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祓ノ血族(はらいのけつぞく)  作者: ハルヤ
【祓ノ血族】-本編-
121/193

【引き返せない者たち・前編】

病室。


荷物は、ほとんど片付いていた。


明日には退院。


そう告げられたはずなのに、

誰一人として、晴れた顔をしていなかった。


海斗

「……俺たち、どうする?」


ぽつりと落ちた声に、

病室の空気が止まる。


誰も、すぐには答えなかった。


紫苑

「…………。」


紫苑は、窓の外を見ていた。


夕方の光が、病室の床に細く伸びている。


紫苑

「……知らないままなら、まだ良かったのか。」


その声は、問いかけというより、

自分自身に向けたものだった。


「はっ。」


蓮が、小さく鼻で笑う。


「なんか気に食わねー。」


「性に合わねぇな。」


海斗

「何が?」


「全部だよ。」


「何も知らねぇまま助けられて、

何も知らねぇまま守られて、

何も知らねぇまま帰れって言われるのが。」


「……気に食わねぇ。」


鷹臣

「…………。」


鷹臣は、ベッドの背にもたれたまま目を伏せる。


鷹臣

「……知った所で、どうにかなるのか?」


低い声だった。


責めているわけではない。


ただ、現実を見ている声。


鷹臣

「俺たちは、何も知らない。」


鷹臣

「見えないものに対して、

どう構えればいいのかも分からない。」


鷹臣

「知れば強くなるわけじゃない。」


鷹臣

「知ったせいで、壊れる事もある。」


その言葉に、誰も反論しなかった。


一樹

「…………。」


一樹は腕を組んだまま、静かに口を開く。


一樹

「分からん。」


一樹

「情報が少なすぎる。」


一樹

「冠崎家が何を抱えているのか。

俺たちがどこまで踏み込めるのか。

踏み込んだ結果、何が起こるのか。」


一樹

「全部、未知数だ。」


海斗

「未知数って言われるとさぁ……」


海斗は苦く笑った。


海斗

「余計に怖くなるんだけど。」


誰も笑わなかった。


玲央

「…………。」


玲央は黙っていた。


組長である玲央が何かを言えば、

それが答えになる。


だからこそ、

簡単には言えなかった。


海斗

「玲央?」


玲央

「……俺は……。」


言いかけて、止まる。


言葉が出ない。


知らないままでいれば、

今まで通りの世界に戻れるのかもしれない。


だが、もう見てしまった。


血では説明できないもの。


傷では説明できない治癒。


普通ではあり得ない力。


そして。


自分たちを守るために、

当たり前のように傷ついていた冠崎家の姿。


玲央

「……俺は、まだ分からない。」


「玲央。」


玲央

「行くべきだとは思ってる。」


玲央

「でも、行くと言えば、

お前たち全員を巻き込む。」


玲央

「知らない方が良かったものを、

無理に知る事になるかもしれない。」


玲央

「俺一人の意地で、決めていい話じゃない。」


病室に、沈黙が落ちた。


その沈黙は重かった。


けれど、逃げるための沈黙ではなかった。


考えている。


迷っている。


恐れている。


それでも、誰一人として、

「忘れよう」とは言わなかった。


紫苑

「…………胡桃は。」


全員の視線が紫苑へ向く。


紫苑

「胡桃は、あの世界にいるんだろ。」


玲央

「……ああ。」


紫苑

「真奈も、杏奈も、冠崎家も。」


紫苑

「俺たちが知らない場所で、

ずっとあれを相手にしてきた。」


「…………。」


紫苑

「知らなかったから関係ない、で済むのか。」


紫苑

「……俺には、分からない。」


海斗

「紫苑が、分からないって言うの珍しいね。」


紫苑

「分からないものは、分からない。」


海斗

「だよねぇ……。」


海斗は天井を見上げる。


海斗

「俺も分かんないわ。」


一樹

「俺もだ。」


鷹臣

「……俺も、答えは出ていない。」


「俺は気に食わねぇ。それだけだ。」


玲央は、ゆっくり息を吐いた。


玲央

「……なら、今は決めない。」


「は?」


玲央

「明日、退院する。」


玲央

「外に出て、自分たちの目で見る。」


玲央

「それでもまだ、知りたいと思うなら……その時に決める。」


一樹

「保留か。」


玲央

「ああ。」


玲央

「逃げるための保留じゃない。」


玲央

「ちゃんと考えるための保留だ。」


誰も反対しなかった。


病室の外から、看護師の足音が聞こえる。


いつもの病院。


いつもの白い壁。


いつもの消毒液の匂い。


けれど。


もう、何もかもが、

今までと同じには見えなかった。


海斗

「……退院、か。」


「やっと外に出れるってのに、全然めでたくねぇな。」


鷹臣

「普通なら喜ぶ所だがな。」


一樹

「普通ではないからな。」


紫苑

「…………。」


玲央

「明日だ。」


玲央

「明日、外に出る。」


玲央

「それから考える。」


誰も頷かなかった。


けれど、誰も否定もしなかった。


答えは、まだ出ていない。


ただ一つだけ分かっているのは、

彼らがもう、何も知らなかった頃には戻れないということだった。


その時だった。


廊下の方から、

異様な音が聞こえた。


ズ……。


ズル……。


ズ……。


何かを引きずるような、

湿った音。


最初に反応したのは、鷹臣だった。


鷹臣

「…………?」


わずかに眉を寄せる。


「どうした? 鷹臣。」


鷹臣

「いや……。」


鷹臣は、病室の扉の方を見る。


鷹臣

「なんか、変な音してないか?」


「は? いや?」


海斗

「何も聞こえないけど。」


一樹

「…………。」


一樹も耳を澄ませるが、

聞こえるのは病院特有の生活音だけだった。


遠くのナースコール。


廊下を歩くスリッパの音。


誰かの話し声。


鷹臣

「いや……廊下の方から、何かが引きずられてるような……。」


玲央が、ゆっくりと立ち上がる。


玲央

「見てくる。」


扉を開ける。


廊下には、看護師がいた。


患者がいた。


付き添いらしき人影もある。


白い壁。


消毒液の匂い。


いつもの病院の風景。


何も、変わったものはない。


玲央は廊下を見渡し、病室へ戻る。


玲央

「何もないぞ。」


玲央

「気のせいじゃないか?」


鷹臣

「……そっか。」


鷹臣は、少しだけ間を置いてから頷いた。


鷹臣

「なら、いいんだ。」


海斗

「おい~~。怖いこと言うなよ~~。」


一樹

「ビビったのか?」


海斗

「んなわけねーだろ!?」


「顔、引きつってんぞ。」


海斗

「引きつってねぇ!」


病室に、笑い声が響く。


ほんの少しだけ、空気が緩んだ。


けれど。


鷹臣だけは、笑わなかった。


扉の向こう。


誰もいないはずの廊下の奥を、

静かに見つめていた。

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