第二十一話 『レニット・サーマル』上
とある親子の記憶――
レニット・サーマルは、愛と努力、葛藤の末にある尊い存在と言える。
彼女を語る上で、実父――デウス・サーマルの存在を避けて通ることは出来ない。
彼はルノワール帝国中部の、片田舎の村長の跡継ぎとして育った。冒険者としての実力は一等冒険者の中でも上位に位置するほどのものである。しかしながら、その能力を十全に発揮するまでもなく魔獣を討伐できたため、自身ですらその才能を理解していなかった。
デウスは、在野に埋もれた傑物だったのである。
そうした才能を持て余しながらも、次期村長として特段の問題もなく成人した。間もなく、村に立ち寄った空色の瞳と髪をした氷系統魔術士グレイス・アイシクルと意気投合。緩やかに、穏やかに仲を深め、デウスが19歳となる年に結婚。すぐに彼女との間に子を為すことは自然な成り行きであった。
異変は、妊娠5ヶ月の安定期から始まった。グレイスの体温が乱高下するようになったのだ。胎児は既に、天賦の才を惜しみなく母へ示していたのである。
グレイスの自覚症状から風邪が最初に疑われるわけだが、高温になった翌日には何事もなかったように生活できていた。医者に診せてもこれといった問題は見当たらない。このような状態を幾度となく繰り返し、臨月となった。
安定しない体調にグレイスは徐々に衰弱し、デウスは気が気でなかった。
グレイスを襲う病魔の正体が分からないまま破水、陣痛が始まる。
デウスは両親である村長夫妻と共に出産に立ち会い、母子の状態を案じた。
出産の工程自体には特段の問題もなく、陣痛開始から12時間で元気に泣く女児が取り上げられた。
後の特等魔術士――レニット・サーマルの爆誕である。
娘の誕生にデウスは感極まりながらも、苦難を乗り越えたグレイスに寄り添い、その手を握りしめて感謝を述べる。
「グレイス……本当に、ホントにありがとう!! あとは君が元気に――ッづ……!!?」
デウスは、グレイスの握り返しに悶絶する。一等の中でも上澄みな彼の手が圧し折られたのである。
混乱に頭の中を支配され、これまで自分に暴力的な行為など振るわなかった妻の顔を伺う。産後の絶大な疲労に満たされていながらも、空色の瞳は強い、圧倒的な“何か”を訴えている。グレイスの口は微かに動いているが、音には成らず意図を汲み取れない。
さらに混乱が極まる中、室内に産婆の悲鳴が響き渡る。
反射的に振り返ると、赤子が浸かる産湯が凍り付いている。
異常事態に産婆は言葉にならない絶叫を上げながら部屋を走り去ってしまった。村長夫妻は唖然としている。理解できない光景にデウスは完全にフリーズ。
この混乱に対する答えを得るため、グレイスに縋る。もはや手の痛みなど感じない。
グレイスは娘の周りの異様な光景を見届けていた。彼女は再度デウスの手を握りしめ、声を振り絞る。
「お願い……!!」
あまりにも小さい声量だが、ようやくデウスは聞き取れた。
何を――と尋ねようとしたところで、あれほど力強かった妻の手が、溶け出すように自分の手からすり抜けていった。
「グ、グレイス……? なぁ……グレイス! 目を開けてくれ!! 頼むから!!!」
未来を託して安らかに逝った妻へ縋り訴える夫の叫びと、赤ん坊の泣き声が部屋に響く。
いつしか、部屋に火が付いた。
デウスは村長に殴られて初めて火災に気づき、グレイスの亡骸を抱えて建物から脱出した。赤ん坊は産湯に入れられたまま村長に運ばれた。建物から脱出する頃には火は全体に回り、最終的には全焼した。レニットは泣き止んでおり、安らかに寝ている。気付けば、赤ん坊を包んでいた氷はぬるま湯に変じていた。
デウスは目の前で起こる事象を、ただ茫然と受け入れるしかなかった。
以上が特等魔術士の誕生の顛末であり、客観的にはこうまとめられる。
生まれ持った絶大な力によって最初に殺した生き物は、災いを齎す魔獣でも、卑劣な犯罪者でもなかった。
この世に誕生させてくれた、母親だったのである。
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デウスはレニットが生まれてから、母の助けも借りながら一週間世話をしてきた。何とか赤子の命は繋げられているが、その返礼とばかりに齎される暴威には為す術が無かった。
