第三十三話 天人
<フィーネ視点>
突然空を割って飛び込んできた巨大な矢には、袋が結びつけられていた。僅かに漂う黒い粉末が目に入った途端、私は魔人から離れ、レニットを抱えて全速力で走っていた。
きっとあれが、ステアが用意した一手。
唐突な状況の変化にも、レニットは淡々と魔人に向けて極限まで溜めた熱量――《画龍天晴》を放った。
私の背後には、赤と黒が混じり合った爆炎しかない。焦げ臭さと、異様な臭いが鼻腔を即座に潰し、肺すらも重く満たしてくる。
吸い込む空気に息詰まり、窒息寸前に思えるほど苦しいけれど、肝心の灼熱はそれほど感じない。きっと爆発による膨大な熱をレニットが吸収してくれているんだと思う。
爆炎と黒煙から抜け出そうと駆けている内に、メンデールの市街地――大通りへと景色が移り変わっていた。レニットの伏魔殿から出てきたのね。
振り返ると、天高く立ち昇って大きく広がる黒煙が視界を埋め尽くす。周囲を見てみると、爆発によって生まれた瓦礫が道にいくつも転がり、爆発の範囲外であろう建物にも突き刺さっている。爆心地である伏魔殿を開いた場所――庁舎は跡形もなくなっているのでしょうね。
外ですらこの惨状……爆炎に加え、レニットの《画龍天晴》という尋常ならざる熱量を直撃しながら魔人が生きていると思えない。少なからず、受肉元は確実に死んでいる。申し訳ないけど、これ以外の手はなかった。
「オ”エ”ァ”ァ”……!」
「ッ!? レニット!」
私の腕に抱えられているレニットが、空気を吸っては嘔吐を繰り返している。
三度も繰り返せば胃の中身を全てひっくり返したのか、それからはもはや胃液しか吐き出していない。腕から下ろして《癒快》をレニットに施しても、落ち着く気配すらない。
なにこれ……これが伏魔殿の反動? 魔力の欠乏でこんな症状にはならない。“何か”に異常を来している。
とにかく、レニットを安静に……魔人の霊体が残っているなら魔力感知を――
「見事にやられたよ」
「「!!?」」
ウソでしょ……?
前方、僅かに晴れた黒煙の中に見えた人影から、聞こえると思えなかった声が、聞きたくなかった調子で耳に滑り込む。
黒煙から私たちの前に姿を現したのは、黒装束が所々焼き切れながらも、軽い火傷を負っているようにしか見えない女性――魔人だった。
なんで? あれだけの威力……私が考えつく限り最高硬度の結界でも無事では済まないはずで――
「オ”ア”ァ……!!」
混迷、無理解に支配された頭を冷やしたのは、文字通りの冷気だった。
レニットはもはや吐くモノすらなくなり、えづきながらも眼光鋭く《凍律》を発動している。戦意を一切失っていない。
残り魔力量で放てる《界斬》は一発分。あとは黒月と打ち合うために魔力を残さないと……
とにかく、戦いはまだ終わっていない!!
《御神体》を発動し、鏡剣に《界斬》を纏い、魔人へと――
「伏魔殿『御魂繫参道』」
「っ!!」
黒煙など生温いと言わんばかりの漆黒が『世界』を包み、私と魔人を繋ぐ一本の道のみが白く伸びていく。
その先の魔人は門のような囲いの下で片膝を立てて寛いでいる。
勝った気か知らないけど、能力が発動される前に攻撃すれば――
「ぐっ……!!」
なに、この重圧!? 魔人に近づくほどに強くなって……!
「う”あ”あ”あ”あ”……!!」
四つん這いになるほどの重圧を掛けられたとき、後ろからは搔き消えそうな唸り声がした。
何とか振り向くと、レニットが這いつくばって一切動けなくなっている。
この伏魔殿の能力は、異常な重圧? 私とレニットの効果の違いは?
最大限の身体強化でも体が全く起き上がらない! 私も這いつくばって……!
