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オリエット伯爵の跡取り息子  作者: あだち
第十二章 果たされる約束ごと
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十月裁判

 妖精の見届ける誓約は、何も口止めに限るものではない。

 その本旨は、“決して破られない”ということにある。



 ***



 窓の一つもなく、壁も床も天井も、黒大理石で覆われた場所だった。


「開廷の前に、証人へ警告する」


 案内のために腕を貸していた仮面の役人が目隠しを外すなり、セシルはその天井からつるされたシャンデリア近くに揺らめく女の姿に釘付けになっていた。

 隈のういた緑の目に映るそれは、冷ややかな金色の目と尖った耳、布を巻き付けて作ったような古代の衣装に身を包み、そしてその手には天秤と、抜き身の剣が掲げられていた。


「古来よりこの法廷においては、居並ぶ四精霊、誓約に従う妖精、そして王家の“目”が、裏切り者の偽証を断じて見逃さず、瞬時に裁くことを心に留めておくように」


 国王の声が、天井を見上げたままのセシルの耳に響く。妖精の剣が鈍く光ったような気がして、セシルの背には冷たいものが伝った。

 生理的な恐怖を抱えながら、御前での礼を欠いた態度を取り繕うように慌てて正面に目を向ける。


「……この場において話すことに、一切の嘘偽りのないことを、ここに宣誓いたします……」

「同じく、宣誓いたします」


 続いたアレックスの低い声が冷静そのもので、はたしてこの女神のような、幽霊のような妖精の姿を見ているのは自分だけかと疑いそうになった。


 兄弟はこの日、王宮についてからはそれぞれ別の部屋で待機させられ、別の案内人によって同時にこの場所へ連れてこられていた。


 内装と同じ冷たい黒大理石の椅子に腰掛けることを許されると、セシルは自分たちが足をつける床より三段高いところに設えられた席に座る国王と、その隣に掛ける蒼白の王妃を認めた。その二人を中心に据えて、ぐるりと一室を囲って腰掛けているのは王太子夫妻のほか、判事を務める六貴族の当主たちである。


 彼らとセシル達の間には無人の証言台が置かれ、この広々とした部屋が法廷であることを示していた。


 異様なのは、判事席の背後の壁に証言台を映すように丸く大きな鏡が掛けられていたことだった。そこに移った極彩色に気が付いてセシルが己の背後を振り返れば、誰が描いたのか、火、水、土、風の象徴を表す動物、竜、医学の象徴とされる双頭の蛇、そして、王冠を両手で掲げてこちらを見つめてくる女、という巨大な絵画が飾られていた。


(……ここが、秘匿された法廷)


 魔法使いの子孫であっても、当主以外が場所を知ることは許されていない。

 仮面をつけた案内役にそう言われたセシルは、王宮であてがわれた一人きりの控室を出てからというもの、歩いている間はずっと視界を黒い布でふさがれていた。その間は不思議と、少ない妖精の気配すら全く拾えなくなっていた。


 セシルは疲労の浮かぶ目でひっそりともう一度天井近くを見上げる。国王の言葉から察するに、セシルに見える妖精以外にも、四精霊の魔法が偽証を見破る役目を果たしていることが予想できた。 


 王家の“目”、フレイン公爵がどこに控えているのかは、セシルにも、そしておそらくは王家の四人を除いたすべての出廷者にも分からないままであると推測できた。


 国王の目が、黒い大理石の壁の一角、真鍮の取っ手が付いた扉へと向けられる。


「一人目の被告人をこれへ」


 顔を仮面で隠した兵が動く。


 “ブランデン王国六貴族の特別背信に係る裁判”。


 国内での通常の裁判であれば、国王は議会に選任された裁判長に己の裁判権を委任する。

 だが、この法廷においては国王自らが裁判長を務める。年単位で見てもほとんど開かれない、稀有で、歴史あるこの裁判の――それこそ建国前から実態として存在している――正式な名称を知る人間は少ない。


 もとより人の口の端に上らないうえ、記録は厳重に隠され、そしてその裁判を知っている数少ない者のほとんどが俗称で呼ぶためだ。


「本日これより、ロッドフォード家使用人エリック・ジョナの裁判から開廷する」


 戦乱に明け暮れた大昔には、問答無用で身内の裏切り者を処刑する場であった。

 天秤の皿が微かに揺れる。天井に向けられていた妖精の剣は証言台へと構えられ、そこで動きを止めた。


(ああ、どうかどうか、神様お願いします)


 時代が変わった今でも、王国法に縛られない特別法廷。王家と王国、その規律に反した魔法使いとその一味を裁く“十月裁判”。


 セシルは顔を隠した役人に連れられた茶色い髪の従者の後頭部を見つめながら、いつかのように都合よく神に祈った。



 ***



「――よって、エデにおいての盗賊失踪事件については無関係と結論付け、その審理を省略することを提案する。また、アラン・バーティミオンの屋敷にて発見された“妖精の誓約書”により、被告人の主であるロッドフォード家への裏切りが確認された、が」


 開廷して数十分。

 父王の横に移動して進行を務め始めたレナードの淡々とした声に、セシルは肩の力を抜いては、“裏切り”という言葉にまた強張らせた。

 エリックが入室してからこのときまでの間に、セシルは一度だけ証言台に立ち、エデの町に泊まった夜の出来事についてアレックスと交代で証言した。


 エリックが顔を隠した兵と共に被告人席へ下がり、代わってセシルが証言台に立ってもなお、妖精の剣は証言台の人間、すなわちセシルやアレックスへと向けられた。被告人への裁きではなく、あくまで虚偽証言への対策であるからだ。


