第3話 ブロムスの灰鷹
宿屋ノックスは、シュトラの南側にあった。
酒場の親父から聞いた通り、通りを二本曲がった先に、古びた木造の宿が見えた。看板には、黒い塗料で大きく「ノックス」と書かれている。文字の下には、鳥の羽のような絵が彫られていた。
古い。
だが、人の出入りはある。
入口の横には荷車が一台置かれ、その上に麻袋と革袋が積まれていた。
馬小屋からは馬の鼻息が聞こえる。
アルクスは一度だけ周囲を見た。
聖印をつけた通行人が何人か通り過ぎていく。
角には白と灰色の外套をまとった警備の男が立っていた。
こちらを見ている。
ただ、すぐに視線は外れた。
左腕の籠手。
右脚の脚甲。
腰の黒喰。
今のアルクスは、ボロ布を巻いた怪しい旅人ではなく、武具を身につけた傭兵らしき男に見えるはずだった。
実際に傭兵かどうかは別として、アルクスは扉を開けた。
中は、酒場ほど広くはなかった。一階は食堂を兼ねているらしく、卓がいくつか並んでいる。
昼を過ぎた時間だからか、客は少ない。
奥の台所から、鍋をかき混ぜる音がした。
帳場にいた年配の女が顔を上げる。
「泊まりかい」
「人を探している」
「誰だい」
「ブロムスの灰鷹」
その名を口にした時、アルクスの中で何かが引っかかった。
ブロムス。
聞き覚えのある名だった。アルミドの北方に、そんな名の小さな村があったはずだ。
大きな村ではない。
行商人が時々寄る程度の、山沿いの村。
なぜ、その村の名を傭兵団が名乗っているのか。
アルクスは一瞬だけ考えたが、今ここで深く掘ることではなかった。
その名を出すと、女は「ああ」と短く頷いた。
「あの子たちかい」
あの子たち。傭兵団に対する呼び方としては、少し奇妙だった。
少なくとも、荒くれ者の集まりに向ける響きではない。
「二階の奥だよ」
女は顎で階段を示した。
「鍵は開いてると思う。用があるなら直接行きな」
「いいのか」
「依頼なら、あの子たちも助かるだろうさ。違うなら、自分で追い返すよ」
「依頼ではない」
「じゃあ、なおさら自分で言いな」
女はそれだけ言うと、帳簿へ視線を戻した。アルクスは短く礼を言い、階段を上がった。
二階の廊下は狭い。
床板が、歩くたびにわずかに軋む。
奥の部屋から声が聞こえた。
「だから、それじゃ足りないって言ってるでしょ」
「分かってる」
「分かってる顔じゃない」
「俺はいつもこういう顔だ」
「なお悪いわ」
若い声だった。
言い合いではあるが、険悪ではない。
遠慮がない。
近すぎる者同士の会話だった。
アルクスは扉の前で足を止める。
ノックしようとした瞬間、扉が内側から開いた。出てきたのは、若い女だった。
革の胸当てを身につけ、腰に短剣を下げている。
髪は後ろで一つに束ねられていた。
年は二十代半ばほどか。
女はアルクスを見て、少し目を細めた。
「何か用?」
「ブロムスの灰鷹を探している」
「うちだけど」
あっさりした返事だった。女はアルクスの籠手と脚甲、腰の剣を順に見る。
「依頼人?」
「いや」
「じゃあ何?」
「入れてほしい」
「入れてほしい?」
「団にだ」
女は一瞬だけ目を丸くした。
それから、部屋の中へ顔を向ける。
「ジュド。入団希望だって」
部屋の中が、急に静かになった。
椅子を引く音がする。
奥から一人の男が出てきた。
若かった。
二十二、三ほどだろうか。
背は高すぎず、体つきも重戦士というほどではない。だが、立ち方に隙は少ない。
腰には剣。
目は若いが、ただの若造ではなかった。
「入団希望?」
男はアルクスを見た。
「ああ」
「うちは大きな団じゃないぞ」
「聞いている」
「金払いも良くない」
「構わない」
「危険はある」
「それも構わない」
男は黙ってアルクスを見た。
探るような目だった。
アルクスもまた、男を見返す。
部屋の中には、他にも人がいた。
ほとんどが若い。
そして、女が多かった。
最初に扉を開けた女。
窓際に立つ、弓を持った若い女。