「ふぅ……疲れたな……」
無様な私たちを眺めながら、魔人は一息つく。
これだけの隙を晒しているというのに、手を出して来る様子はない。
「一日に2回も伏魔殿を啓くなんて初めてだよ。まあ……君たちだとそれぐらいだよね。レニットなんて、初めて伏魔殿を啓いた消耗の中、『参道』に潰されていないというだけで相当だし。逆に言えば、彼がおかしいのか。目測でもフィーネの倍……」
魔人は顎に指を当て、何かに得心がいったように目を丸くする。
「そうか……ステアが……それだと――」
「一体何の話!? ステアが何!?」
声を上げると、魔人は視線を向けてくる。
「あぁ……悪いね。こっちの話……というより、まだ君たちには早いかな。あくまで試すつもりで戦ったけど、二人ともここまでとは思わなかったよ。伏魔殿を啓ける人間が増えるなんてね。ステアも火薬なんか使って参戦するとは……軽く見過ぎていたよ」
魔人は笑みを浮かべて一方的に評価してくる。
「ふざけないで! 一体何がしたいのよ! 私たちを試す? 何のために! それに、さっきの攻撃を喰らいながら何故無傷なの!?」
「無傷は言い過ぎだよ。ここ数千年だと一番の手傷だね。種明かしだけしてあげようか。魔術理論の権威である君は、あの威力を耐えられる結界魔術はないと思ったんでしょ。確かにその通り。あの熱量と爆発を同時に防ぐ結界はない。いや、未知であるというのが適当かな。ただそれでも、私は片方を防ぐだけで事足りる」
「片方……?」
「そう。私は魔人から進化した生命体『天人』。私たちの間ではそう呼ぶことにしている。リオもそうだよ」
魔人から進化……? 【堕天】も……!
「特性としては、霊体と肉体の両方を良いとこ取りしたものだと思っていいかな。自分が望むように『世界』に存在できるんだよ。ただし、君たちのように上等な魂の生物から喰らう攻撃は有効かな。だからこそ、ただの物理的現象でしかない火薬の爆発は無視できて、魔術に対して有効な結界だけを張ればいい。まぁ、それでも威力が高すぎて結界は破られたけど、あとは私の魂が君たちを上回ったというだけだよ。この『参道』が、それを証明している」
『天人』? 『参道が証明』?
今、私たちが動けないのも、魂が劣っているから?
それでも――
「魔術だけに有効な結界なんて……!」
結界系統魔術はあらゆる現象に有効。逆に言えば、あらゆる現象に反応してしまう。その対象を絞る術式構築なんて未だに発案されていない。
無理解を示す私の目を、魔人……いや、天人が見据えてくる。
「君が“可能性”を否定していいのかな? 研鑽は人類だけが取れる歩みの名ではないよ。天人という存在も含めて、君が知らないことなんてまだまだ多く残っている。私たちとしては、無力感や絶望に足を止めるのではなく、こちらまで辿り着くことを君たちに求めるよ。精々励むといいさ。そうすれば自ずと私たちの夢も理解するだろうし、私たち自身も夢に近づく。納得するかは別として、ね。彼にも言っておいてよ。きっと怒るだろうけど」
「ぐっ……!」
重圧に、喉を鳴らすことしか出来ない……!
言いたいことを全て言ったのか、スミンは立ち上がる。同時に黒い景色も晴れ渡り、目の前には崩壊した都市中央の光景が広がる。
重圧は感じなくなった。
すぐさま立ち上がり、背を向けるスミンを視界に入れて――
「っ!!」
途端に体から力が抜け、鏡剣すら手から放して前のめりに倒れ込む。
庁舎でのステアの異常……これが!
「十年……楽しかったよ」
哀愁漂うスミンの声がする。
「待て!!」
声を上げるも、スミンは止まらない。
「出来れば、そう遠くないうちに会いたいかな。だから……頑張ってよ」
一瞬の一瞥。名残惜しく、寂寥を閉じ込めた瞳。
すぐにスミンは背を向け、立ち去っていく。
「待って……」
私はただ、頼み、願い、縋ることしか出来なかった。
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<ステア視点>
「……!……ぁ……ァ……ぇ……」
んぁ……?
「ステア!!」
ぬぉっ!!
最初に声が聞こえ、ぼやけた像が輪郭をハッキリさせていって……
目の前には、白金のシゴデキお姉さん。
「フィーネ……?」
「ハァ……びっくりしたぁ……」
フィーネは息を吐きながら胸を撫でおろしている。
防寒着には血痕とコゲがあるし、ゲボっぽいのが……
体を起こしてフィーネ以外に視線を移すと、場所はどっかの建物の一室。崩れている壁からは悲惨な街並みが見える。
何してたっけ……?
イカれたおとーちゃんと……矢と……危ない粉と……ガラス玉で……芸術は爆発して……
「そうだ、スミン! 今の状況は!?」
身を乗り出すと、フィーネは伏し目がちに呟く。
「……逃げられたわ。今のところ死者はいない。重傷度でいえばあんたが一番酷かったぐらいよ」
『逃げられた』?
