暴かれる公爵家
昼食のために一旦屋敷へ戻ったセシルは、父親がまだ帰っていないことを心配する母を撒くついでに、アレックスの不在を耳にして眉を顰めた。
「どこに行ったか、聞いてないの?」
伯爵夫人の肯定に、セシルは渋い顔で黙り込んだ。聞いていない、というより本人が誰にも教えなかったのだろうことは容易に想像がついた。
短時間で食べられるようにと頼んだ肉と野菜を挟んだパンを片手に、セシルは自室を見回し、窓から緑濃い庭を見下ろして、目的の姿が見えないことにひとつため息を吐いた。
きっと、アレックスの外出にはキーラが付いて行っている。そう結論付けて、パンをかじり、空いた片手で書物机の引き出しを開けた。
視線の先できらきらと光を反射するそれを、セシルは苦々しく見つめて、ごく、と昼食を飲み込んだ。
***
「で、わざわざ昨日から約束を取り付けてまで、弟君を探しに来たのですか」
昼の休憩も惜しんだセシルは、案内された応接室で二通目の手紙の宛先である相手と向かい合っていた。肘掛け椅子の前に置かれた上品な小テーブルには、露をにじませたグラスに水出しの茶が満たされていて、大きな琥珀のように水面をきらめかせている。
実質的な自宅謹慎を言い渡されているヘンリックは、眼鏡の奥からうんざりしたようにセシルの方を見遣ってきた。
「いえ、まさか。アレックスが見当たらないのは今朝からなので。……もしかしてこちらに寄っているのではないかとふと思って、お聞きした次第です」
謹慎の理由の一端がセシルにもあるからか、不仲の義母が王家に拘束されている気苦労からか、ヘンリックの態度は親身とはいい難かった。
「アレックス殿がローズ殿の寵愛のもと生活していたのは、ここではなくもう一つの別宅ですが、そこにもあたってみましょうか?」
「そこには、ヘンリック殿は普段行きますか?」
普段であれば、セシルはヘンリックの言葉選びから悪意を汲み取って憮然としたか、相手の不機嫌に恐縮したものだったが、セシルは本当にそこにアレックスが向かったかもしれないと思って逆に問い返した。相手の反応に当てが外れたヘンリックはいじわるな笑みを気まずげに引っ込めて「……いいえ、あそこは広さのかわりに、何かと不便な立地ですからね」とそっけなく返した。
「では、お気遣いには及びません。きっとアレックスもそこには用が無いでしょうから」
「なんです、彼は私を探しているのですか?」
ヘンリックの言葉に、セシルは「いえ」と短く返答を終わらせた。アレックスの行方も気がかりだが、本題はそこではない。
余計なことを、相手に知られたくなかったのもある。
「……今日お伺いに上がったのは、お聞きしたいことがあったからなのです。そちら、公爵家の秘密について」
グラスに手を伸ばしたヘンリックの眉が、不快気にぴくりと動いた。
「……秘密?」
「お心当たりはあるでしょう。ロッドフォード家がそうであるように、エスカティード家もそうだと……魔法使いの名残を受け継ぐ一族であると」
セシルが真面目な顔でそう言うと、途端にヘンリックは破顔し、はは、と声まで上げて笑った。
「いえ失礼、あまりにも険しいお顔でいらっしゃるから何かと身構えてしまって。なるほど、それで、此度はどのようなご相談で? 人探しの魔法か、それとも兄弟喧嘩を治す魔法がご入用ですか」
「え? いえ、弟はじぶんで探すので結構です。行く場所も限られているし、喧嘩なんて今さらなんで」
「……本気で向き合ってくれる遊び相手が必要なら、息子につけているナニーを呼びましょうか」
「え? ……あっ、ちょっ、誤魔化さないでください! こっちはちゃんと考えがあってこう話してるんですから!」
セシルは、相手がしらを切ろうとしていることに気が付いて声を荒げた。しかし、ヘンリックは眉間に深い皺を刻み、への字に歪んだ口から苦々し気に言葉を絞り出した。
「いったい、何の話ですか」
「あなたが魔法使いの子孫でないと、なんで僕たち一族の秘密を知っているのかの説明がつかないじゃありませんか。それに、あの夜だって僕と別れた後、礼拝堂に向かったでしょう、あそこで魔法使いの会議が行われていたことはわかっています。きっと、領地から動けない公爵ご本人に代わって、あなたが出席なさったんでしょう!」
