【翌日・日中 知らない世界】
紫苑
「……お前は、怖くねぇのか。」
胡桃
「え?」
紫苑は、湖を見たまま言った。
紫苑
「俺が。」
胡桃
「……。」
紫苑
「俺は、お前が知ってるような普通の人間じゃねぇ。」
胡桃は少しだけ黙った。
そして、首を傾げる。
胡桃
「普通って、何ですか?」
紫苑
「……。」
紫苑は答えられなかった。
普通。
自分には縁のない言葉だった。
人を斬る。
命令を受ける。
暗い場所で生きる。
そんな自分が、胡桃の隣にいていいはずがない。
そう思っていた。
けれど。
胡桃は、まっすぐ紫苑を見た。
胡桃
「私は、氷室さんが危ない時に立ち向かったところを見ました。」
紫苑
「……。」
胡桃
「それで十分です。」
紫苑は何も言えなかった。
その言葉は、あまりにも真っ直ぐだった。
自分の過去も。
立場も。
血の匂いも。
胡桃は、全部を知らない。
それでも。
昨日の自分を見て、そう言った。
紫苑
「……変な女。」
胡桃
「えっ。また変って言いましたね。」
紫苑
「変だろ。」
胡桃
「むぅ……。」
胡桃は少し頬を膨らませた。
その時。
胡桃が紫苑の顔を見て、ふと目を瞬かせる。
胡桃
「……氷室さん。」
紫苑
「なんだ。」
胡桃
「また、難しい顔してます。」
紫苑
「してねぇ。」
胡桃
「してます。」
紫苑
「……。」
胡桃
「それに、怖いかって聞かれたら……。」
胡桃は少し考える。
胡桃
「昨日の異形は怖かったです。」
紫苑
「……。」
胡桃
「でも、氷室さんは怖くないです。」
紫苑は、ゆっくり胡桃を見る。
紫苑
「……なんで。」
胡桃
「だって、氷室さんは私を傷つけようとしてないからです。」
紫苑
「……。」
胡桃
「それに。」
胡桃
「氷室さん、ストロベリーアイス。美味しかったですか?」
紫苑
「……は?」
紫苑は視線を逸らした。
紫苑
「……意味分かんねぇ。」
胡桃
「でも、美味しかったでしょ?」
紫苑
「……。」
少し間を置いて。
紫苑
「……悪くなかった。」
胡桃
「ほら。」
胡桃は嬉しそうに笑った。
紫苑は、その笑顔を見る。
怖くない。
そう言われたことが、
胸の奥に静かに落ちていく。
紫苑
「……変な女。」
胡桃
「また言った!」
紫苑
「何回でも言う。」
胡桃
「ひどいです。」
紫苑の口元が、ほんの少しだけ緩んだ。