あれだけ……多分これまでで一番上手く決まったよな? 特等魔術士が二人いて、火薬があって、これまでの全部を突っ込んだはずだ。それで逃げられるって……完全敗北じゃん。
「あ~、なんだこれ。悔しい……スゲェ悔しい。メッチャ悔しい! 超悔しい!! クッッッソ悔しいなんだこれ!?」
それ以外の語彙が消し飛んだくらい悔しすぎる。
「ごめんなさい……」
フィーネに、心底申し訳なさそうに頭を下げられる。
そんなこと言われても……ねぇ?
「いやもう……お前らが揃ってそれなら、どうしようも出来ないでしょ。それより無事なのは分かったけど、他の奴らはどうしてる? レニットとデウスと……冒険長もか」
「今は粉々になった庁舎にいるわよ。他の住人達も集まってる。半日で色々起こったもの」
「……そっか」
ひとまず緊急性から抜けた状況に息をつき、フィーネと共に庁舎に向けて移動を始めた。
どうやら俺たち男三人は、レニットの伏魔殿内部から噴き出た爆発をモロに喰らい、都市北部の住居まで吹っ飛ばされていたらしい。高所からの落下で即死……ではなく横から建物に突っ込んでいったのが不幸中の幸いだった。家主は可哀想だけど……
フィーネもスミンに逃げられた後、俺たちの存在を思い出して救助に動いてくれたようだ。重傷度合いでいえば、デウス、冒険長、俺の順に酷かったらしい。服は焼け焦げて半裸に飛竜の革装備を着てる変態みたいになってるし、頭なんかは血がべったり。フィーネも所々言いにくそうにしてたし、グチャグチャになってたかもしれない。
そういえば形の歪んだ魔石の剣が見当たらないし、爆発の勢いでどっかに飛んだか、焼き切れたんだろう。仮にも貴重品なんだけどな。ちなみに俺の腹部に血痕が増えていることから、魔力補充のために意識不明の状態で斬られたということが分かった。
フィーネから渡されたテキトーな防寒着を着て、大きな陥没地と化した庁舎に到着。庁舎から西側の大通り周辺も土砂でグチャグチャになってる。人的被害はないみたいだが、街は結構荒らされたようだ。
レニットの失踪が発覚してから都市中の人々が捜索に動いていたが、今は瓦礫の撤去作業に勤しんでいる。困惑している様子ではあるが、呆然と立ち尽くしていたり怒号を上げている人はいない。それでも庁舎職員の人たちは一際気落ちしている様子だ。理由はまぁ……色々ありそうだけど。
そういう人並みの中、やけに人集りが出来ている中心に、子供を背負った男がいた。
赤髪が目立つ男――デウスが、この一連の事件の中心であるレニットをおんぶしている。フィーネに治療を受けたのか、目も当てられないケガを負ってたデウスは元通りの体になっている。レニットは寝ているようだ。口元が色々と汚れてそうだけど……
俺らに気付いたのか、デウスが声を掛けてきた。
「おお! ステア、無事だったか。お前が死んだら後味が悪すぎたからな」
「そいつはどうも……それより背中の、どっかに寝かしといた方が――」
「今さら離れるもんか! またどこぞの誰が手を出さないとも限らないだろ!」
デウスは目を怒らせながら声を上げる。相変わらずのようで。
「僕もいるよぉ……」
「「おわっ!」」
フィーネと一緒にビックリしながら振り向くと、背後には長身に紫の長髪を束ね、陰気を振り撒いている冒険長――ベクターがいた。
「僕ぅ……一応冒険長なんだけどさぁ……なんだか皆ぁ、彼の指示を聞きに行っちゃうんだよねぇ……」
冒険長の視線の先を辿ると、デウスが周囲の人々に瓦礫の撤去を指示している。
首長と魔術長がいない今の指示系統だと、商人長か冒険長を頭にするのが当然なんだろうが……デウスに指示を請う人々というのも大体女性で、浮ついた空気が漂っている。
「やっぱり顔なのかなぁ……」
そう言う冒険長の視線には嫉妬が混じっているように見える。
これまで覆面で隠してた顔が良いってなったら、色めき立つのは仕方ないのか。
「俺は、冒険長がちゃんと決めてくれるイケてる男って知ってますから」
「そうね。私もそう思うわ」
「二人ともぉ……!」
俺とフィーネで冒険長を励ますと、涙目になってしまった。ちょっと不憫だな。
まぁ、冒険長は置いておいて、近場にいた庁舎職員に声を掛けた。理由は単純、スミンについてだ。話をしていると、他の職員たちもワラワラと集まってきた。誰しもが真相を察していながらも、喉がつかえて口に出せない様子だ。
本当に、厄介な奴らだよ……
後の祭りだが、出来ることから手を着けていこう。




