【帰宅.....そして】
夜。
二台の車は、無事に冠崎家へ到着した。
真奈
「あ~~。長かった~。」
隼人
「寄り道し過ぎだろ!」
真奈
「いいじゃん。楽しかったろ?」
隼人
「ん!!」
隼人
「まっ……ま~な。」
隼人
「って! 誤魔化されないぞ!」
真奈
「アハハハハ!!!」
胡桃
「もぅ、お姉ちゃんったら。」
真奈
「いいじゃん。」
真奈
「胡桃も美味しかったろ?」
胡桃
「あそこ最高!!!」
胡桃
「今度も寄ろうね。」
真奈
「だろ?」
真奈は、へへへっと笑った。
由美
「ほらほら、荷物。」
陸斗
「くそ~~~。」
陸斗
「穴場は把握していたか~~。」
杏奈
「お姉ちゃんが知らないわけないでしょ。」
賑やかな声が、夜の冠崎家に戻ってくる。
荷物を持ち、
それぞれが家の中へ入ろうとした。
その時だった。
真奈が、一瞬だけ足を止めた。
雄一
「姉ちゃん?」
雄一も、すぐに顔を上げる。
雄一
「……ん。」
修一
「どうした。」
真奈
「下位か?」
修一も気配を探るように目を細める。
修一
「多分な。」
修一
「気配はそうだが……。」
真奈は、ほんの少し考えた。
それから、振り返る。
真奈
「隼人。」
隼人
「ああ。」
真奈
「杏奈。」
杏奈
「分かったわ。」
真奈
「胡桃。」
胡桃
「うん。」
真奈
「三人でいけるか?」
隼人
「任せろ!」
杏奈
「大丈夫よ。」
胡桃
「いける!」
真奈
「無理はするな。」
真奈
「何か異変があれば、すぐ知らせろ。」
由美
「気をつけて。」
修一
「頼んだぞ。」
胡桃は小さく頷いた。
杏奈が手をかざす。
淡い薄紫の光が、三人の足元に広がる。
次の瞬間。
三人の姿は、冠崎家の玄関先から消えた。
夜。
人気のない裏通り。
紫苑は、標的の動きを見ていた。
今回の依頼は、表には出せないものだった。
権力。
利権。
金。
表に出せない取引。
そういったものが絡んだ、汚れた依頼。
いつもの仕事だった。
いつものように終わるはずだった。
だが。
暗殺対象の傍にいたボディガードが、突然、上を向いたまま動かなくなった。
紫苑
「……?」
一瞬。
街灯が、ちかりと揺れる。
影が伸びた。
人の形をしていた男の身体が、不自然に痙攣する。
ゴキリ。
骨が軋むような音がした。
男の首が、ありえない角度で紫苑を向く。
紫苑
「……なんだ、てめぇ。」
男の口元が裂けた。
人ではない笑み。
次の瞬間、男の身体から黒い霧のようなものが溢れ出した。
紫苑は反射的に後ろへ跳ぶ。
黒い腕が、地面を抉った。
紫苑
「ちっ……!」
刃を抜く。
だが、斬った感触がない。
紫苑の刃は、黒い霧を裂いただけだった。
霧はすぐに集まり、再び形を作る。
紫苑
「……効かねぇのかよ。」
異形は、紫苑を見ていた。
まるで。
紫苑だけを狙っているように。
紫苑は後退する。
だが、異形の動きは速かった。
一瞬で距離を詰められる。
紫苑
「っ……!」
避けきれない。
黒い爪が、紫苑の胸元へ伸びた。
その時。
淡い光が、夜を走った。
紫苑
「――!」
目の前に、誰かが飛び込んでくる。
小さな背中。
淡い霊光。
紫苑の前に立ったその人物が、両手を広げた。
胡桃
「させない!!!」
黒い爪が迫る。
その寸前。
淡い桃色の霊糸が空中に広がり、異形の腕を絡め取った。
ギシッ。
異形の動きが止まる。
胡桃
「捕まえた……!」
その声に、紫苑の身体が固まった。
聞き覚えがあった。
忘れられるはずがなかった。
紫苑
「冠……崎?」
胡桃
「え?」
胡桃が振り向く。
視線が合った。
胡桃
「氷室……さん?」
一瞬。
時間が止まった。
紫苑
「お前……なんで……」
胡桃が何か言おうとした、その瞬間。
霊糸が大きく震えた。
異形が暴れ始める。
胡桃はすぐに前を向く。
胡桃
「これは、動けば動くほど締まる!」
霊糸が、異形の身体へ食い込んでいく。
胡桃
「逃がさない!」
紫苑
「おい!」
胡桃
「大丈夫!」
胡桃は紫苑を見ずに言った。
胡桃
「私は、やられない!」
その声は、震えていなかった。
次の瞬間。
淡い紫の結界が、周囲を包む。
杏奈
「胡桃、そのまま押さえて。」
胡桃
「うん!」
隼人
「さっすが胡桃。」
隼人が、胡桃の横を風のように抜ける。
隼人
「後は任せろ。」
二刀が抜かれた。
銀の軌跡が、夜を斬る。
隼人の動きは速かった。
