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8歳から始める魔法学  作者: 上野夕陽
第七章

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第35話


 ネハナの白夜と呼ばれたあの夜から、都市は変わり始めていた。


 統一魔力が社会に導入され、核樹への負担は大幅に軽減された。

 それに伴い、さまよい病の罹患者は激減した。

 街には活気が戻り、人々の顔には希望の色が浮かんでいる。


 核樹の魔力は、儀式や祭り、宗教的な用途に限定されるようになった。

 一方、統一魔力は日常生活の基盤として広まった。街灯、照明、各種設備――都市を支えるインフラも着々と整備され始め、統一魔力が前提の都市へと変貌を遂げている。


 神聖なものと、世俗的なものの住み分け。

 どちらも、この都市には必要な魔力だ。






 * * *






「ロイは行かないのか?」


 研究室のソファでくつろいでいると、クインタスが僕に聞いてくる。


「行く必要があるか?」


「……さぁ」


「なあに? どこかへお出かけするの?」


 アジュがテーブルの下からひょこっと顔を出した。カエもアジュに続いて顔を出す。


「ロイが『双璧』に連れていかれるかもしれない」


「えー! なんで! ロイ、悪いことしたの?」


 不安げなアジュを見て、悪戯心が湧く。


「ああ、それはもうたくさんしてるさ」


 そう言って、僕は悪い顔で笑った。


「……う」


「う?」


「うわぁぁあん! ロイが……やだやだっ!」


 アジュが泣き出す。隣でカエがおろおろとし始め、それを見たクインタスが僕を睨んだ。


「ロイ、ちゃんと説明しろ」


「……わかったよ。――アジュ、安心してくれ。僕は悪いことはするが、捕まるほど間抜けじゃない」


「……ほんと? どこにも行かない?」


「ああ。今日は奉職免除の発表があるんだ」


「ほうしょく?」


「そう、奉職。研究者はな、大人になったら双璧で二年間働かなくちゃいけないんだ」


「あ、だからロイも……」


「普通はそうだ。でも僕は優秀だからな。奉職はしなくていいって偉い人が言ってくれる……はずだ」


「……そうなの?」


 アジュがクインタスを見た。


「その発表が今日あるから、これから見にいこう、という話をしていた」


 クインタスが答えた。


「行く!」


 アジュが元気よく手を挙げた。カエも挙げた。


「え……いや、アジュとカエは関係ないだろう?」


「行きたい行きたい行きたい!」


 アジュとカエが僕の手を一つずつ持って引っ張る。


「ま、待て。僕は優秀だから99パーセントは免除されるはずだ」


「1パーセントでも見にいくのっ!」


 ……アジュは、相変わらず数字に強いな。


「……わかった。わかったから引っ張らないでくれ。腕が伸びるだろう」


 僕が諦めて発表を見にいくことに決めると、アジュがぴょんぴょんと跳ねて、よりいっそう強く僕の腕を引っ張った。

 今日は、ゆっくりするつもりだったのに。……まあ、こういうのも気分転換に悪くないか。






 中央広場の掲示板の前まで来ると、すでに人だかりができていた。

 研究者と神官の集団が、ちょうど真ん中あたりで左右に分かれているのが面白い。神官の集団の中に、ハルを見つけた。やはり彼は人の目を引く。


 ハルは還し手に選ばれた時点ですでに免除が決まっている。だから、今日は仲間の付き合いか何かだろうか。


 彼を見ていたら向こうも僕に気づき、すぐに近づいてきた。


「ロイ。君のことだから面倒がって来ないかとも思ったが……なるほど、こちらのお嬢さん方のエスコート役というわけかい」


 ハルはかがんで、アジュとカエに爽やかな笑顔を向けた。

 すっかり憑き物が落ちたらしい。これではただの素敵なお兄さんだ。


「ハルっ! ロイが『双璧』に連れていかれるかもしれない! 1パーセントくらい!」


「はは。そんなことにはならないよ。私がそうさせないから」


「ハルが? できるの?」


「もちろん。私は還し手だからね」


 ハルはにこりと笑った。

 しかし、この男は、強すぎる己の権力を行使することに一切躊躇がなくなったな。核樹の根に寄りかかって死にそうになっていた頃を思うと、随分(したた)かになったものだ。


 ハルとアジュが話しているのを見ていると、カエが僕の服の袖を引っ張った。


「――時が来た」


 カエが芝居のようなセリフを口にした。彼女は相変わらず物語の引用で話すが、声を出す頻度は随分増えた。アジュの影響か、感情を表すことも増えている。


 カエは広場の入り口を指さしていた。

 統治区の役人と神殿の代表者が、妙な間を取って、横並びに歩いている。

 代表者は長い紙を持っていた。おそらくあれが奉職免除者のリストだ。


「今期の奉職免除対象者を発表する」


 掲示板の前に立つと、役人がリストを読み上げ始めた。


 数人の名前が呼ばれた後――。