吸熱によって家のモノがことごとく凍り付き、ひび割れて壊れる。
放熱によって一日に何度もおくるみが燃えるだけでなく、家にも小火が発生した。
温度の急激な乱高下にデウスの父――現村長が体調を崩すほどである。この時点でレニットの存在は魔獣以上に害悪であると認められる。
レニット誕生に際した火災事件は村の誰もが直接目にしたため、この元凶となったレニットは忌み子として忌避された。初孫の誕生を喜ぶべきである村長もレニットを処分するという考えが何度も頭を過った。デウスもその考えが理解できないわけではない。
しかしながら、妻の最期の言葉がデウスの頭から片時も離れない。
ここでレニットも喪えば、グレイスの遺志は無意味なものになる。
そんなことはあってはならない。あってたまるものか。
「レニットは……俺が育てる……!!」
レニットを胸に抱き、父母にハッキリと宣言した。
そして、言葉にしたことで悟る。自分の残りの人生は、この娘に捧げられるものであるのだと。
こうなった後のデウス・サーマルの動きは早い。
レニットを恐れる村人たちの心境に配慮し、村から離れた森の奥に木造の小屋を建てて住むことにした。片時もレニットから目を離せないため、冒険者を辞め、村の財政を管理する仕事を父から受け持った。当然、冒険者であったデウスにとって事務仕事は不慣れであり、非常に苦痛であった。しかし、娘を育てるために働く必要はあり、弱音を吐くことなく取り組んだ。
祖父母となった村長夫妻は、初孫にどう接すればいいか分からなかった。デウスもその様子は察し、無理に彼らと引き合わせようとしなかった。レニットからすれば、未だに祖父母との面識がないまま13年が過ぎた。
話を戻すが、妻を喪って心痛止むことのないまま新たな仕事に勤しむ父を気遣うことなく、レニットは本能のままに力を撒き散らす。
泣く度に吸熱と放熱を繰り返し、デウスの自律神経を滅多打ちにした。
それだけではない。
ある時は、父が持つ哺乳瓶を凍らせて、満たされない空腹にさらに泣き叫ぶ。
ある時は、父が入っている浴槽を凍らせて体の芯から冷やす。
ある時は、父が冷ました離乳食を匙が持てなくなるほど加熱させる。
ある時は、父が時間を掛けてまとめた年間経理の資料を全て燃やす。
このような暴挙をデウスは甘んじて受け入れながらも、懸命にレニットの世話をした。幸いにも、人並みに子供の成長を喜ぶことはできた。
寝返りに始まり、立ち上がって歩き始め、「おとーたん」と発話する。
グレイスがレニットの成長を見ればどう反応しただろうか。そんな考えが常に過り、感動と苦痛を同時にレニットから与えられる日々だった。
普段の世話に加えてデウスが苦心したのは、レニットに与える玩具などの遊び道具である。
レニットを外に連れ出すことは出来ない。森の中が危険というだけでなく、外界への興味を持たれた場合にレニットを制止することが出来なくなる。
そのため、レニットが寝静まった深夜に村に戻り、立ち寄った行商人が持つ玩具や絵本をあるだけ買い込む。絵本については、冒険譚や“母”という存在が含まれる内容は除くことに腐心した。父の苦心を知らないレニットにとっては、月に一度は真新しいモノが増える飽きない環境だったであろう。
モノで溢れる家の中、レニットが熱中したのはお絵描きだった。幼子はクレヨンを握りしめ、一心不乱に白紙に殴り描きする。やたらめったら白紙を埋めるだけの時もあれば、歪んだ図形を描く時もある。たまに積み木や絵本を観察しては、拙くも模写していた。
デウスにとっては、絵を描いている間のレニットは非常に静かになり、魔術を発動しなくなるため大助かりだった。そんな中でも紙がなくなり、床に描き始めたレニットを注意した時は癇癪を起こされ、家が火事になった。なんとか宥めて、デウスが近くの川から水を汲んで消火するに至る。それからは予備のクレヨンと紙を大量に取り置くことを心掛けている。
このような生活を続け、レニットは無事に3才を迎えることが出来た。
デウスは事務仕事に慣れ、万が一のために石材を取り寄せて石積みの家を建てる作業を始めた。
