嘘偽りなき証言
セシルの混乱をよそに、アレックスは「はい」と静かに返事をして進み出た。その声も足どりも、一切の動揺を感じさせないものだった。
「昨夜、アラン・バーテミィオンは兵の厳重な監視下のもと、外部との一切の面会を禁じていたはず。その中で、なぜ、どのようにして会ったのか、そしてそこで何があったのか、その仔細をここで述べてみよ」
ひたと前を向いて微動だにしないアレックスの背後で、セシルは大きく目を見開いてぽかんと絶句していた。――バーティミオン家の白い屋敷から解放された昨夜、自宅の書庫にこもりきりだったセシルには寝耳に水だった。
空中に漂っていた女妖精が、切っ先をアレックスに向ける。アレックスもすこし視線を上げればそれは見えるだろうに、まるで何も視界に映っていないかのように落ち着き払っていた。
「……面会禁止の中で彼に会いに行ったのは、今回の事件の大元ともなった父のことも含め、聞きたいことがあったからです。父のことがあったため、同行してきた見張りには申し訳ないながらに、気絶してもらいました」
「妖精の魔法か」
「いいえ、アラン氏が作っていた睡眠導入効果のあるお茶で。……この件に関しては、深く反省するばかりです」
幾人かの諸侯から咎めるような声があがったところで「まぁまぁ」と口を挟んだのは、丸く突き出た腹部に好々爺のような顔を乗せたキークロック家当主、ベグノア辺境伯であった。
「オリエット伯爵本人の生みの母君については、我々一同知ることではありますが、当時それをできうる限り隠そうとした先代伯爵夫妻の心情も察するにあまりあるとして、ともに世間には口を閉ざしたこと。陛下の用意された見張りとはいえ、彼が不必要に一兵卒に聞かれたくないとしてとった行動は、わからんでもないでしょう。妖精魔法ばかり警戒していたこちらの落ち度でもありましょう」
「マーカス殿、それではあまりにも……!」
「それより、ですよ」
フィックマロー子爵の抗議をいなして、マーカスと呼ばれた辺境伯は細められた目を証言台の人間に向けた。
「そのあと、きみは被告人を逃がしたのですか?」
「いいえ」
「では、殺したのですか?」
法廷はしんと静まり返った。
誰かが喉を上下させた音がしたように、セシルには感じられた。あるいは、無意識の自分自身から発せられたのか。
「いいえ」
短い答えのあとに、起伏のない声で先が続けられた。
「わたしは一切、叔父には何もしていません。話が終わるとそのまま部屋を出ましたから、アラン氏の行方は、わたしのあずかり知らないところです」
再びの静寂の中で、銀色の剣はぴくりとも動かなかった。
精霊たちも何かしらの反応をそれぞれの魔法使いの末裔に示したのか、固い表情のままのアルバート・ロッドフォード同様、視線を国王に向けるのみで、何も発さなかった。
人の少ない法廷の端から端を見回した国王の目が、ややあって息子レナードへと向けられる。
「……見張りへの危害については追って伯爵家に沙汰を出す。席へと戻ってよろしい」
妖精の剣が何事もなかったかのように上を向いたとき、セシルは遠目に見える父親の肩が僅かに揺れたように見えた。
(……叔父さんが、行方不明)
国王が諸侯へと魔法による捜索指示を出す。精霊使いである四家が険しい顔で頷くのを、セシルはどこか釈然としない気持ちで見ていた。国王からは、一族を監督する当主への責任として、オリエット伯爵家への罰金が言い渡された。
甘いんじゃないか、という誰かのぼやきを、王太子の咳払いが払いのける。「本来なら謹慎を言い渡すところだが、卿にも早急にバーティミオンを探してもらう責務がある」と厳しい声音で言い添えられたのを、セシルは上の空で聞いていた。
――スカーレットをあの屋敷に置いて、逃亡?
