今度は
主任を研究室に置いてリョウとリアと一緒に室の方へ行く途中。エントランスを横切る時、そこに室長がいた。
「ああ、リョウ起きたの」
室長はまるきり平然とそう言って、おいでとでも言うように両手を広げた。
室長、金髪金眼ヘビースモーカーで両手が手袋をしているかの如く黒色化している男。やや口元や目元に年齢を感じるから、僕よりは年上だと推察される。垂れ目な表情はいつも眠たげに見え、姿勢が悪いのも相まって見ているだけで気力が削がれる。
甘楽主任とは別に組織内の研究室を持ち何かをしているようだが、侵入者の撃退や地上へのお使いなどアクティブな要件も自分でこなしてしまう。チームのトップとは思えないほどチームプレーができない。侵入者を引き渡した後はこの人が尋問だか拷問だかをしているのだが、一度その現場から扉越しに嗜虐的な笑い声が響き渡っていたことがあり、相手も妙にノリノリになっていて僕はドン引きした。
日頃の態度もガサツで近寄るとタバコ臭く食べ物も偏食が激しくスーツの着こなしもだらしないため、僕にはいい印象がない。
そんな室長、クロさんが、普段通りぶっきらぼうな仕草ではあるものの被験体のリョウに対して甘やかすかのような仕草を見せたのがまず第一の衝撃。
そして
「くろ」
と、リョウがふにゃっと笑み崩れて素直に広げられた両手の間に収まりに行ったのが第二の衝撃。リアとお揃いの被験体服を着て(リアは白でリョウは黒だから色違いだが)隣同士並んで立っていた場所から、弾むように駆け寄って飛びついていった。
エントランスの立ち椅子を支えに、室長はリョウを受け止めて背をわさわさと撫でている。
室長は僕より少し身長が低いくらいだが、リョウは僕と同じかそれ以上、180センチはある。小さい時に甘やかされすぎて自分のサイズ感をわかっていない大型犬とその飼い主、といった風情だった。
「なんですかこの二人は……」
「コウくん!」
一歩引いた場所で呆れまじりに見守っているポジションを取ったはずが、すぐさまこっちに御鉢が向いた。さっき自己紹介をして知り合ったばかりの名を、リョウが嬉しそうに呼ぶ。
呼んですぐ、リョウは一度室長から離れると、僕の方にも寄ってきた。
もふ。
…………。
なんか、抱きとめてしまった。
リョウの顔は抱きしめていて見えないのに、にこにこしているんだろうな〜というのがわかる。なぜかわかる。怖い。
複眼が間近に迫ってきたのは結構恐ろしさもあったはずなのに、抱きしめていると心地よかった。
「……あの」
温かい。心地いい。力が抜けそうになる。
癖のある黒い髪は襟足だけが長くて、目の前でぴょこぴょこと毛先が跳ねている。そっと撫でてみると思いのほか指通りが良かった。なめらかで艶のある髪、陽光を知らない白い肌、細い首筋で血管が脈打っている
全く無防備に頬をすり寄せてくる動物の体。
こんなふうに他者と触れ合えることが、この世にあるのか。
「……っ」
胸がざわつくような安堵が襲ってきて、僕は咄嗟にリョウを引き剥がそうとした、
その時リョウが言った。
「また会えて、うれしいなあ。今度はぼくのこと殺さないでね、コウくん」
ーーーー引き剥がそうとしていた手がそのまま固まる。
「リョウ、」
リアが焦ったようにリョウを僕からはがし、室長がため息をついた。
え ……?