ある日のこと――
壁面を積み終えて家に戻ってきたデウスに、頬を紅潮させたレニットが小さな体に不釣り合いな紙を持ってよたよたと駆け寄ってきた。
「おとーちゃん! これ……おとーちゃん!」
満面の笑みでデウスに突き出した紙には、線が歪んでいながらも人の顔と思しき絵が描かれていた。赤い短髪に、目が赤い丸で表現されている。間違いなく、レニットがデウスを描いたのである。
「あっ……」
その事実を理解した瞬間、デウスの脳内を凄まじい衝撃が駆け巡った。
これまで、デウスはレニットのことを“グレイスが生きた証”として大事に育てていたのである。レニットを失えばグレイスとの絆がこの世に何一つ残らない気がして、恐れていたのである。無償の愛などとは到底言えないものをレニットに与え続けていた。
にも関わらずレニットは、デウスがレニットの『おとーちゃん』である証を形にしてくれたのである。
客観的に見れば、この時点のレニットが知る人間など目の前にいる男以外に存在しない。その男が『おとーちゃん』と呼ばせてくるのだから、それ以外に男を指し示す表現をレニットが知るはずもない。まさしく雛鳥の刷り込みとなんら変わらない。デウス自身、この機械的な事実を直感はしていた。
「あ”ぁ”……!!」
けれど、零れ続ける涙を止めることなど、彼には出来なかった。
レニットは、“グレイスの娘”などではない。
“グレイスとデウスの娘”なのである。
レニットがそうさせてくれる。
自分が“レニットの父”であるという事実に、デウスが初めて自覚したのである。
レニットの眩しすぎる笑顔に、これまでやってきたことがただの自己満足ではなかったと証明される。無駄などではなかった。この無邪気な存在が自分を父親にしてくれた。それだけで、何もかもが救われたのである。
デウスはとめどなく溢れる感動を一人で完結させることが出来ずに、レニットを抱きしめた。これまでレニットから抱き着いたことはあっても、デウスからレニットを包むように抱いたことはなかった。
レニットは初めて全身に感じる父の体温に歓喜した。その熱を余さず感じ取る為に、自身の力を本能的に行使する。
これによって浮かされるほどの熱に包まれたレニットに対し、デウスはお腹を冷やして下痢になった。
この時、二人は改めて親子としての人生を歩み始めたのである。
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石積みの家も無事に完成し、レニットは4才になった。
精神がそれなりに安定し、熱量を操作して暴走することなど月に一度あるかないかまでになった。
心身ともに余裕が生まれたデウスに、次なる問題が襲い掛かる。
レニットが来年に控える、初等学校への入学である。
デウスは現在の生活を健全だと捉えていなかった。人格、引いては人生を形作るのは、他者との関わりである。異能を持ち合わせていようと、レニットも例外ではないはずだ。ただし、この異能が何よりも障害となってレニットの未来を阻む。
就学における一番の問題は、集団生活によって発生する衝突である。
ケンカというものはあくまで同レベルであるからそう呼べるのであって、このパワーバランスが崩れたら紛れもなく蹂躙になる。
そして、レニットと釣り合うだけの力を持っている存在など、世界の中でも数えられるほどしかいない。デウスはその事実を薄々気付いていた。
自分としか意思疎通したことのないレニットがどの程度の人見知りをするのか分からず、そもそも村では未だに忌み子として恐れられている。子供社会で排斥されるなど想像に難くない。
自分ではどうしようもない事実を理由に悪意を向けられた時、レニットはどうするか……最悪の想像が容易に浮かぶ。
大前提、レニットを物理的に制止できる人物が近くにいなければならない。
そのような人物を探し求めるが、こんな森に都合よく現れるはずもない。放浪していると噂されている当代最強――【戦姫】に娘を任せられれば、どれだけ安心できることか。
そんな非現実的な思考に逃避しながらも、この日もデウスは物資を買うため、夜な夜な村へ足を向ける。