卓に腰掛けた短い髪の女。
荷袋の中身を確かめている女。
奥に若い男が一人。
全員合わせても、五人か六人。
傭兵団と呼ぶには、かなり小さい。
アルクスが知っている傭兵団とは、ずいぶん違った。
もっとも、アルクスが知っている傭兵団など、今の時代ではもう古いのかもしれない。
男が言う。
「名前は」
アルクスは一瞬だけ迷った。
本名は名乗れない。
アルクス・バーレーンファイド。
その名が今の世界でどう扱われているのか、まだ分からない。
壊された石像。
削られた名。
悪魔という文字。
それらが頭をよぎる。
「……アルド・ロイドだ」
口にしてから、自分でも少し馴染まない名だと思った。
だが、もう言ってしまった。
「アルでいい」
「アル、か」
男は頷いた。
「俺はジュド。ブロムスの灰鷹の団長だ」
アルクスは、わずかに眉を動かした。
「団長?」
「ああ」
「お前が?」
言ってから、少し失礼だったかと思った。
だが、ジュドは怒らなかった。
むしろ、慣れているように肩をすくめる。
「よく言われる」
部屋の中で、誰かが小さく笑った。
「団長に見えないのは分かってる。でも団長だ」
「そうか」
「腕は立つのか」
「少しは」
「少し、ね」
ジュドはアルクスの腰の剣を見る。
「傭兵経験は」
「ある」
「どこの団だ」
「昔の話だ」
ジュドの目がわずかに細くなった。
だが、それ以上は聞かなかった。
アルクスも、自分から語るつもりはない。
短髪の女が口を挟む。
「人手は足りてないでしょ。でも試験くらいしてもいいんじゃない?」
「そうだな」
ジュドは頷いた。
「アル。試験を受ける気はあるか」
「ああ」
「簡単な手合わせだ。殺し合いじゃない」
「分かっている」
アルクスはそう答えてから、ふと尋ねた。
「団長に言わなくていいのか」
ジュドは一瞬ぽかんとした。
次に、部屋の中で笑いが起きた。
最初に扉を開けた女が、口元を押さえている。弓を持つ女も肩を震わせていた。
ジュドは少しだけ顔をしかめる。
「だから、俺が団長だ」
「……そうだったな」
「今ので少し傷ついたぞ」
「すまない」
「いや、慣れてる」
ジュドは扉の方へ向かった。
「外へ出よう。ここじゃ剣を振れない」
宿屋の裏には、小さな空き地があった。荷物置き場と馬小屋の間にある、踏み固められた地面だ。
剣を軽く合わせるくらいなら十分だった。
■宿屋の裏
外へ出て周囲を確認していると、ジュドは木剣を二本持ってきた。
その一本をアルクスへ投げる。
アルクスは受け取った。
軽い。
あまりにも軽い。
だが、その感想を顔には出さなかった。
今の自分がどれほど動けるのか、まだ完全には分からない。
力を出しすぎれば、木剣を砕くかもしれない。
相手を傷つけるかもしれない。
だから、力は抜く。
それだけを意識した。
灰鷹の団員たちは、少し離れた場所で見ている。
最初に扉を開けた女。
弓持ちの女。
短髪の女。
荷袋を確認していた女。
若い男。
全員が、興味半分、不安半分といった顔をしていた。
ジュドが木剣を構える。
構えは悪くない。
若いが、鍛えている。
重心も安定している。
視線も逃げない。
だが、アルクスには見えすぎた。
肩の力。
踏み込みの癖。
剣先の揺れ。
次にどう動くかまで、分かってしまう。
アルクスは自分の異常さを、改めて思い知った。
これが今の時代の傭兵の実力なのか。
それとも、この若い団長がまだ未熟なのか。
判断はつかない。
だが、少なくとも、殺す必要はない。
勝つ必要すらない。
相手に、使えると思わせればいい。
「始めるぞ」
ジュドが言った。
「ああ」
次の瞬間、ジュドが踏み込んだ。
速い。
普通の相手なら、十分に速い一撃だった。
アルクスは半歩だけ足を引く。
木剣を斜めに当てる。
乾いた音が鳴った。
ジュドの剣が流れる。
ジュドはすぐに体勢を立て直し、二撃目を放った。
アルクスはそれも受けた。
受けるというより、触れただけだった。
