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オリエット伯爵の跡取り息子  作者: あだち
第十一章 罪と秘密
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彼らの決意

 翌朝、テーブルの上に用意されたクッキーとミルクは、朝食を食べるセシルの目の前では誰も手をつけなかった。

 気まぐれな妖精が朝に同席しないことは、別に初めてではない。向かいに設けられた空席の背もたれを一瞥して、セシルはフォークと同時に左手で持っていた返信の手紙をテーブルに置いた。


「すぐ出かけるから、馬車の準備をして」


 廊下に出て、普段エリックに言いつけることを別の使用人に命じて部屋に戻ると、残しておいた皿とカップは空になっていた。

 部屋のすみから聞こえる軽い咀嚼音に混ざるささやきから、耳に慣れ親しんだ声は聞こえてこない。

 心の片隅に棘のような気がかりを残しながらも、セシルはそのまま外出の準備に取り掛かった。



 ***



「セシル、聞きたいことは色々あるが、まず昨日の手紙は一体なんなんだ」


 通いなれた薄暗い店内で落ち合った友人は、開口一番そう不審げに問いかけてきた。

 入店してすぐカウンターに寄り、店主から果実水の入ったグラスを受け取ると、壁際のテーブルに掛けていた相手の向かいに腰掛ける。まだ午前のうちだからか、店内にほかの客の姿はない。


(もし誰か入ってきたら、馬車の中に移動しよう)


 少人数での貸し切りは、何度もやると店に嫌がられてしまうことだった。セシルは人の気配の無さに安堵しながら、それでも店主と給仕にすら聞こえないよう声を潜めて問い返した。


「なにって、書いたとおりのお願いだけど。そんなことより、手紙で頼んだこと、どう? わかった?」

「待て、まずなんでそんなこと知りたいんだよ。こっちだっていくら友達でも、仕事のことぺらぺら話していいわけないんだって」


 軍関係者としてもっともな拒絶に、セシルは返す言葉を詰まらせた。前回会ったときには話の流れの中で頼まずとも話してくれたのに、今回はあからさまに問いただされて警戒心が呼び起こされたらしい。

 しかし、セシルもすぐに言い繕った。


「ちょっと、アレックスの素行の件で……」

「……彼、まだ公爵夫人との関係を続けてるのか」


 セシルは、キーラが同行していたら髪を引っ張られていただろう根も葉もない嘘で痛ましい顔を作って見せた。グラッドは不快気に口をゆがめたが、その後すぐ訝し気に首を傾げた。


「しかし、それとこれとで何の関係が」

「身内の恥だから、ほんとごめん、深くは聞かないで欲しい」


 何の関係もないから、とは言わず、セシルは渋い顔で首を振った。人の良い男は「そうか」とどこか同情するような顔で頷いて、それ以上は掘り返さなかった。セシルは各方面への罪悪感を果実水と一緒に喉の奥に押し込んだ。


「ただ、こっちこそ勿体ぶって悪いが、俺にはわからないとしか言えないんだよな」


 柱時計の針の進む音がいやに耳につく店内で、男は困ったようにそう呟いた。

 そのように言われる可能性も、セシルは覚悟していた。とはいえ、多少なりとも期待していた反動で、落胆はあからさまに態度に現れた。その様子を間近で見たグラッドは悪いって、と言い募る。


「だいたい、おまえの言ってる人は、機密事項関連人物だぞ。直接指示を出していた人間か、俺よりずっと上の一部の人間しか知らないだろうよ」


 呆れたように言い切られて、セシルは項垂れた。


「そ、そりゃそうだね……」


 グラッドは貴族出身の軍人であるが、今のところ出世欲は薄く、軍の『ずっと上の一部』からは程遠い。そして男爵家との次男という、上流階級の中でくくったら『そこそこ』としか言えない立場の青年である。気のいい男なのでセシルよりよほど友人も多いのだが、軍の機密をそうやすやすと知れるわけがないと言えば、そうだろうと察するに難くない。



