第72話 スノウボールアース最新刊
スノウボールアースの最新刊に追いつきました。
最初にわたしが脳内で想像していた物語とはずいぶん毛色が異なっていました。ロボットというより、ヒーローものに近い印象です。
でもそれでちょうどいい。変にロボロボロボロボしていない。
ちとナノメタルが便利すぎるきらいはありますけどね。
せっかく3Dプリンターという良い設定があるのですから、再生ではなくて、修理や改造で済ましてほしかった。
んま、個人の感想です。
でもあの作品の肝はそこではないのです。おれごんがグウの音もでないのはそこじゃない。極論ロボですらない。
作中では何度も何度も難しい選択を迫られるのですが、そこがとてつもなく熱い。
戦争の最中では目をつぶって然るべき小さな犠牲を、本作主人公は一切許容しない。決して目を背けない。
戦時中のロボットパイロットなら決して選べない方の選択を、この作品の主人公はするんです。自然とできちゃう。その代償として圧倒的に不利になるにも関わらず。関係者全員の命が危険にさらされるにも関わらず。
ガンダムに乗って家出したアムロと同じで、組織人としては間違っているんです。唯一無二、人類最高のエースパイロットの行動として許されるものではない。
だけどその方が人の行いとして圧倒的に正しい。ただし平時に限ります。そのため戦争中では、しかも戦闘中では本来選べるはずがない。
でも主人公は選んじゃう。当然のこととして選べちゃう。そこが特別。主人公を主人公たらしめる。
結果がいいほうに転がっているから許されている面はあると思います。もし負けていたら、もし多くの犠牲が出ていたら目も当てられない。全滅です。人類滅亡。
でもなんとかしちゃう。だからこその主人公、それゆえの救世主。
もしこの作品が少しの犠牲の上に立つ物語だったとしたら。苦悶があり、挫折からの再起があって物語になる。
それって普通じゃないですか。ロボの常套手段まである。ナデシコ然り、ブレイクブレイド然り。
どうしても状況によって選び難い選択肢はあって、それによって生じた葛藤に打ち勝って前へ進む。これはロボではよくある展開なんですよ。
この部分は同じ物語の編み手としても唸らされている部分です。
作者の辻次夕日郎先生は、読者の思惑を巧みにズラしてくる。
これがまあ作中で何度も何度も出てくるんです。たいへん気持ちがいい。またやられたと思わされる。期待をいいほうに裏切ってくる。これぞ少年誌、これぞ冒険譚。
この作品の主人公は、少しの犠牲にただの一度でも許容したらおそらく戦えなくなるんです。もしそうしたならすぐに負けちゃう。あるいはロボットに乗れなくなる。
だから目を背けない。常に正しくあろうとする。
そんな主人公を信じて任せ、たとえ誤った判断であったとしても受け入れる登場人物たち。善き人々の集まり。
イデオンの登場人物とは対極にあるような人たちですね。
人の集落の理想形がそこにあるような気がします。理想郷です。
でも人ってそうは在れないから。幾人かはそうであっても、集団としては難しい。そうありたいとは願っていても、根本では分かり合えないから。
人の本質はガンダムの作中の人間模様に等しいと思います。善き存在でありたいと願いつつも、分かり合おうとする努力はやめないけれど、いつまで経っても平行線。進化までは至らない。
少年誌としては正解です。満点。
しかし現実に照らし合わせると夢物語。
でもね、夢物語でいいんですよ、だってメインターゲットは少年少女。それを氷河期世代が読んで批評しているのだからお門違いなんです。
つまりおれごんが言いたいのは、ロボを観ろってことなんですよ。ロボを読め、少年少女。
ロボには名作がごまんとあります。今後そのひとつに、スノウボールアースが数えられることになりそうです。