紫苑の目でも、追いきれないほどに。
異形の身体が裂ける。
斬られた部分が、黒い霧となって散っていく。
紫苑
「……なんだよ、これ。」
人間の戦いではなかった。
裏社会の殺し合いでもない。
紫苑が知っている世界の外側にある戦いだった。
隼人
「杏奈!」
杏奈
「分かってる。」
結界がさらに狭まる。
逃げ場を潰すように、紫の光が異形を囲んだ。
だが。
異形の身体の一部が、霧にならずに残った。
それは蛇のようにうねり、胡桃へ向かって飛ぶ。
杏奈
「胡桃!」
隼人
「っ、まずい!」
結界が間に合わない。
それでも胡桃は、霊糸を放さなかった。
次の瞬間。
黒い残片が、胡桃の腕を掠めた。
赤い血が散る。
紫苑
「――っ!」
紫苑の中で、何かが切れた。
紫苑
「うわぁぁぁぁ!!!」
紫苑が飛び出そうとする。
だが。
白い霊糸が、紫苑の身体を縛った。
紫苑
「っ……!」
胡桃
「行ってはダメー!!!」
紫苑
「離せ!!!」
胡桃
「ダメよ!!!」
胡桃の声が、夜に響く。
胡桃
「残滓を受ける!」
胡桃
「氷室さんが触ったら、身体の中に入る!」
紫苑
「でも、お前……!」
胡桃
「大丈夫!」
胡桃は痛みに顔を歪めながらも、紫苑を見た。
胡桃
「私は大丈夫だから!」
紫苑
「……っ。」
動けなかった。
霊糸に縛られているからではない。
胡桃の腕から流れる血が、目に焼き付いて離れなかった。
自分を庇った。
自分のために、傷ついた。
その事実が、紫苑の胸を締め付けた。
その時。
隼人の刃が、残った黒い残片を斬り裂いた。
黒い霧が弾ける。
異形の気配が、完全に消えた。
隼人
「胡桃!!!」
杏奈
「胡桃!」
二人が駆け寄る。
胡桃
「大丈夫。かすり傷よ。」
胡桃は、少しだけ笑った。
胡桃
「残滓は飛ばした。」
杏奈が胡桃の腕に手をかざす。
淡い紫の光が、傷口を包む。
杏奈
「……大丈夫。」
杏奈
「残滓はない。」
杏奈は小さく息を吐いた。
杏奈
「少し出血してるけど、かすり傷よ。」
隼人
「はぁ……。」
隼人
「ビビらせんなよ。」
胡桃
「ごめん。」
隼人
「謝るな。」
隼人
「よく止めた。」
胡桃
「うん。」
隼人は、ふと紫苑を見る。
紫苑はまだ、その場に立ち尽くしていた。
隼人
「氷室?」
紫苑
「……ああ。」
隼人
「お前が、神崎組の?」
紫苑
「……そうだ。」
隼人は一瞬だけ紫苑を見る。
責めるでもなく。
問い詰めるでもなく。
ただ、状況を確認するように。
隼人
「そうか。」
遠くから、サイレンの音が聞こえ始めた。
隼人
「すぐ戻れ。」
紫苑
「……。」
隼人
「警察が来るぞ。」
紫苑は動かなかった。
視線は、胡桃の腕に向いたままだった。
胡桃
「氷室さん……?」
紫苑
「……。」
隼人
「……。」
隼人は杏奈と顔を見合わせた。
杏奈も、何も言わない。
隼人
「ふ~~~。」
隼人がため息をついた、その時。
別の足音が近づいてきた。
玲央
「紫苑!」
玲央が駆け込んでくる。
そして、現場を見た。
消えかけた結界の残光。
胡桃の腕の傷。
動けなくなっている紫苑。
そして、冠崎家の三人。
玲央の表情が変わる。
玲央
「……冠崎家か?」
隼人
「ああ。」
玲央
「……何があった。」
隼人
「説明してる時間はない。」
サイレンが近づいてくる。
隼人は、紫苑を顎で示した。
隼人
「こいつ、動けてない。」
隼人
「連れて帰れ。」
玲央は紫苑を見る。
紫苑はまだ、胡桃を見ていた。
玲央
「……すまない。」
隼人
「謝る相手は俺じゃない。」
玲央は一瞬、胡桃を見る。
胡桃は小さく首を振った。
胡桃
「大丈夫です。」
その言葉に、紫苑の顔が歪む。
紫苑
「……大丈夫じゃねぇだろ。」
胡桃
「大丈夫です。」
胡桃は、少しだけ笑った。
胡桃
「氷室さんが無事で、良かった。」
紫苑は、何も言えなかった。
隼人
「行くぞ、胡桃。杏奈。」
杏奈
「ええ。」
胡桃
「はい。」
三人の姿が、淡い結界の光に包まれる。
紫苑
「待っ……」
言葉は、最後まで出なかった。
光が揺れる。
次の瞬間。
冠崎家の三人は、夜の中から消えた。
残されたのは、静かな裏通り。
近づくサイレン。
そして。
動けないままの紫苑と、玲央だけだった。
玲央
「紫苑。」
紫苑
「……。」
玲央
「戻るぞ。」
紫苑は、ようやく一歩を踏み出した。
だがその目は、
胡桃が消えた場所から離れなかった。




