第一章 復讐の季節 Ⅰ
「祈り」は無力だ。
五年前、聖女と呼ばれた母は命を捧げた。
それでも世界は、さらに醜くなった。
戦火の泥濘の中で、私は一人の英雄と出会う。
絶望に沈む彼に、私は救済ではなく嘘を差し出した。
「貴方はここで死になさい。――そして、私の剥製として生きるのよ」
英雄は名を捨て、仮面を被り、私の番犬になった。
これは、聖女になれなかった少女が、
死者と共に平和を偽造する物語。
1.春の雨
五年前、母は祈りながら死んだ。
敵の手を握り、赦しを説き、 自ら祭壇の短剣へと手を伸ばした。
その死が戦争を止めた。
だから世界は母を「聖女」と呼んだ。
私は、その死の隣で泣かなかった。
ただ一つだけ、理解した。
祈りは、誰かの死を美しく見せるための額縁に過ぎない。
ならば私は、その額縁を偽造する側に回る。
そして、五年後……。
聖地エルマは三日三晩燃え続けた。
——あの夜、私が「嘘」を選ぶことになる場所だ
。
聖堂の鐘は溶け、少年の喉は裂かれ、祈りは灰になった。
それでも、王城の庭には春の雨が静かに降っている。
少女は父王ミルケ・ジオの前に立っていた。
「やあ。君は今日も美しいね」
父王はいつもと同じ声色で言った。
「さて、知ってのとおり、エルマが燃えたそうだ」
まるで遠国の祝祭の知らせのように。
「大陸も、よく燃えることだろう」
沈黙。
雨音だけが続く。
「すでに連合軍への参加の打診がガレスより来ている」
「そこでだ、君に頼み事がある」
「君をアトラクト王国全権特使に任ずる。アソセスへ赴き、戦を見届けよ」
「……! お父様、私がそのような大権を担えるとは……」
「戦を止めるな」
父王は穏やかに言葉を被せた。
「戦は、必要だから起きるのではない。
起きたから、必要になるのだ」
そして、わずかに笑う。
「止めた瞬間、価値が消えるからね」
(ああ、やっぱり。この人は、祈りで世界を救った母とは違う)
(……怖い。でも)
(だからこそ、私がやるしかない)
「口答えは許さないよ。これはもう決まったことなのだから」
長い静寂。
(でも、大丈夫)
(戦は、私が“管理”できる)
少女は頭を垂らした。
「……承知いたしました」
城を出る直前、少女は東の空を見た。
「火は、もう灯っている」
それは止めるための言葉ではない。
使うための言葉だった。
出発の朝、シオンが私の外套を掴んだ。
「姉様、戦争って、怖い?」
五歳の弟は、まだ「戦争」という言葉の重さを知らない。
怖い、と答えれば彼は泣く。
怖くない、と答えれば嘘になる。
だから私は、こう言った。
「戦争は、終わらせに行くものよ」
それが私の最初の嘘だった。
——いや、最初ではない。 私はずっと、この弟の前でだけ、笑える人間のふりをしている
2.復讐の季節
断歴995年、春。アルタミス大陸。
ラインベルト王国王都アシュラルドの空気は、熱病に冒されたように沸騰していた。
一人の少年の死を糧に、今や巨大な復讐装置へと姿を変えている。
「アソセスの野蛮人に死を!」 「聖域を汚した報いを受けさせろ!」
大通りを埋め尽くす群衆が、罵声を吐き散らす。
群衆の中で、幼い子が母の袖を引いて泣いていたが、その声は怒号に掻き消えた。
今、この街を支配したのは、国境の教会での「聖エルマの少年」 惨殺の噂だった。
五年前、亡き王妃エルサが救い、平和の象徴として残した少年。
その『彼』が祭壇に晒され、周辺住民は皆殺しにされたという。
そしてそこには、アソセス王国の英雄クスト・レアの黒騎兵。
その黒い太陽の軍旗がはためいていたという。
その熱狂のただ中を、ラインベルトの騎士ラノア・カトラスは愛馬と進んでいた。
王国名家を示す青き外套をなびかせ、白銀の鎧をその身に纏う。
馬上にもかかわらず異様なまでに正しい姿勢。
だが、彼の胸中は冷え切っていた。
「……やりきれんな、クリス」
隣にいる副官クリスは群衆に剣を掲げながら視線をおとす。
「閣下……私は、信じられません。あの御方が……本当に、子供や民を根絶やしにしたのでしょうか?」
五年前、エルン峡谷で独り盾となった漆黒の英雄。
その背中に憧れて騎士になったクリスにとって、自分が敬愛する「英雄」が泥にまみれたことへの困惑が滲んでいた。
「……それでも、あの惨劇を見れば、民が怒るのも無理はありません」
「ああ。怒りそのものは、正しい。だが――」
ラノアは言葉を切り、視線を前方へ走らせた。
(この熱は、誰かが意図的に薪をくべている……。)
視線の先に、同盟国ガレス王国の騎士団。
その中央で、黄金の重鎧の巨漢、大将軍バスタレインが、野卑な笑い声を上げながら群衆の歓声に応えるように、戦棍を天へ突き上げる。
「見ろ、ラノア殿! 良い景色だ! これが正義だ!やつらを黒い太陽の紋章ごと、灰にしてやろうじゃないか!」
ラノアは目を逸らし、答えなかった。
この血に飢えた野獣と同じ正義を名乗らねばならないという事実が、騎士としての矜持を、静かに、削り取っていく。
アシュラルドの城門を抜ける瞬間、ラノアは一度だけ空を仰いだ。
はるか東方、沈黙を保つミーテラス王国の空。
東の空は、まだ曇っていた。
(この戦は偶然ではない。誰かが火を選び、薪を選び、時を選んだ。)
(そしてその誰かは、止めるつもりなど最初からない。)
同じ頃、アトラクト王宮の一室。
アリスは五年前の記憶を、 地図の上に重ねていた。
エルン峡谷。
吹雪の中の戦場。 馬車の窓から見た、漆黒の影。
一人で千の軍勢に立ち向かう男の背中を、 十二歳の自分は感動ではなく計算で見ていた。
(あの武が、私の嘘と組み合わさった時——)
地図の上、カレル平原に指を置く。
「……クスト・レア」
名前を声に出したのは、初めてだった。
それが何を意味するのか、 まだ誰にも言えない。
はじめまして。べべべと申します。
はじめて投稿いたします。この物語は私が十代前半から妄想・設定をしていた黒歴史を元にした戦記小説です。
もっと明るい話になるはずでしたが、主人公アリスの嘘のお陰で、どんどんダークな話になっていきました。舞台は十五世紀から十六世紀の欧州あたりをモデルにした世界観となっております。
ぜひこの『中二病黒歴史小説』にお付き合いしていただけたら幸いです。