「……ただ、まぁ一応、そういうことを知っていそうな人は紹介するから、あとは自分で何とかしてくれよ」

「うん、……うん?」


 己の世間知らずに呆れたような声で続けられたので、苦言を呈された気でいたセシルの反応は一拍遅れた。

 グラッドはそれには構わず、どこか心配げにちらりとカウンターの奥に立ってグラスを磨く老店主の方を見遣った。


「……カウンター向こうの壁に、いつも鍵がかけられてる扉があるだろ。あの奥に待っててもらってる。おまえの様子がおかしかったら会わせないつもりだったんだけど、まぁ身内がよからぬことしてたら黙ってられないってのは分らんでもないしな」


 がっちりとした体躯に似合わずこしょこしょと声を潜めた友人の言葉に、セシルは呆気にとられつつ耳を傾けた。が、この場にもう一人、セシルの期待に応えられるかもしれない人物がいるのだと認識すると、「ありがとう、恩に着る!」と言ってすぐさま立ち上がった。

 弾丸のようにテーブルから離れていくセシルに、却って慌てたのはグラッドの方で、「ちょ、ちょっと待てって!」と小柄な友人の背中に無益な声をかけていた。

 店主と給仕は、何も見えていないかのように、もくもくと店内の掃除やグラスの整理を続けている。


 グラッドの制止も聞かず、飛びつくようにやってきた扉への性急なノックの後に、壁と同じダークブラウンの板の向こうから入室を許可する短い返事があった。


「失礼しますっ」


 扉が開くと同時に目に入ってきたのは、これも壁や扉と同じ色のローテーブルと、それを挟む天鵞絨張りの肘掛け椅子、長椅子、そして長椅子に腰掛けて紙の資料をめくる人物の姿だった。


「ああ、数日ぶりで……」


 セシルは、顔を上げた相手と目が合った次の瞬間、すばやく扉を閉めていた。


「おいセシル、おまえなんてこと!」


 座ったまま様子を伺っていたグラッドが慌てたように走り寄ってきたが、セシルも大きな目に動揺を浮かべて、喉をごく、と一度上下させると、グラッドに一瞬で青くなった顔を向けた。


「いや、だって、そんな一言も」

「お前が最後まで聞かずに席を立ったからだよ! 勘弁してくれ、中の方が誰だかわかってんのか!」

「い、一番最初に言ってくれないと、びっくりするに決まってんじゃん!」


 そ知らぬ(てい)の店主たちの横で揉め始めた二人を黙らせるように、かちゃ、と閉じたはずの扉が開いた。


「……私への用がないなら仕事に戻りますが、かまいませんか、ガーディナー軍曹」


 固まったセシルのすぐ横で、グラッドが瞬時に姿勢を正して頭を下げ、「大変失礼致しました!」と答えた。その声で、セシルは目の前のチャンスが自分のうかつさのせいで立ち去ろうとしていることに気づき、慌てた。


「お、お待ちくださいっ! 先程は大変失礼しました、その、お時間いただけるならば、ぜひお聞きしたいことがあるのです!」


 セシルのその言葉に、若い上級将校として国中に名前を知られる男は不機嫌な顔で、睨みつけるように視線を向けてきた。


「……フレイン公爵夫人にも関わることです、どうか、お力をお借りできませんか……」


 セシルは、以前グラッドの新しい上司としても、レナードから姉の結婚を気に掛けていた弟としても聞いていたその名前をこわごわ口にした。


「……ライオネル殿下」

「……」


 しかめ面の相手が体を半身避けて、扉からセシルが中に入れるようにしてくれるまでの時間は、永遠にも感じる地獄の数秒間であった。


 入室してから振り返ったセシルの目に、閉じていく扉の向こうで背筋を伸ばした友人の心配そうに見送る顔が映った。


「……昨日の夕刻、訓練のあとに軍曹から相談がありました。調べたいことがあるので、最重要資料庫に入れてくれないかと」


 実直な友人らしくて、セシルはいたたまれない思いに包まれた。

 レナードやローズより茶色がかった金髪の王子はセシルに肘掛け椅子をすすめ、自分は長椅子に腰掛けた。テーブルには裏面を上にした複数の書類のほかに、薄い湯気がまだ立ち上っている紅茶で満たされたティーカップと、空のティーカップ、そしてポットが置かれていた。


