【翌日・日中 同じ世界】
胡桃
「着きました。」
紫苑は顔を上げた。
目の前には、公園が広がっていた。
真ん中には、静かな湖。
水面が陽の光を受けて、きらきらと揺れている。
公園の周りには、木々や植木が並び、風が葉を揺らしていた。
子どもたちの笑い声。
誰かの話し声。
犬の鳴き声。
ベンチで休む人。
散歩をする老夫婦。
全部が、穏やかだった。
紫苑
「……。」
胡桃
「あっ。」
胡桃が、ちょうど木陰になっているベンチを見つける。
胡桃
「あそこに座りましょう。」
そう言って、紫苑の手首を引いて歩き出した。
紫苑
「お、おい。」
胡桃
「溶けちゃいますよ。」
紫苑
「……分かってる。」
ベンチに着くと、胡桃は先に腰を下ろした。
胡桃
「氷室さんも座って食べましょ!」
紫苑
「あっ……ああ。」
紫苑は少し戸惑いながら、胡桃の隣に座った。
二人で並んで、アイスを食べる。
胡桃は嬉しそうにチョコミントを口に運ぶ。
胡桃
「ん~~。やっぱり美味しいです。」
紫苑も、ストロベリーを一口食べた。
冷たい。
甘酸っぱい。
苺の香りが、ゆっくり広がる。
紫苑
「……。」
不思議な感覚だった。
昨日は、黒い霧の中にいた。
血の匂い。
歪んだ空気。
斬れない相手。
胡桃の腕から流れた赤。
それなのに今は。
湖のそばで、アイスを食べている。
隣には、胡桃がいる。
陽が当たっている。
風が吹いている。
子どもたちが笑っている。
紫苑の知っている世界とは、何もかもが違っていた。
同じ街。
同じ空の下。
なのに、まるで別の世界だった。
紫苑
「……不思議だ。」
胡桃
「え?」
紫苑は、湖を見たまま呟いた。
紫苑
「同じ世界なのに。」
胡桃は紫苑を見る。
紫苑
「俺がいた場所とは、全然違う。」
胡桃
「……。」
紫苑
「こんな場所が、普通にあるんだな。」
胡桃は少しだけ黙った。
そして、柔らかく笑う。
胡桃
「ありますよ。」
紫苑
「……。」
胡桃
「氷室さんが知らなかっただけで、ちゃんとあります。」
紫苑は、ゆっくり胡桃を見る。
胡桃
「こういう場所も。」
胡桃は湖の方を見る。
胡桃
「こういう時間も。」
それから、紫苑を見て笑った。
胡桃
「氷室さんが、アイスを食べていい時間も。」
紫苑
「……俺が?」
胡桃
「はい。」
紫苑
「……似合わねぇだろ。」
胡桃
「そんなことないです。」
紫苑
「どう見ても場違いだろ。」
胡桃
「最初はみんな初めてです。」
紫苑
「……。」
胡桃
「氷室さんは、今日初めてここに来ただけです。」
紫苑は何も言えなかった。
胡桃
「だから、場違いじゃないですよ。」
風が吹いた。
湖の水面が、きらきらと揺れる。
紫苑はもう一度、アイスを口に運んだ。
甘酸っぱい。
さっきより、少しだけ味が分かった気がした。
紫苑
「……そうか。」
胡桃
「はい。」
紫苑
「……。」
紫苑は、湖を見つめる。
胸の奥が、静かだった。
いつもなら警戒する。
周囲を見る。
逃げ道を探す。
誰が敵か考える。
でも今は。
ただ、風の音が聞こえた。
子どもたちの笑い声が聞こえた。
隣で胡桃がアイスを食べる音が聞こえた。
それだけだった。
紫苑
「……悪くないな。」
胡桃
「え?」
紫苑
「こういうの。」
胡桃の顔が、ぱっと明るくなる。
胡桃
「ですよね!」
紫苑は少しだけ口元を緩めた。
胡桃
「あ、また笑いました。」
紫苑
「笑ってねぇ。」
胡桃
「笑いました。」
紫苑
「見間違いだ。」
胡桃
「ふふっ。」
紫苑は視線を逸らす。
でも、もう否定する力は弱かった。
湖の光が眩しかった。
胡桃の笑顔も、眩しかった。
だけど。
さっきまでのように、目を逸らしたい眩しさではなかった。




