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黒鷹の傭兵  作者: 轟次郎
第1章 シュトラ編
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第5話 危険な依頼

 宿屋ノックス・一階食堂


 依頼の話は、宿屋ノックスの一階で聞くことになった。

 昼前の食堂には、まだ客が少なかった。その奥の卓を一つ借り、ブロムスの灰鷹の面々が集まる。


 ジュドは卓の端に座り、リッカはその隣で依頼書らしき紙束を広げていた。


 ミリアは椅子の背にもたれ、ガルネは壁際に無造作に立っている。


 フィリアは少し離れた椅子に腰掛け、ダインは落ち着かない様子で卓の端を指で叩いていた。


 アルは、ジュドの斜め後ろに立っていた。

 まだ、この団の中で自分がどこに立てばいいのか、よく分からない。


 だが、仕事の話になると、灰鷹の空気は少し変わる。軽口は減り、それぞれが相手の話を聞く姿勢になる。


 小さな傭兵団。

 若い団員たち。

 女の多い、少し変わった一団。


 それでも、彼らは遊びで傭兵をしているわけではないのだと分かる。


 少しして、リッカが連れてきた男が卓の前に座った。


 痩せた中年の男だった。

 身なりは悪くない。


 商人ほど派手ではないが、服は整っており、手には革紐でまとめられた書類を持っている。


 町役場の者。


 あるいは、町長の側で事務を担う人間だろう。男は灰鷹の面々を見て、一瞬だけ不安そうな顔をした。


 若い者が多い。

 女も多い。


 頼りになるのか。

 そう思ったのかもしれない。


 だが、すぐに姿勢を正し、ジュドへ頭を下げた。


「町長の使いで参りました。ラザと申します」


「ブロムスの灰鷹の団長、ジュドだ」


 ジュドは座ったまま答えた。無礼というより、相手の出方を見ているようだった。


「依頼の話だと聞いた」


「はい」


 ラザは書類を卓の上へ置いた。


「町長より、北西の旧街道で続いている被害について、調査と、可能であれば原因の排除を依頼したいとのことです」


「被害?」


 ジュドが短く聞き返す。


 ラザは頷いた。


「最初は事故だと思われていました。馬が怯えた。荷車が傾いた。御者が怪我をした。そういう話でした」


「今は違うと?」


「はい。事故ではありません」


 ラザは一枚目の書類を開いた。


「襲われているのは、人間です」


 その言葉で、卓の周りの空気が少し変わった。


 アルは黙ってラザを見た。


「人間?」


 ジュドが聞き返す。


「はい。品物や積み荷には、ほとんど手がつけられていません。荷車が壊された例はありますが、それも荷を奪うためではなく、人を襲った時に巻き込まれて壊れたように見えるそうです」


「確かに、盗賊ならまず荷を奪うわね」


 ミリアが眉をひそめる。


「はい。町でも最初は盗賊か獣を疑いました。ですが、金品は残され、馬や家畜が食われた形跡もありません」


 ラザは言葉を選ぶように続けた。


「なぜか人だけが、襲われているのです」


 ダインが唾を飲み込んだ。


 フィリアは膝の上で手を握る。


 アルは何も言わなかった。


 金も奪わない。

 荷も奪わない。

 馬も食わない。


 人間だけを襲う。


 その異常さは、ラザの言葉が終わる前から、すでに胸の奥へ沈んでいた。


「被害は何件だ?」


 ジュドが尋ねる。


「はっきり確認できているだけで三件です。ですが、噂まで含めれば、もう少しあるかもしれません」


「死者は?」


 ラザは一瞬、口を閉じた。


「……死亡したと思われる者が、二名です」


「思われる?」


「はい」


 ラザは苦しげに頷いた。


「戻ってきた者たちの証言では、仲間が斬られ倒れたと。助からない傷だったと。ですが、危険すぎて旧街道へ近づけず、まだ遺体を連れ帰ることができていません」


 食堂の音が、少し遠くなった。


「つまり、証言上の死者が二名。実際の確認はできていない、ということだな」


「はい。負傷者は五名ほどです。軽傷者を含めれば、もう少し増えるかもしれません」


 リッカの表情が険しくなる。


「それだけ出ていて、まだ原因が分からないの?」


「はい。戻ってきた者も、相手の姿をはっきり見ておりません」


 ラザは書類を握る手に力を込めた。


「町でも、警備の者と商人の護衛を数名出して、原因の確認に向かわせました」


「それで?」


 ジュドの声が低くなる。


「全員、戻っては来ました」


 ラザはそこで一度、言葉を切った。


「ですが、原因の確認はできておりません」


「見えなかったのか?」


「はい。旧街道の奥へ入ったところで、いつの間にか襲われていたそうです。正面からではなく、背後や側面から斬られることが多く、振り返った時にはもう誰かが倒れていた、と」