「魔力形態学研究室、ロイ・アヴェイラム」


 周囲が歓声を上げた。

 この街に受け入れられているようでなによりだ。


「統一魔力の発明と社会実装により、都市に多大な貢献をなしたことを認め、奉職義務を免除する」


 拍手が起こった。


「やったね! ロイ、やったね!」


 アジュが飛び跳ねた。カエも静かに拍手している。


「おめでとう」


 ハルが微笑んだ。


「……まあ、当然の結果だ」


 そう言いながらも、少しだけ安心していた。






 * * *






 夕方、僕はイライジャの研究室に呼び出された。


 真理区の奥にある、主席研究員の執務室の扉を開けると、祖父が机の前に座っていた。


「来たか」


「呼び出しとは珍しいですね」


 僕は椅子に腰を下ろした。


「今日の発表、見ていたぞ」


「ありがとうございます」


「礼を言われることではない。お前が実力で勝ち取ったものだ」


 イライジャは机の上の書類を脇に寄せた。


「本題に入る前に、一つ報告がある」


「何ですか」


「隠蔽派の洗い出しが進んでいる。アリスと協力して、まだ都市に残っている連中を特定している」


 僕は少し驚いた。


「アリスと?」


「彼女の情報収集能力を俺は信用しているからな。膿を出し切るのも時間の問題だ」


 イライジャの目が、僕を真っすぐに見た。


「さて……。ロイ、お前に言っておくことがある」


「何でしょう」


「前に、お前は俺に似ていると言ったな」


 僕は頷いた。

 あのとき彼は言った。イライジャや僕には、世界の理を歪ませるほどの才ないと。エルサとは違うのだと。


「……訂正しよう」


 イライジャの声が、少し柔らかくなった。


「お前はエルサに似ているよ」


 心臓が跳ねた。


 エルサ。

 魔女と呼ばれ、世界を揺るがす存在となった、母の名。


 胸の奥が、熱を帯びる。


 魔女と呼ばれる母に似ているなど、本来喜ぶべきことではないのかもしれない。

 それなのに、内から湧き出るこの喜びを、どうしても抑えきれない。

 あの眩しいほどの才能に、少しでも近づけたという実感。


「……そうですか」


 僕は、それだけ言った。


 イライジャは僕の反応を黙って見ていた。

 やがて、彼は小さく頷いた。


「それで、これからどうする」


「これから?」


「統一魔力は完成した。お前はこの都市に骨を埋める気か、それとも……」


 僕は少し間を置いた。


「……僕は、この技術を独占するつもりはありません」


 イライジャの眉が、わずかに動いた。


「統一魔力を、地上にも広めたい。グラニカにも、アヴェイラムにも、その他すべての国にも」


「……何を言っている」


 イライジャの声が、低くなった。


「ネハナの技術を、我々を迫害してきた連中に渡すというのか」


「研究者として、発見や発明を独占することは、最も愚かな選択だと思っています。知識は共有されてこそ意味がある。統一魔力も同じです」


「……理想論だな」


「そうかもしれません。ですが、優れた技術は、人を変えます。そのことを、僕はこの都市で証明しました。そして、同じことが外の世界でもできるはずです」



 イライジャは沈黙した。


「あなたの立場はわかっています。ネハナは過去に、地上の国々から迫害を受けてきた。簡単に許可を出せる話ではない」


「……」


「あなたがなんと言おうと、いつかは、この技術を外に持ち出します。ですが――そのときに、できれば、あなたには力を貸してほしいのです」


「……約束はできない」


「おじい様。僕は止めなければならない。アヴェイラムと、母を」


 イライジャの目が揺れた。


「……家族だからか?」


「今の僕には力がある。この力を使って、止めなければならないものを止める。それが、研究者としての、そして、子としての責任です」


 イライジャは長い沈黙の後、口を開いた。


「今すぐには、答えられん」


「わかっています」


「だが――」


 イライジャは椅子から立ち上がり、窓の外を見た。


「俺もエルサの親として、責任を果たさねばならぬかもしれんな」


 それ以上の言葉は、なかった。

 だが、今はそれで十分だった。






 * * *






 執務室を出た後、僕は根の回廊を歩いた。


 夕暮れの光が、天窓から差し込んでいる。

 発光苔の光が弱まり始め、都市は夜の装いに変わりつつある。

 遠くの空に光の球がぽっ、と現れ、辺りを薄く照らした。


第七章 終



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― 新着の感想 ―
一つ山をこえたのですね。今から起こる事 家,国、友人たちの関わり厳しいのが、予想されますね
7章完ありがとうございます。 ロイがひとつ大きくなった感じで嬉しくなりました。 漫画版ともども、続きを楽しみにしております。
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