第33話
そしていよいよ、夜が来た。
壇上から見下ろすと、数百人の顔が、こちらを見上げていた。
工務区の中央広場には、人々が集まり始めている。
研究者、職人、商人、一般市民。
神官や神の手の住民らしき、高貴な装いも、ちらほら見える。
噂を聞きつけた者たちが、これから何が起きるのかを見届けようとしている。
ふと、見覚えのある親子が目に入った。
仕立ての良い衣服、襟元の金糸刺繍――神の手地域の旧家の者だ。中央診療院でさまよい病について話を聞いた、あの少年と母親。
少年は、両親の隣で楽しそうに辺りを見回している。あの時の虚ろな目は、もうそこにはなかった。さまよい病の治療はうまくいっているようだった。
母親がこちらに気づき、軽く、しかし深い感謝を込めた会釈をした。父親らしき男も、それに続く。
僕は小さく頷きを返した。
視線をずらすと、クインタスとアリスに抱えられたアジュとカエに気づく。二人は揃ってこちらに手を振った。僕は、手を振り返した。
「すごい人だな」
隣に立つトージが呟いた。
「ああ。予想以上だ」
広場を囲む送魔線のパイプ。
時間は押してしまったが、職人たちの懸命な修復作業により、なんとか元の状態まで戻すことができた。
嬉しい誤算があったのだ。
この都市の治安維持部隊である『双璧』が、警備に加わってくれたのである。大規模なイベントだからか、何組か出動することになったらしかった。
この前世話になった神官と研究員のコンビの姿もあった。女の神官がひらひらと僕に手を振る横で、男の研究員は真面目な顔で僕に会釈をした。
妨害工作をするゴロツキの何人かはしっかり双璧に捕まっていたが、まだ見物客に紛れてその辺をうろついている者もいるだろう。だが、もう彼らが何をしても遅い。
あとは僕がスイッチを押すだけだった。
「始めるか」
トージが言った。
暗い中待たされ、不満の声が聞こえ始めていた。
「ああ、始めよう」
深く息を吸う。僕は、壇上に立ち、左手に持つ拡声魔法具を口に当てた。
「みなさん、今夜はこの歴史的な瞬間に立ち会っていただき、誠にありがとうございます」
ざわめきが大きくなる。
拡声魔法具は僕がグラニカで作ったものと同じ構造のものを、前もって職人に作らせていた。初めて見る魔法具に驚いている者も多そうだ。
「統一魔力。それは、核樹様の負担を減らし、この都市の希望となる新たな恵み。今夜、その力をお見せしましょう」
民衆が静かになった。
前置きはもういいだろう。見ればわかるのだから。
「これから、ネハナの夜に太陽が昇る」
どよめきが広がった。
僕は右手に握っていた魔法具を掲げ――。
「点灯」
スイッチを押した。その瞬間――。
何も起きなかった。
広場は、暗いままだった。
送魔線に魔力を流したはずだが、光は灯らない。
ざわめきが広がっていく。
「どうしたんだ」
「何も起きないぞ」
「やっぱり嘘だったのか」
民衆の間に、失望の声が広がる。
* * *
広場の隅。
闇の中に、長官の姿があった。
「……くく。愚かなやつだ」
部下が囁いた。
「内部の断線に気づかず、必死に送魔線を繋ぎなおしている姿は、感動で涙が出そうだったよ」
長官は満足げに笑った。
工作はすでに済んでいたのだ。断線した送魔線を混ぜておけば、魔力が行き渡らないことは、統治区の長官である彼はよく理解していた。
故意に断線させ、一部の地域の魔力の配給を滞らせることは、これまでにも何度もしたことがあった。
最後までごろつきを送りこんでいたのは、こちらがまだ必死に妨害しようとしていると見せかけるためだった。
「小僧。これが政治というものだ」
壇上のロイを見上げる。
若い研究者の顔は、暗くて見えない。
だが、きっと青ざめているはずだ。
――ざまを見ろ。
長官は、勝利を確信した。
「……あれは」
近くで誰かが呟いた。
その者はある方角を指を示していた。
長官は、その方向に顔を向ける。
都市の外縁。
遥か遠くの、高い場所に、小さな光がぽつりと灯っている。
続いて、別の場所にも光が灯る。
ぽつり。ぽつり。
夜空に星が広がるように、光が点々と増えていく。
民衆がざわめいた。
「何だ、あれは」
「光が……押し寄せてくる?」
外縁から、内側へ。
たくさんの光の球が順番に点灯する。
光が、高速で近づいてくる。
すぐそこの街路が照らされた。
近くの建物の輪郭が浮かび上がった。
「これは……」
長官の顔が、引きつった。
「何が……起きている……」
そして――広場の上空に、数十個もの巨大な光球が出現し、世界は白く塗りつぶされた。
* * *
光珠。
大道芸人が使っていた魔法具だ。
バッテリー駆動で、送魔線は不要。核樹の材料で作られた巨大なバッテリーを使い統一魔力を蓄えれば、強力な光を放つ光珠を作ることができる。
通常の光珠とは規模の違う光の球を、職人たちは秘密裏に製作していた。
広場の送魔線敷設は、隠蔽派の目を欺くための囮だった。隠蔽派の妨害工作に必死に抗う姿を、広場担当の若い職人たちにお願いしていた。
しかし、囮とはいえ、本来なら僕がいる広場の塔も点灯するはずだった。つまり、無意味ではあったが、長官の何らかの工作は成功したようだった。
光が、そして民衆の歓声が、広場を満たしている。
真昼のような明るさ。
人々の顔が、はっきりと見えた。
「うわあ……!」
「すごい……!」
「夜なのに! お昼になった……!」
「ネハナに太陽が昇ったんだ……!」
民衆の間に、感動の波が広がる。
僕はその中にある、アジュとカエの顔を見て、確信した。喜びと希望を届けることができた、と。
僕は遠くの空を見た。
制作した光珠のほとんどはこの広場の上空に集中させているから、広場を少し離れれば、ぽつん、ぽつんと、光珠が浮いているだけで、街は暗いままだろう。
さすがに都市全体を覆いつくすほどに、大量の光珠を作り出すことはできなかった。だから、外縁から光が近づいてくるのは、ただの演出だ。だけど、広場にいる人たちは、都市全体が照らされたように錯覚したに違いない。
ハルを見つけた。群衆に紛れていても、たいそう目立つやつだ。ちょうど彼が振り向き、目が合って――ふわっと笑った。
僕が仕掛けた、演出という名の嘘。さすがのハルも、この嘘には怒れないようだった。