「姉上が秘密裏に拘束されているこのタイミングですから、私も何事かと思いましてね。一体どういうわけかと問い詰めたら、あなたの名前を言ってくれました。で、それなら直接私が話す、とついてきたわけです。軍曹は、質問の意図を確認してから会わせるとか言っていましたが、中にいるのが私とは言わなかったようですね」


 恐縮するセシルを制して、王子自らポットの紅茶を空いていたカップに注ぐ。すこし濃い色の紅茶が揺れるカップの横にミルクポットを添えたところで、ライオネルはセシルの両目を探るように見返してきた。


「で、『フレイン公爵の現役時代の話』なんて聞いて、それが姉上とどう関係があるんですか」 


 第三王子は信心深いと聞いていた。魔法の名残が国に漂っていることを知っている王家において、魔法を認めない教会の教えに帰依しているというのはどこか珍しい。

 それはつまり、魔法使いの末裔を嫌悪しているということかもしれない。


 セシルは、ようやく落ち着いて来た心臓が再び躍りだすのを鎮めるために、熱いお茶を一口喉に通した。



 ***



 セシルがおっかなびっくり王子の前で冷めゆく紅茶を前にしているころ、アレックスは一人、書庫の奥で子供用の机を椅子がわりに腰を下ろしていた。

 その手には片手に収まるガラス瓶があり、うつろな視線がその外殻をなぞる。開いたままの本は無残にも脇にうちすてられていた。


『本人から見たら“やらないで済む”とはいかない問題だからでしょ』


 曲げた己の膝に肘をつき、小瓶を持ったまま、その両手の上に額を置く。無意識のまま、いつかと同じ祈りに似た姿勢をとって、アレックスは誰にも邪魔されない思考の暗闇に沈んだ。


 セシルに言われなくとも、アレックスとて個人の事情が衝突して対立することくらい理解できるし、その事情というものが、つねに誰にとっても同じ価値を持つわけでないことも、頭では分かっていた。

 その各人の価値感が一致することは、同じか、似た経験をしているもの同士の間でしか起きえない。世間の認識という、大多数が共有する価値感から逸脱したものであれば、特に。

 ローズは、それがアレックスと自分では一致していると考えているようだった。不快だが、アレックスもそれには同意できる気がした。


 少なくとも、ローズがセシルに小瓶を渡しながら、アレックスに頼んだことと同じ内容を話すことができなかった気持ちはわかるのだ。


 母親の中にある子どもの記憶を、特に不幸な記憶を消し去りたいという、子ども自身の願い。そんな気持ちは、セシルには必要性が実感できなくて、実行に移せないだろうという彼女の想像は、アレックスにとっても難くない。

 セシルだけではない。修道院にも、会えない親に未練を持つ子もいれば、捨てていった親を憎む子どももいた。その中の誰にもローズが提示した行動の意義を、自分と同じようには感じ取れないだろう。そう、アレックスはゆらゆらと考える。


 なぜローズがそんなことを望むのか、という疑問は浮かんでも泡のようにすぐに弾ける。そんなことより、どうやって王妃にこれを飲ませるかを考えなくては、と、身の内から声が上がるのだ。


 行動を急いてしまうのは冷静さを失っている証拠だと思い、アレックスは手のひらで目元を覆ったまま、静かに息を吐きだした。思考を埋めそうになる脅迫観念を取り払おうと、金髪の女の縋り付く顔を追い出し、普段考えないようにしている自分自身のことを考える。


(……経験から、行動に至る決断が生まれる)


 自分の場合、ここに来たのは、母に置いて行かれ、赤い髪の少年を修道院で見かけた過去があったからだ。

 その後、ローズに拾われ、悪魔だと思っていたものの正体と父親の血筋を知らされたのだ。


(……もし)