 ラザは握っていた書類へ視線を落とした。


「姿を追おうとしても、黒い影のようなものが走ったように見えるだけだったそうです。結局、彼らはほうほうの体で逃げ帰るしかありませんでした」


「原因は分からないままか」


「はい。分かったのは、あの道に近づけば襲われるということだけです」


 ラザの声が少し沈んだ。


「そのため、以前の襲撃で倒れた方々のご家族から、せめて遺体か遺品だけでも取り戻してほしいと、町長のもとへ訴えが来ています。ですが、町だけではもう旧街道へ近づけません」


 フィリアが膝の上で手を握り、口を開く。


「聖教会に、討伐を依頼しては? 街中にも何人かいますよね?」


 ラザが苦い顔をする。


「色々理由をつけて、すでに断られました」


「役に立たないな」


 ガルネの表情からも、いつもの軽さが消えていた。


「傷は、どんなものだ?」


 アルが初めて口を開いた。


 ラザは少し驚いたようにアルを見た。

 それまで黙っていた黒衣の男が、急に核心を尋ねたからだろう。


 だが、ジュドは特に止めなかった。


「話してくれ」


 ジュドが短く促す。


 ラザは小さく頷いた。


「生きて戻った者の話では、ほとんどが切り傷です。背後や側面から斬られたような傷が多いと聞いております」


「切り傷か」


「はい。深く、鋭い傷です。鎧の隙間や首元、肩口を裂かれていた者もいたそうです」


「噛み傷ではない」


「違います」


「鈍器でもない」


「はい。ほとんどが、刃物で斬られたような傷だと」


「槍や剣の傷とも違うのか」


「はっきりとは。ただ、あまりにも速かったと。風が通ったと思ったら、隣にいた者が倒れていた。黒い影が走ったように見えた。そう言う者もおります」


 アルは黙った。


 鋭い切創。

 人間だけを狙う異常性。

 相手の姿をまともに見た者はいない。


 確認に向かった者たちは、原因を掴むこともできず逃げ帰ってきた。


 それは、アルの記憶にあるものと重なっていく。


 両腕、あるいは手先に備えられた鋭利な刃。

 命令に従い、人間を殺すためだけに動く兵器。

 恐れもせず、痛みで止まらず、迷うこともない。


 マーダードール。


 今の時代では、悪魔人形と呼ばれているもの。


「旧街道は今どうなっている?」


 ジュドが尋ねた。


「誰も使いたがりません」


 ラザは首を横に振った。


「正式には封鎖しておりません。ですが、商人も旅人も怖がって、最近はほとんど通らなくなりました。北西へ抜けるには便利な道です。あの道が使えないと、荷の流れにも影響が出ます」