隣の席に戻ってきたアレックスの横顔を盗み見ても、セシルには何も読み取れなかった。
消えた叔父への疑念も、証言からの解放の安堵も。
しかし、セシルの頭はそのことばかりを気にしてはいられなかった。
「……続いて、第三に」
セシルの意識が正面へと引き付けられる。どくん、と大きく鼓動が波打った。嫌な脈動だった。
「フレイン公爵夫人、ローズ・エスカティードの裁判へと移る」
宣言したレナードの顔に表情はなかった。
国王が一瞬、ごく短い時間目を閉じる。隣で人形のように動かない王妃が呼吸をしているのかどうか、証人席からはわからなかった。
誰もいないはずのセシルの背後の壁から感じたため息の気配が錯覚だったのか、それともセシルの緊張感が七人目の判事の隠された気配を拾ったのかは定かでない。
ただ、開廷から一言も言葉を発していない王太子妃クリステだけが、いつものように扇を揺らめかせていた。
***
最初にそれが――娘が人の心を読んでいると母親に伝わったのがいつだったのか、女はよく知らない。
いつ周囲の兄弟たちと自分との違いに気が付いたのか、女はそれもよく覚えていない。
ただ、母が自分を、罪の子を見るとき、すました表情の下で恐怖と罪悪感に喘いでいるという事実だけが、常にそこにあった。
証言台に立つと、ちょうど鏡に映る自分の顔と、判事席の面々の後頭部が見えた。
舞踏会のときとは違う、王太子の冷たい声が響く。案内に従い、迷いのない足取りで証言台へと立った女の耳にも新鮮だった。
「フレイン公爵夫人、ローズ・エスカティードにおいては、オリエット伯爵に代理管理を任せたダンリール城への無断侵入、そこでのオリエット伯爵子息殺害未遂容疑、現地の調査で判明した妖精マンドレイクを使ったジョン・ログスター殺害未遂容疑、エデにおける盗賊失踪事件への関与の疑い、そしてヴィレイ侯爵ロナルド・エネクタリア殿への殺害未遂と、その後逃亡先での人質監禁の疑いがかかっている」
国王の隣に座る母の青白い顔を見つめて、そこにいつも以上の焦燥を確認して、自分の企みの破綻を女は自覚した。
最後まで、自分は何一つやり遂げられなかったと。
(アレックスの、ばか)
ローズ、おまえは本当に、ばかだ。
背後の証人席の男をけなしたつもりで、そう自嘲する。
――結局、アラン・バーティミオンに命じられたことも、自分自身で決意したことも、何一つ満足にやり遂げられなかった。
ただ、母親がまだ王妃の位置に座っていること、国王と王太子が頻繁に気にしている大きな絵画の向こうに“夫”がいるらしいことが、――鏡の役割がようやく読めたと同時に、彼が本来の役目をまだ担っていられることが、ローズの心を穏やかにさせた。
馴染み深い、諦念にも似た安寧だった。
「バーティミオンの悪意が明らかとなったこと、街へ立ち寄った記録が確認できない等により、盗賊失踪事件においては関与なしとの結論が出た。またダンリールでの伯爵家兄弟とログスター氏への殺害未遂に関しても、この犯行を夫人に強制したと推測できる“妖精の誓約書”の存在が発見されている。これは夫人の秘密を口外しないことを条件にバーティミオンの指示に従うとする内容で、ジョナ氏同様の脅迫性が認められると同時に――」
向けられた青い双眸から、咄嗟に自分のそれを逸らす。先祖返りだろうとかつて“父”に言われた紫色を隠すように。
「“夫人の秘密”の違法性の有無もまた、この審理の焦点になるものとする。……まだ、黙秘を続けるつもりか」
苦々し気な視線が、一瞬、己の背後の壁の絵に向いたのを感じた。隠れているだろう公爵には、これをうまくごまかすことぐらい、王妃のためにやってもらいたいところだった。ローズはそ知らぬ体で王太子に視線を戻す。
「……また、ヴィレイ侯爵への妖精利用による襲撃は、バーティミオンによる指示ではないという調査結果となった」
侯爵はわずかにも表情を動かさなかった。
ローズはかすかに眉を顰めて、心の中で苦笑する。申し訳ないことだった。巻き込んだ侯爵本人には勿論、この一件がある限り、国王は“娘”を庇いきれない。
皮肉にも、それだけが唯一、ローズが固い意志のもとに実行したことでもあった。
母と自分のために。ひいては、王国と王家のために。
これまで、ろくに公務に携わらなかったというのに、だ。
「……ローズ、何か、説明や弁明は、ないのか」
言われて顔を引き締めた。返す言葉は、考えなくても決まっていた。
「黙秘いたします」
――王都に戻って思い知ったのは、まっすぐ見つめてくる緑の瞳が、もう自分に恋などしていないということ。
前を向いていればその眼差しを見なくてすむから、少し、気が楽だった。




