第34話
ネハナの白夜。
いつの間にか、あの夜のことはそう呼ばれるようになっていた。
「白夜ってのは、夜なのに昼みたいに明るいことらしいぜ」
「うまいこと言うやつがいるもんだな」
工務区の酒場で、職人たちが笑い合う。
真理区の研究者たちは、統一魔力の論文を熱心に読み漁っている。
神の手地域でも、参加した神官や住人たちから噂が広がり、統一魔力への否定的な意見は減っているという。
あの夜を境に、空気が変わった。
『魔女の子の危険な技術』や『魂のない魔力』といった烙印は、喜びと希望で上書きされたのだ。
* * *
そして、賢者会議が開かれた。
統治区の中枢、円形の議場。
五人の賢者の席が、半円形に並んでいる。
議長席に座るのは、神の手地域の老賢者。会議の進行を司る役目を担っている。
向かって右には、統治区長官と、工務区の総親方。
左には、真理区の主席研究員――僕の祖父、イライジャと衛生区の院長。
祭主の席は、空席。体調不良を理由に欠席していた。
僕は、議場の端に立っていた。
統一魔力の専門家として招かれたが、発言権は限られている。
「議題は、統一魔力の社会導入について」
議長を務める老賢者が、淡々と告げた。
「まずは、統治区長官からの見解を」
長官が立ち上がった。
白夜の夜以来、彼の顔は険しさを増していた。
「統一魔力は、危険な技術です」
長官はゆっくりと語り始めた。
「確かに、あの夜の演出は見事でした。しかし、それは技術の可能性を示しただけ。安全性は確認されていない。社会導入は時期尚早です」
長官の言葉には、一定の説得力があった。
「そして何より――」
長官が、僕を見た。
「この技術を開発したのは、今、外の世界を騒がせている魔女、エルサ・アヴェイラムの息子です。信用に足るでしょうか」
議場にざわめきが広がる。
「私は、祭主様の拒否権を行使することを提案します。この技術の導入を、却下すべきです」
長官が宣言した。
祭主の拒否権。
賢者会議の全会一致さえも覆せる、絶対的な権限。
長官は、祭主から委任状を取り付けていた。祭主が欠席する場合、その権限を長官に委譲するという内容の書面だ。
判断力が衰えた祭主に、書かせたものに決まっている。
結局、長官が握る拒否権をなんとかしなければ、会議をいくらやっても意味がない。
ここまで来たのに……。
「異議あり」
そのとき、低い声が響いた。
議場の全員が、その方向を見た。
真理区代表の席でイライジャが手を上げていた。
「……イライジャ」
長官がイライジャを憎々しげに睨みつける。
会議の冒頭から静かに座っていたイライジャの存在感が、急に重くなったように感じた。
「主席研究員、発言を」
老賢者が促した。
「一つ、提出したい書類がある」
イライジャは、一枚の紙を掲げた。
「祭主の診断書だ」
議場がどよめいた。
「診断書だと……?」
長官が動揺を見せる。
衛生区の席で院長が手を上げた。
「私が作成したものです。主席研究員からの依頼で、祭主様を診させていただきました」
院長の言葉にイライジャが頷いた。
院長は話を続ける。
「祭主様は、判断能力を著しく損なっています。記憶の混濁、極度の疲労、そして継続的な意思決定の不能。この診断書は、祭主様がもはや独力で政務を遂行できないことを証明しています」
院長は、淡々と診断結果を報告した。
そして、イライジャが院長の言葉を引き継ぐ。
「つまり――現祭主の拒否権は無効、ということだ」
「待て! そんな診断書、でたらめだ!」
長官が叫んだ。そして、老賢者に向き直る。
「議長! この診断書の信憑性を確認するまで、議題を延期すべきです! そもそも祭主様がご不在のまま、このような重大な決定を――」
そのとき、議場の扉が開いた。
「お待たせいたしました」
凛とした女性の声が響いた。
議場の全員が、振り返った。
そこに立っていたのは――。
「な、何だ貴様らは! 神聖なる賢者会議の最中だぞ!」
長官が叫んだ。
扉の前に立つ二人の神官。
一人は、先代の還し手。高位の神官らしい、金糸の入った装束を身に纏った女性。
そしてその隣には、ハル。
「祭主が不在では決定できない、とおっしゃいましたね」
先代が静かに微笑んだ。
「ご安心ください。祭主は、ここにおります」
長官が凍りついた。
「……何を」
長官の顔が、蒼白になった。
ハルが一歩前に出た。
その手には、一通の書状が握られていた。
「今朝、正式な手続きを経て、祭主の交代が行われました」
ハルは書状を掲げた。
「核樹様への奉告、神官たちの承認、そして当代還し手である私の推薦。全ての儀式が滞りなく執り行われました。この書状は、その証です」
「バカな……! そんな話、聞いていないぞ!」
「知らせる必要がありますか? あなたは神殿と、なんの関係もございませんでしょう?」
先代が皮肉を込めて答えた。
「ぐ……」
長官が歯をぎりぎりと鳴らした。
それには目もくれず、先代は議長席の老賢者に向かって一礼した。
「改めまして。本日、祭主の職を拝命いたしました、ハクアと申します。どうぞ、以後お見知りおきくださいませ」
「承知しました。祭主様、どうぞ、そちらの席へ」
老賢者は深く頷き、着席を促した。
長官は、呆然と立ち尽くしていた。
「さて」
イライジャが口を開いた。
「祭主がご着席されたので、改めて議題を審議するとしよう」
長官は、崩れ落ちるように、椅子に腰を下ろした。
* * *
賢者会議は、統一魔力の社会導入を全会一致で可決した。
続けて、長官の職務停止と調査開始を決議した。
会議が終わり、僕とハルは肩を並べて根の回廊を歩く。
「……やり遂げたな」
僕の隣で、ハルが呟いた。
「ああ」
僕は頷いた。僕らは、こつん、と肩をぶつけ合った。