 もし、今、母親がそばにいたら。



『あなたも、立場が逆なら、同じことをする』


 閉じた瞼の暗闇を見つめていたそのとき、アレックスは静かに自覚した。


 伯爵家の前に出てきたのは、本当は何のためだったのか。なぜ、セシルに憎しみにも似た嫉妬を抱えたまま、年月を重ねても癒されなかったのか。なぜ自分は、ローズが用意した、閉じられた安全圏で満足できなかったのか。

 わかりきっているつもりだった、感情の根底にあるものに、行動を起こすべき瞬間を目の前にしてようやく気が付いたのだ。


(確かに、立場がローズと一緒なら、きっと同じことをした)



 考えに耽るアレックスの耳に突如、書庫の沈黙を破る声が飛び込んできた。


「悪い子ね」


 アレックスはうっすら目を開けた。恐れることはない、見慣れた金髪の小妖精が自分の顔を見上げていた。


「アレックスは、悪い子ね」

『アレックス、もうやめて』


 記憶に残る母の言葉を彷彿とさせる言い様に、無意識に唇をかみしめる。自分を落ち着かせるために、ゆっくりと瞬きをした。


「……そうだな」


 まぁ良い子ではないなと肯定した男に、短い髪の妖精は、むっと小さな唇を尖らせた。丸いほほが、柔らかなパンのように膨れている。

 男の態度を開き直っていると思ったのか、最初からそうなのか、妖精は不機嫌な様子でしばし睨みつけてきた。突然の直球の罵倒にアレックスもどうすべきか分からず、不思議な輝きの目をぼんやりと見つめていると、やがて妖精はぷいとアレックスに背を向けた。


「もう、怒られても知らないんだから」


 とたたた、と軽い足音を立てたのも束の間で、書架の裏に回るとその足音ごと気配も消えた。


「……何の話?」


 今さら誰に怒られるのか、十月裁判で何か起こるとでもいうのだろうか。アレックスは暫く妖精が消えた書架の角を見つめていたが、やがて視線を手の中のガラス瓶に戻した。

 揺らめく透明の液体が、空間を照らす灯りを受けて静かにきらめいた。


 同時に、その足元から伸びる黒い影も、水面さながらの波紋を揺らし、竜の視線を影の主に自覚させた。



 兄殺しの期限まで、もう時間が無い、と。



 ***



「……本当に、これが姉上の減刑につながるんですね?」

「……え?」


 先に部屋を出ると言って扉の前に立ちながら、振り返ってきたライオネルの青い瞳は、険しい光を称えてセシルに向けられた。


 セシルは今しがた聞いたことを記憶の中の出来事とともに整理していたところだったので、反応はわずかに遅れた。


「セシル殿、あなたの従者も大変なことになっているのは理解しますが、姉上は貴族に対する複数の殺人未遂について主犯の疑いがかけられています。本人や共犯が黙秘するばかりでろくな弁明もしないのでは、場合によっては死罪も免れません。……エリック・ジョナも密告したわりに、何も話してくれない」


 相手の渋面の中に暗い不安を見出したセシルは、その言葉を重く受け止めると同時に、「大丈夫です」と、きわめて強く返答した。


「……せめて、命だけは、助けられるんですよね」


 セシルの言質(げんち)を取っても意味がないことくらい分かっているはずなのに、それでもライオネルは一縷(いちる)の望みだというように、そう念押しした。

 それがローズ・エスカティードの立場の危うさを如実にセシルに感じさせてきた。


「命どころか」


 それでも、セシルは怯まなかった。第三王子に委縮していたのは最初だけで、ダンリールでの邂逅時同様、別のことに思考が占められれば緊張どころではなくなっていた。

 ローズが孤立していることを、本人から聞いていた、というもある。

 そして、セシルには正義感よりも、同情よりも強い原動力となる、目的がある。


「ちゃんと再婚だってできるくらいの自由を取り返すつもりです」


 そのためには、今持っている情報をきちんと整理して、次の会合相手にのぞまなくてはいけない。セシルはその思いに気を取られ、ろくに考えずに流れ出るままの言葉を口にしていた。


「……は?」


 取っ手に手をかけたまま首を傾げたライオネルの顔に、はっと我に返って「ものの例えですっ!」とさらに強く言い切った。




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