力を込めれば、ジュドの剣ごと弾き飛ばせる。
踏み込めば、喉元まで届く。
だが、それはしない。
アルクスは剣の腹で軌道をずらす。
ジュドの目が変わった。
三撃目。
今度はフェイントを混ぜてくる。
アルクスは動かない。
ぎりぎりまで待ち、本命の一撃だけを軽く受け流した。
木剣の先が、ジュドの肩口に触れる。
止めた。
ほんの軽く。
触れただけ。
だが、それで十分だった。
ジュドは動きを止めた。
団員たちも黙った。
風の音だけが聞こえる。
ジュドは自分の肩口に触れた木剣を見て、それからアルクスを見た。
「……合格」
「もういいのか」
「ああ。十分だ」
ジュドは木剣を下ろした。
額に汗が浮かんでいる。
だが、表情は悔しさよりも、驚きの方が強かった。
「本当に少しは使えるんだな」
「少しは、と言った」
「今のを少しって言うのは、あまり信用できないな」
ジュドは苦笑した。
最初に扉を開けた女が、腕を組んでアルクスを見る。
「今、何をしたの?」
「剣を合わせただけだ」
「それで終わったように見えたけど」
「終わったんだろう」
女は少し呆れた顔をした。
弓を持つ女が、興味深そうにアルクスを見ている。
若い男は、口を半開きにしていた。
ジュドが木剣を片づけ、アルクスへ手を差し出す。
「改めて。ジュドだ。ブロムスの灰鷹の団長をしている」
アルクスはその手を見た。
握手。
昔も、傭兵同士でよく交わした。
だが、なぜかひどく遠いものに思えた。
アルクスは右手を出した。
左腕は籠手の下に隠したままだ。
ジュドの手を握る。
力を入れすぎないよう、慎重に。
「改めて、アルド・ロイドだ。アルでいい」
「分かった。アル」
ジュドは頷いた。
「ブロムスの灰鷹へようこそ」
その言葉を聞いた時、アルクスは少しだけ息を止めた。
ようこそ。
その言葉を向けられたのは、いつ以来だろう。
分からない。
だが、悪い響きではなかった。
ジュドは団員たちを振り返る。
「順番に名乗れ。新入りだ」
「今決めたばっかりじゃない」
最初の女が言う。
「今決めた」
「軽い」
「人手が足りない」
「それはそう」
女はため息をつき、アルクスへ向き直った。
「ミリアリア。ミリアでいい。短剣と雑用」
「雑用という役があるのか」
「あるの。うちみたいな小さい団にはね」
ミリアはそう言って肩をすくめた。
次に、弓を持つ女が少しだけ前に出た。
だが、彼女はアルクスと目が合うと、すぐに視線を落とした。
まだ若い。
十七、十八ほどだろうか。
細身で、声も小さい。
弓を持っているが、立ち姿には戦い慣れた者の鋭さよりも、どこか控えめな気配があった。
「フィリア……です。弓を、少し」
「私の妹」
ミリアが横から言った。
「妹か」
「そう。うちの大事な妹」
ミリアが当たり前のように言うと、フィリアは少し困ったように肩をすぼめた。
アルクスはフィリアを見た。
この子が、傭兵団でどれほど動けるのか。
弓を少し、と本人は言った。
だが、戦場に立つ者として見れば、あまりにも細く、あまりにも若い。
危険な仕事に連れていくには、不安が残る。
そう思った時、横からリッカが静かに言った。
「フィリアは料理が上手いよ」
アルクスはリッカを見る。
リッカは荷袋を抱えたまま、淡々と続けた。
「料理だけじゃない。針仕事もできるし、荷物の整理も丁寧。火の扱いも上手い。旅をしていると、そういう人間が一番ありがたい時がある」
「戦えない者にも、役割はあるということか」
「そういうこと」
リッカは少しだけ目を細めた。
「今、この子が役に立つのかって顔をしたでしょ」
アルクスは返答に一瞬詰まった。
「……顔に出ていたか」
「少しだけ」
「悪かった」
そう言うと、フィリアが慌てたように首を横に振った。
「い、いえ。私、戦いはあまり得意じゃないので」
「でも飯はうまい」
ガルネが大きく頷いた。
「フィリアの飯がなかったら、私はたぶん何度か倒れてる」
「食べすぎなだけでしょ」