 幸い、ダンリール城内でセシルとアレックスが分断されたことや、城に通じる鍵の不正な取得など、エリックの罪を重くする事実については欠片も聞かれなかった。

 兄弟はありのままの事実を、言葉少なに語るのみで、非友好的な判事役の諸侯も興味がないのか、ろくに突っかかっては来なかった。


「本件についても、人命を軽んじる不法な魔法利用によって遠方の親族を人質とする旨が誓約書に明記されていたこと、また妖精の立ち会う誓約そのものがアラン・バーティミオン一方に対して明らかに有利となる状況で結ばれたと推測するに十分であるなどの諸事情を踏まえ、当法廷は、被告人が拒絶しようのない脅迫にさらされていた状態にあったとして、情状酌量の余地が認められると判断した」


 レナードの青い目が証言台のエリックのもとへ向けられる。


「異存はないか」


 余計なことを言うなと固唾をのんで見守るセシルの前で、エリックは小さく肯定した。

 裁判長席の前に置かれていた金属製の槌が振られて高い音が鳴る。水面に波が広がるように伝播して、撫でられたセシルの膝の上の拳が固くなった。


「被告人、エリック・ジョナへ、主家への重要報告義務違反と守秘義務違反により、罰金三千グレンの支払いを命ずる。――また、事前の申し出により、これをオリエット伯爵子息セシル・ロッドフォードが保証人として納付することを許可する」


 国王の声が朗々と響き渡るや否や、エリックの脳天を狙っていたかのような妖精の剣がすいと上を向く。セシルは細く息を吐くと同時に、振り返ったエリックの驚いたような目とかち合った。

 裁判長たる国王への一礼をしろと小さく手を振りながら、セシルは己が主人としての責任を果たすことを微塵も期待されていなかったようで悲しいような、少し腹立たしいような気がした。


 これでエリックは自由の身だ。肩を固定する包帯は痛々しいが、セシルが納付書に署名をすれば、あとは怪我の治りを待って元の生活に復帰できる。セシルの脳裏に『倅をくれぐれもよろしくお願いします』と伝えてきたディフレッドの顔が浮かんだ。


(……そう、肩の怪我が、治れば)


 ケルピーの顎に砕かれた肩は、痛みは抑えられても完治には時間がかかる。

 エネクタリア家が秘薬を調合すれば早いが、戦争中でもない限り、そんなものは同等の貴族か王家のためにしか用意されない。数日前にユニコーンの角に腹部を貫かれたエネクタリア家当主本人は家族が治療にあたったのか、大怪我の直後とは思えない涼しい顔で判事席に座っていたが。


(……)


 エリックが退廷すると、「ついで」とレナードの進行が再開される。


 法廷で複数人が同日に裁かれるとき、身分の低い順に審理が進められるのが習わしだった。セシルは真鍮の取っ手が付いた扉を緊張と恐怖で見つめた。


「第二の被告人、アラン・バーティミオンについて、だが……」


 それまでの用意してきたような言葉運びから一転して、レナードの声が本人の咳払いで中断される。戸惑いはセシルのみではなかったのか、人の少ない大法廷の空気が僅かに揺らいだようにも感じられた。


「……失礼、アラン・バーティミオンの罪状は、王国の倫理、道徳に反する魔法使用とオリエット伯爵の二人の子息への監禁、及びエリック・ジョナとフレイン公爵夫人への恐喝、だが」


 セシルは、法廷に被告人が入ってこないまま、王太子が裁判を進めていることを不思議に思った。


(羊皮紙はローズ様の分も証拠として提出されているけど、ここで叔父さんがあの人の出生について洗いざらい話しちゃったら一巻の終わりだ……)


 妖精の誓約の文中には、叔父はローズが誓約を破らない限り、その秘密を口にしないことが明記されていた。その羊皮紙にかけられた魔法は、立ち会った妖精がこの世に存在する限り有効であるから、叔父の口からは万一にも漏れることはない筈である。


 自暴自棄になった叔父が、制裁を承知で誓約を破らない限りは。


 緊張を隠せないセシルの様子に構わず、レナードは父国王と目配せをすると、途切れていた言葉の先をつづけた。幾分かの苦々しさを声音に乗せて。


「被告人は、監視状態にあった自宅より行方知れずとなっていることを報告する。先程入った情報によれば、自宅には長女と使用人たちは残されていたが、全員被告人との接触なしとのこと」


 場がはっきりとざわついた。貴族たち同様セシルも目を見開き、レナードと、次いで父伯爵の顔を見た。

 だが、それよりさらにセシルを混乱に陥れたのは、そこから「この件において」と続けられた言葉だった。進行役の青い目は険しくセシル達のいる証人者席へと向けられていた。


「事前通告のない質問となるが、昨夜、最後に被告人と面会したアレックス・ロッドフォードは証言台へ」

「っ!?」


 セシルはまさかという思いで隣の弟に視線を向けた。


 見られた弟は俯いていた顔を躊躇いなく上げた。相変わらず涼しい顔で、声もなくわななく兄のことなど見えていないかのような、憎らしい態度であった。



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