眼鏡の奥で眇められた青紫の瞳を、セシルは睨むようにじっと見据えた。しかし、そこには僅かばかりの焦燥も見られなかった。対峙する二人の図式は、意地になる子どもと呆れる大人そのものである。
「すみませんが、他に話すことがないならお引き取り願えますか。義母のしたことを棚に上げて率直に言わせてもらうなら、ここであなたと秘密裏に会っていることが殿下の知るところになれば、ますます不信感を持たれてしまうので」
「……ここで僕が帰ったら、後日ヴィレイ侯爵のお手製の酒でもうちに届くんでしょうか」
めげないセシルの言葉に、とうとうヘンリックが立ち上がった。
「お帰りください。いったい何のつもりか知りませんが、それこそ義母のこともあり、こちらも忙しい身ですから」
「その、義理の母たるローズ様は認めましたよっ! 婚家が魔法使いの末裔であることを!」
見上げる緑の目と、見下ろす瑠璃の目が互いへきつく向けられる。ヘンリックの視線は険しく、客人への疎ましさを隠そうとしなくなっており、――ここにきてようやく、セシルは相手の動揺をそのまなざしの奥に捉えることができた。
「………ばかばかしいことを」
「ヘンリック殿、僕が今日ここにお邪魔したのは、こんなことを確認するためではありません。でも、僕がお聞きしたいことは、この秘密を踏まえたうえでの今の公爵閣下と夫人を含めた貴家のことです」
父親とその後妻に言葉が及んだとき、ヘンリックの頬が小さく震えた。セシルは、相手の防御が揺らいだこの時こそ攻め口と飛びついた。
「不思議でした。どうして、六家をはじめとした魔法使いの子孫は互いをそれと認識しているのに、エスカティード家だけが身を隠しているのか。それでいて、王家にだけはそれが伝わっているのか。でも、きっと理由は僕たちが非魔法使いの人々に隠される理由と、あまり変わらないのかもって、そう思ったら何もかもしっくりきたんです。父への聞き取りにあなたが同行したのも、あなたが僕の両親しか知らないことを知っていたのも、あの夜、僕と対峙した夜に初めてローズ様のしたことを知ったという話の意味も」
ヘンリックは何も言わないが、その手は、ゆっくりと楕円の眼鏡のつるにのびる。汚れも曇りも全くないレンズが、目障りだというように。
「僕が、ただの一度も口に出していなかった意思を知りえたのも。――眼鏡を、外さないでいただけますか」
セシルは、相手の目から視線を外さなかった。
薄いレンズ越しの目に、剣呑な敵意と、隠しようのない焦りが浮かび上がっていた。
セシルは、それを見据える自分の眼差しの険しさこそ無自覚だった。
――はるか昔、王を名乗る各地の領主たちが、己の勢力圏を広げるために、互いに相争っていた時代。
魔法使い達もまた、それぞれに仕える主君のために力をふるっていた。
ひとりの魔法使いは、あるときは精霊を操り、ある時は人心を読み、あるときは妖精――後の時代には魔物と呼ばれた凶悪なものも含めて、駆除し、時に交渉して味方とした。
森と山を支配した竜を封じた魔法使いも、そんな魔法使いの一人だった。
古の魔法使いが、一人でいくつもの力を使いこなしていたのも、その中には今の世に伝わっていない力があるのも、セシルたちにとっては当然の事実だった。
やがて平和な時代が訪れると、王家のもと、魔法使いの力は制限されて子孫たちに受け継がれるようになる。
ロッドフォードを名乗る魔法使いが、妖精との交渉にしか力を使えなくなったように。
エネクタリアを冠する魔法使いが、他の力と引き換えに人智を超えた効能の薬物を生み出せるように、グレノアが、リリーラインが、ノートンが、キークロックが、各々特定の精霊使役だけに特化していったように。
では、ダンリールの竜を封じたバラの紋章の魔法使い、エスカティード一族は、何を唯一の魔法として受け継いでいたのか。
「僕と話すとき、折に触れて眼鏡をはずしていたこと、気になっていたんです。随分几帳面だなって。でも、もしかしてそれが魔法を使うときの制約なんじゃないかって思い至ったら、いかにもそれらしいじゃないですか。対象と、障害なく目を合わせるっていう行為は」
セシルの脳裏で、アレックスの言葉が蘇る。
『弱ってるときは積極的に話せなくても、ろくに嘘なんて吐けないもんだよ。……自分の意思で、墓まで持っていくと決めた嘘でもない限り』
ヘンリックの口の堅さは、『口外してはならない』と植え付けられた義務であるに違いない。押しつけられた禁忌は、意志の固さでセシルの決意に劣る。