「町としては困るわけだ」


「はい」


 ラザは深く頷いた。


「町長は、原因を調べ、できれば排除してほしいと望んでおります。報酬は、調査と原因の排除で別になります」


 リッカが書類を受け取った。


 彼女の顔つきが変わる。

 戦いの話をする時とは違う。

 契約を確認する者の目だった。


「前払いは?」


「調査に出ていただけるなら、金貨一枚を」


「調査だけでも、金貨一枚」


 リッカが小さく呟いた。

 その声に、ほんのわずかだけ明るさが混じった。


 金額としては、灰鷹にとって悪くない。

 いや、かなりありがたい額だった。


 だが、すぐにミリアが横から言った。


「リッカ。顔に出てる」


「出てない」


「出てるわ」


「……少しだけ」


「危険な依頼よ」


「分かってる」


 リッカは少しだけ肩をすくめた。


「でも、うちにとって大きい額なのは本当でしょ」


 その言葉に、誰もすぐには反論しなかった。


 ジュドは依頼書へ視線を落とす。


「原因の排除までできた場合は?」


 リッカが続きを尋ねる。


「その場合は、別途、金貨四枚をお支払いします」


「調査で金貨一枚。原因排除で追加金貨四枚」


 リッカは紙の端に指を置いた。


「合わせて金貨五枚ね」


 ダインが目を丸くした。


 ガルネもわずかに眉を上げる。


 金貨五枚。


 小さな傭兵団にとって、軽い額ではない。


 だが、それは命に見合う額かと問われれば、誰もすぐには答えられなかった。


「遺品の回収や、遺体の確認は?」


「可能であれば、別途ご相談を、と町長からは聞いております。ただ、町としては、まず原因の確認と、可能であれば排除を優先したいとのことです」


「怪我人が出た場合の治療費は?」


「町の施療所で対応できる範囲なら、町が負担します」


「できる範囲、ね」


「はい」


「死亡時の補償は?」


 ラザは言葉に詰まった。


 それだけで答えは分かった。


「ないのね」


「……町の予算にも限りがありまして」


「分かった。書いていないなら、ないということね」


 リッカは淡々と紙へ目を戻した。


 ジュドは依頼書を受け取り、しばらく黙って眺めた。


「報酬は悪くない」


「はい」


「うちには十分大きい額だ」


「それだけ、町としても困っております」


 ラザは頭を下げる。


「旧街道を使えるようにするためにも、倒れた者たちをそのままにしないためにも、どうか、この依頼を受けていただきたいのです」


 アルはそのやり取りを横で聞いていた。


 報酬は悪くない。

 条件も、表面だけを見れば悪くない。


 調査だけでも金貨一枚。

 原因の排除までできれば、さらに金貨四枚。

 灰鷹がトランへ戻るための資金としては、大きいはずだ。


 だが、危険すぎる。


 相手をまともに見た者はいない。

 負傷者が出て、遺体も回収できていない。


 盗賊でも獣でもない。

 事故などでは、ありえない。


「アル」


 ジュドがこちらを見た。


「どう思う」


 アルは顔を上げた。


 食堂の奥の卓に、灰鷹の視線が集まる。


「かなり危険だ」


 短く答えた。


「理由は」


「普通の相手ではない」


 アルはラザの書類を見た。


「獣でも盗賊でもない。人間を殺すことそのものが目的になっている可能性が高い」


 ラザの顔が青くなる。


 ダインが小さく喉を鳴らした。


 ジュドは目を細める。


「何だと思う」


 アルはすぐには答えなかった。

 答えは、胸の奥にある。


 ラザの話を聞いた時点で、ほとんど形になっていた。


 しかし、それをここで口にするべきかは別だった。


 この場には灰鷹の全員がいる。

 町長の使いであるラザもいる。


 自分がその名を知っている理由を、説明しなければならなくなるかもしれない。


 まだ早い。

 アルはそう判断した。


「心当たりはある」


 その一言で、卓の空気が変わった。


 ジュドの目がわずかに鋭くなる。


「話せるか」


「ここでは、あまり話したくない」


 ミリアが眉を寄せる。


「どういうこと?」


「確かなことではない」


 アルはそう言ってから、ジュドを見た。


「だが、もし俺の考えている通りなら、少人数で正面から向かうべき相手ではない」


 静かになった。


 リッカが依頼書を握る手に力を込める。


 ガルネは黙ってアルを見ていた。


 フィリアは不安そうに膝の上で手を重ねている。


 ダインは何か言いたそうにしたが、言葉が出ないようだった。


 ラザは青い顔のまま、アルとジュドを見比べていた。


「この場ですぐには決められない」


 ジュドがラザへ視線を戻した。


「もちろんです」


 ラザは慌てて頷いた。


「ただ、町長としては、できれば今日中に返答をいただきたいと」


「今日中か」


「はい。このまま旧街道を避ける者が増えれば、町に入る荷にも影響が出ます。商人たちも、別の道を使うと言い始めています」


「分かった」


 ジュドは報酬の紙をリッカへ渡した。


「条件は預かる。こちらで確認して、夕方までに返事をする」


「ありがとうございます」


 ラザは深く頭を下げた。


「町長も、灰鷹の皆様に期待しております」


 その言葉に、ミリアがわずかに眉を動かした。


 期待。


 便利な言葉だった。


 ラザはもう一度頭を下げ、リッカに案内されて食堂を出ていった。


 扉が閉まる。

 足音が遠ざかる。


 卓の上には、重い沈黙が残った。

 誰もすぐには口を開かなかった。


 報酬は悪くない。

 小さな傭兵団にとっては、十分すぎるほどの額だった。


 だが、旧街道に何がいるのか分からない。

 町の警備の者たちでさえ、原因を確かめられずに逃げ帰っている。


 相手の姿も分からない。

 ただ、人だけが斬られる。


 そして、荷には手がつけられていない。


 アルは黙っていた。


 心当たりはある。

 あるどころではない。


 ラザの話を聞いた時点で、胸の奥に浮かんだものがあった。


 マーダードール。


 今の時代で、悪魔人形と呼ばれているもの。

 だが、ここでそれを口にするべきではない。


 この場には、ラザの話を聞いた直後の灰鷹の仲間たちがいる。


 恐怖もある。

 金への迷いもある。


 そして、アル自身の知識がどこから来たのかを、説明しなければならなくなる。


 まだ早い。

 アルはそう判断した。


「ジュド」


 アルは静かに言った。


「少し、二階で話せるか」


 ジュドがこちらを見る。


 その目は、アルが何かを知っていることに気づいていた。


「……分かった」


 ミリアがすぐに顔を上げる。


「私たちは?」


「少し待っていてくれ」


「ジュド」


「すぐ戻る」


 ミリアは不満そうだったが、それ以上は言わなかった。


 ジュドは立ち上がった。

 アルもその後に続く。


 階段へ向かいながら、アルは黒喰の柄へ軽く触れた。


 悪魔人形。

 旧街道。

 聖教国家。


 そして、アルミドの悪魔。


 知るべきことは増えるばかりだった。


 だが、まずはジュドにだけ話す。


 どこまで明かすか。

 何を隠すか。

 それを間違えれば、この小さな傭兵団まで巻き込むことになる。


 アルは息を殺すように、二階へ上がった。

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