ミリアが言う。
「動くには食べる必要がある」
「だからって人の分まで見ないでよ」
軽いやり取りが戻ってくる。
アルクスはもう一度、フィリアを見た。
彼女はまだ少し恥ずかしそうにしている。
だが、他の団員たちは、当然のようにフィリアを受け入れていた。
戦う者だけが傭兵団を支えているわけではない。そういうことなのだろう。
アルクスは小さく頷いた。
「覚えておく」
フィリアは少し驚いたように顔を上げ、それから小さく頷き返した。
短髪の女が片手を上げる。
「ガルネ。前に出る係。アル、あんた相当やるでしょ」
「少しは」
「その返事、信用しないことにする」
ガルネは笑った。
荷袋を確認していた女は、少し遅れて口を開く。
「リッカ。治療と荷物の管理。契約も見る。戦うのはあまり得意じゃない」
「契約もか」
「うちで条件を確認しないと、ジュドが変な仕事を持ってくるから」
「変な仕事って何だ?」
ジュドが眉を寄せる。
「報酬だけ見て危ない仕事を受けそうになること」
「……否定しにくい」
ジュドは少し視線を逸らした。
最後に、若い男が慌てて背筋を伸ばした。
「ダイン。剣を使う。まだ半人前だけど」
「ダインはすぐ慌てる」
ミリアが言った。
「言わなくていいだろ」
ダインは少し赤くなった。
アルクスは彼らを順に見た。
ジュド。
ミリア。
フィリア。
ガルネ。
リッカ。
ダイン。
六人。
アルクスを入れて七人。
小さな傭兵団だった。
そして、変わった傭兵団でもあった。
女が多い。
年若い者が多い。
団長も若い。
人数も少ない。
普通なら、危険な仕事を受けて生き残れるのか不安になるような顔ぶれだった。
だが、彼らの間には妙なまとまりがあった。
ジュド。
ミリア。
フィリア。
ガルネ。
リッカ。
ダイン。
彼らは互いを呼び捨てにする。
遠慮がない。
礼儀を欠いているというより、最初から余計な壁がない。傭兵団というより、同じ家で育った兄弟姉妹のようだった。
昔、自分にもこういう場所があった気がする。アルクスはそれを、少し眩しいと思った。
誰かが笑っていた。
誰かが文句を言っていた。
誰かが無茶をするなと怒った。
思い出そうとすると、頭の奥が痛む。
アルクスは表情を変えずに、その痛みを押し込めた。
ジュドが言う。
「細かい話は中でしよう。報酬の分け方とか、うちの決まりとか」
「ああ」
「あと、言っておくけど、うちは金払いのいい団じゃない」
「構わない」
「本当に?」
ミリアが怪しむように見る。
「金が欲しくて来たんじゃないの?」
アルクスは少しだけ考えた。
正直に言えば、金が欲しいわけではない。
今の世界を知りたい。
アルミドに何が起きたのかを知りたい。
かつて共に戦った者たちがどうなったのかを知りたい。だが、それをここで言うわけにはいかない。
「旅をするにも、金はいる」
アルクスは答えた。
「仕事も必要だ」
「まあ、それはそうね」
ミリアは納得したような、していないような顔をした。ジュドは深く追及しなかった。
おそらく、彼らにも言いたくないことがあるのだろう。
だから、相手にも無理には聞かない。
アルクスはそう感じた。
それはありがたかった。
自分も、聞かれたくないことばかりだったからだ。
宿屋の部屋へ戻る途中、ダインが隣へ来た。
「アル」
「何だ」
「さっきの手合わせ、本気じゃなかったよな」
アルクスはダインを見た。
若い。
ロッドという名が、ふと頭の奥に浮かびかけた。
だが、すぐに消える。
「試験だったからな」
「だよな」
ダインは少しだけ顔を引きつらせた。
「ジュド、強いんだ。うちでは一番強い。それなのに、あんな簡単に止められたから」
「良い団長だと思う」
「え?」
「判断が早い」
ダインは一瞬ぽかんとして、それから嬉しそうに笑った。
「だろ。ジュド、若いけど結構すごいんだ」
若いけど。
その言葉に、アルクスはわずかに目を伏せた。
ジュドは若い。
ダインも若い。
