帥の顔になる。
修一
「だから、こちらから連絡する。」
陸斗
「玲央に?」
修一
「ああ。」
隼人
「説明するのか?」
修一
「全ては話さない。」
修一は静かに言った。
修一
「だが、昨夜の依頼については確認する必要がある。」
真奈
「罠だった可能性が高い?」
修一
「高い。」
杏奈
「神崎組を狙ったのか、冠崎家を炙り出すためか。」
修一
「あるいは、その両方だ。」
一瞬、沈黙が落ちる。
その時。
階段の方から、足音が聞こえた。
胡桃
「おはよう~~~」
目を擦りながら寝ぼけた声。
髪を少し乱した胡桃が、リビングに入ってくる。
胡桃
「ん……?」
全員の視線が、胡桃に向いた。
胡桃
「え?」
真奈
「胡桃。」
胡桃
「なに~~?」
真奈
「スマホ鳴ってる。」
胡桃
「え?」
胡桃は慌ててスマホを見る。
画面には、通知が一つ。
氷室紫苑。
『昨日は、アイス美味かった。ありがとう』
胡桃
「……。」
一瞬、胡桃の頬がふわっと赤くなる。
胡桃
「……ふふ。」
その小さな笑いを。
真奈も。
杏奈も。
陸斗も。
隼人も。
修一も。
全員が見逃さなかった。
陸斗
「父さん。」
修一
「なんだ。」
陸斗
「新聞、また逆さまになるぞ。」
修一
「……仕事へ行く。」
隼人
「今度こそ逃げた。」
由美
「あらあら。」
胡桃
「え?え?何ですか?」
真奈
「胡桃。」
胡桃
「ん?。」
真奈
「返信するなら、落ち着いてからにしな。」
杏奈
「変な文章送らないようにね。」
胡桃
「へ、変な文章って何!?」
胡桃
「送らないから!!!」
隼人
「でも胡桃なら、間違えて送る可能性ある。」
胡桃
「ない!!!」
真奈
「ある。」
杏奈
「あるわね。」
胡桃
「えぇぇぇ!?」
朝の冠崎家に、いつもの騒がしさが戻る。
けれど。
修一は玄関へ向かいながら、スマホを取り出していた。
表示された番号を見つめる。
神崎玲央。
修一
「……さて。」
扉を開ける。
朝の光が差し込む。
修一
「こちらから、動くか。」