「それ、どういう」
「コウさん、」
「今度って、どういうことですか?僕は」
「違うんです、だってほら、リョウは生きてるじゃないですか」
「でも じゃあどういう、」
「落ち着けって」
室長が僕の頭をがしっと掴んで思い切り振りかぶってきた。
「!!」
机に叩きつけられる前に慌てて腕を絡め反撃し、筋肉の向きを変えて床に抜け、室長から距離を取る。無意識に浅くなっていた呼吸は一度止まり、狭まっていた胸部や慄いていた背筋は暴力的に真っ直ぐな元の姿勢へ矯正された。
室長を睨む。
「何するんです」
「誤解を解こうと思って」
「誤解を解くのに暴力が必要ですか?」
「必要だろ、大抵の誤解は理屈じゃ溶けやしない」
「……」
それこそ暴論だ。と思うのに、実際今のやり合いで僕は平静を取り戻していた。体の制御は心の制御にも効くらしい。めちゃくちゃな暴論を肯定するようで癪だが、室長は対処として正しいことをしたわけだ。
一度深く息を吸って、吐く。
「……僕が何を誤解してるっていうんです」
「安心しろ、リョウは死なない。お前はリョウを殺してねーよ」
「……どういう 意味ですか?」
リョウの方を一度見遣ると、リアに抱き留められておろおろしていた。僕が突然取り乱したことは、リョウの意図したことじゃなかったらしい。脅しをかけたわけではなく、天然の発言。つまり事実をそのまま素直に口にした、とみるべきだ。
複眼の赤い光がゆらゆらと揺れている。こぼれ落ちそうな目だな、と思っていたら本当にぼろっとひとかけら、落ちた。
「げっ」
と室長が声を上げる。リョウの目から小さな眼球が続け様にぽろぽろと溢れ落ち出した。
一粒一粒がしっかり白目と黒目部分に分かれた眼球そのものの見た目をしている。慌ててリアが宥めるような素振りを見せた。
これは……泣いてるのか?
僕の足元にまで転がってきて、思わずちょっと飛び退く。
「泣き方こえええ」
「涙が眼球って生理的な恐怖がありますね……って、そうじゃない」
いかんいかん、衝撃映像に意識が逸れてしまった。
「これ大丈夫なんですか?泣きすぎたら目が無くなっちゃうのでは」
「コウくんそれじゃまだ話逸れたままだと思うぞ。まあいいや。大丈夫大丈夫、リョウの目はなくならない。こいつは再生し続ける、歯もずっと生え変わるし傷も修復し続ける。そうやって今までずっと生きてるんだよ、コウくんがここに来るずっと前から」
「え……」
古株、とは聞いていたけど。
今室長が言った「ずっと」という言葉には……もっと、数年単位では済まないような長い年月が込められている気がした。
「リョウは死ぬことがない、もし死ねるとしたら修復するより前に殴り続けられるとかでもしなきゃ死ねない」
「……僕だったらそんな死に方はごめんですね」
「俺だってそうさ。……そんでリョウと一緒に生きてきたメンバーなら、こいつをそんな目にあわせたくないって思うに決まってる」
「貴方も?」
「俺も、甘楽も。リアも」
「……」
「まあだからわかったろ。コウくんがリョウを殺したなんてのはありえない。そんなことは俺たちがさせねーし、そもそもこいつは殺されることができない」
……室長の言ってることはわかる。
でも、だったら。
「だったら、殺したってのは どういう意味だったんですか」
リョウは死ねない、殺されるまでに必ず室長たちが助けるとして。あの水槽にいた理由も主任が「大怪我」と言っていた、それが事実だとして。
それならどうして「今度は殺さないでね」なんて言葉になる?
どうして 貴方たちはリョウが死なないってことを知ってるんだ
リョウを切り刻んで実験した? 死んだと思った後で蘇ったりした? 以前殺されかけたことがある? それはもしあるとしたら誰に?
ーーーー誰に?
「思い出したい?」
「……」
室長が気のない感じでそう訊ねてくる。脱力したような、視線も僕にろくに向いていないような無気力な聞き方。
まるで僕の記憶の中に答えがあるみたいにも、そんなものはないのに徒労だというふうにも受け取れる。
……もういい加減わかっている、この人たちにとって僕が記憶を取り戻そうがずっと思い出せなかろうが、どちらでもどうでもいいのだろう。
だけど。
「……その聞き方はずるいですよ」
もし僕がリョウに何かしたんなら それを室長は覚えているはずだ。それならば、思い出せと迫って詰るべきじゃないのか。日々ヒトの命が軽々しく奪われるこの組織のぶっ壊れた倫理観で、だからこそなのか、家族のように守っている命があることも知っている。残酷すぎるほど明確な命の線引き。
身内だ、主任やリアと並ぶってことは、室長にとって 家族だ。
加害者に責任を問いたくはならないのか? 僕の記憶に真相があるんなら 思い出すべきじゃないんですか?なのにどうして過去のことを何も言わない?
本当に僕は何もしていないから?
だとしたら誰がーーーー何があったんだ。
「思い出したいのかなんてわかりません。わからないですが……僕は 知りたい」
何があって 貴方たちがどうなって今に至るのかを。
たとえ以前の僕が 彼らにとって、記憶を取り戻してほしいと望むような、重要な相手じゃなかったんだとしても、
少なくとも今僕は ここで確かに 彼らの仲間でいるはずだから。