正解を言い当てられたとき、今のヘンリックが咄嗟に誤魔化せるはずもない。相手に、嘘を見抜く手段があると分かっているのなら、なおさらに。
「とっくに失われたと思っていました、相手の心を読める魔法使いの存在なんて。確かに、ほかの魔法使いの子孫には秘密にしておきたい力だと思います。それを切り札としたい、王家にとっても」
グラスの露が音もなく伝い落ち、テーブルを濡らした。
一呼吸の沈黙で決断を下したのは、目の前に立つヘンリックではなかった。
先ほど通ってきた扉が背後で音を立てて開き、セシルは「わっ」と肩を震わせた。目の前の男に集中しきっていて、背後に意識が全く向いていなかったからだ。さながら銃で撃たれでもしたかのように跳ねたセシルに、しかしヘンリックは口を開かなかった。
「んな、何!?」
椅子から転げ落ちそうな勢いで背後を振り返ったセシルは、戸口から進み入ってきた老人の姿を認めて一瞬きょとんとした。
白髪の下にはしわの深く刻まれた顔がじっとセシルを見つめており、その右目には華奢な銀縁のモノクルをつけていた。薄い灰色の上着は上品で仕立ても良く、身分の高さを示す着こなしであるが、引きずる右足の代わりというように、黒い杖を床についていた。
混乱しながらそこまで視線を滑らせて、セシルは首を傾げた。見覚えのない男だった。
ヘンリックの方に向き直りながら、「どなたですか」と正直に聞こうとしたときだった。
「お初にお目にかかる、セシル殿。挨拶が遅くなって申し訳ない、なにぶん、私のリンデン入りは極秘事項だったので、どうかご理解いただきたい」
老紳士に先に話しかけられて、セシルはまた首がもげそうな速さで振り返った。
「まず、妻の件で多大な迷惑をかけたことを、足を運んでいただいた場所でなんだが、謝らせていただきたい。真実は十月裁判で明かされることだろうが、我々は表立って貴殿の父上と同じ席に座ることはないから、これはご容赦願いたいのだ」
その言葉に、セシルの緑の目がみるみる見開かれていく。嵐のときの川のような速さで、意識が記憶を遡る。自分の“見覚えがない”は当てにならない。セシルはそれをまた実感した。
知っているではないか。この顔を、この人を見た日を、セシルはこの一年以上もの間、何度も思い出していたではないか、と。
ただ、その意識はもっぱらこの老紳士の隣に向けられていただけで。
セシルは呆然と口を開け、立ち上がった。
「こ」
さっきまで顔を突き合わせていたヘンリックが息を吐く気配を、今度は背中で感じていた。
「公爵、閣下……」
老人は、赤と青がよく混ぜられたような瞳で、柔和に微笑んで見せた。
その奥に、セシルは何も読み取ることができなかった。当然と言えば当然、相手はかつて軍部情報機関で働いていた、スパイ経験者である。
「ヘンリック、下がっていなさい。今や私より忙しい身であることは本当なのだから」
老人の視線がセシルから逸らされ、表情をこわばらせていた若者の方へ向けられる。
「……しかし、父上」
「ヘンリック、もはやお前のその顔では、この方を穏便に帰らせることなど不可能。そうは思わないか」
こうして、セシルの会談相手は午前も午後も急遽変わった。
「先程の話に、否定するべきところは見つからない。いやまいったものだ、少なくとも伝え聞く限りでは、国王夫妻とその後を継ぐご夫妻以外には、我々のことは秘匿され続けていたというのに」
杖を傍らに肘掛け椅子に腰を下ろしたクライス・エスカティードは、そこで人好きのする笑みをするりと脱いだ。
「で、一体なんのご用かな。私と、妻と、我が家族に関することだそうで」
鋭く見据えてくる冷やかな視線に、セシルは改めて椅子に座り直しながら、(なんで予定外の人とばっかり!)と、良いのだか悪いのだかわからない自分のめぐりあわせに心で泣いた。
泣いたが、それでも口を閉じるわけにはいかなかった。領地にいるはずの公爵が王都に到着していたとあっては、裁判までもう時間がない。
「不躾ながら、お聞きしたいことがあります……」
相手がモノクルを外す気配がないことを確認すると、セシルはかえってさっさと心を読んで、こちらの欲しい答えを手渡してほしいような気持ちになった。
「……閣下の、ご結婚のことで」
勿論、ぴくりとも笑わない相手から、そんな奇跡を引き出すのは不可能だと知りながら。