他の団員たちも若い。
そして、今の自分も、そう大きく離れてはいないように見えているのだろう。
だが、本当に同じなのか。
分からない。
闇に沈む前の自分は、二十五だったはずだ。
今の自分の身体は、おそらくその頃のままだ。
だが、外側の時間はどこまで過ぎたのか。
答えはまだなかった。
部屋へ戻ると、ミリアが卓の上を片づけていた。
フィリアは弓の弦をおそるおそる確かめている。
ガルネは壁に寄りかかって腕を組み、リッカは荷袋の中身を確認していた。
ジュドが卓の前に座る。
「まずは決まりからだ。取り分は依頼ごとに分ける。食費と宿代、薬代は団の金から出す。勝手に一人で依頼を受けるな。喧嘩を売るな。無理だと思ったら言え」
「分かった」
「あと、うちは大きな団じゃない。だから一人抜けるとすぐ崩れる。勝手に消えるな」
その言葉に、アルクスは一瞬だけ沈黙した。
勝手に消えるな。
その言葉は、妙に胸に引っかかった。
かつて、自分は消えた。
仲間の前から。
戦場から。
世界から。
自分の意思だったのかどうかも、もう分からない。
「……分かった」
アルクスは答えた。
ジュドは頷いた。
「仕事の話は明日する。今日は顔合わせだけでいい。疲れてるなら休め」
「ああ」
「それと、ロイド」
呼ばれているのが自分だと気づくまで、一拍遅れた。
「……俺か」
ジュドが少しだけ眉を上げる。
「他にロイドはいないだろ」
「そうだったな」
口にしてから、アルクスは内心で小さく息を吐いた。
アルド・ロイド。
咄嗟に名乗った名前は、まだ自分のものになっていない。
アルなら反応できる。
だが、ロイドと呼ばれると、どうにも遅れる。
ジュドはそのわずかな遅れを見逃したかどうか、分からなかった。
だが、深くは追及しなかった。
「うちに入ったからには、隠し事を全部話せとは言わない」
ジュドは静かに言った。
「でも、仲間を危険に巻き込むような隠し事だけはするな」
アルクスはジュドを見る。
若い団長。
だが、その声だけは軽くなかった。
部屋の中の空気も、少しだけ変わっている。
ミリアも、フィリアも、ガルネも、リッカも、ダインも、ジュドを見ていた。
呼び捨てで軽口を叩く関係。
だが、こういう時には全員が黙る。
アルクスは、その距離感を測りかねた。
近すぎる。
だが、崩れてはいない。
それどころか、妙に強い。
「分かった」
アルクスは答えた。
嘘ではない。
ただ、すべてを言っていないだけだった。
ジュドはそれ以上聞かなかった。
「ならいい。ブロムスの灰鷹へようこそ、アル」
ミリアが肩をすくめる。
「新入りが増えたのに、部屋は狭いままだけどね」
「床で寝ればいい」
ガルネが言う。
「誰が?」
「ダイン」
「何で俺なんだよ」
「一番若いから」
「フィリアの方が若いだろ」
「フィリアを床で寝かせる気?」
「いや、それは駄目だ」
「じゃあダインね」
「何でそうなるんだよ」
くだらないやり取りだった。
だが、誰も本気で怒ってはいない。
フィリアは静かに笑い、リッカは荷袋を抱えながらため息をつく。
ジュドは額に手を当てている。
アルクスはその光景を見ていた。
変わった傭兵団だ。
やはり、そう思う。
だが、悪くない。
大きな団ではない。
聖教会の兵でもない。
町に根を張った者たちでもない。
各地を歩き、仕事を受け、道と噂を拾う者たち。
今の世界を知るには、ちょうどいい。
聖暦。
悪魔戦役。
悪魔人形。
聖教会。
アルミドの悪魔。
知るべきことは多い。
この団に長くいるつもりはなかった。
必要な情報を得るまででいい。
ある程度、この時代のことが分かれば、静かに抜ければいい。
アルクスはそう考えた。
今は、ただのアルでいい。
ブロムスの灰鷹という小さな傭兵団に身を置き、少しずつこの世界を知る。
それだけのはずだった。
だが、アルクスはまだ知らない。
この小さな灰鷹が、自分の行き先を大きく変えることになるのだと。




