ロスト
研究室で植物を育て、被験体の世話をし、侵入者を生け捕りにして室長や主任に引き渡す。大雑把に言えば毎日はそれの繰り返しだ。改めて書き出せば結構な作業をこなしてるんだろうが、ほとんど全てが生き物を相手取ったことなので、その場の状況に応じられることが重要で事務的なことは全体の5パーセントもない。
書類仕事や進捗管理がほぼ無いと言っていい。組織として動いているとは思えないほど、内情はマンパワーというか、各々の頭脳頼りだ。メモすら取らずに記憶と大声で情報を共有している。
記録が……事実関係が、残っているとしたら組織メンバーの頭の中だ。他にはきっとどこにもない、何せ漁るほどの記録も、機材も、ここには無いのだから。
こんな管理状態で、研究施設と言っていいものか疑問だ。
一体何を目的としていて 元締めはどこなのか、……僕はまだ、何も知らない。
「コウくん見て!虫がいる!この実は虫でも食えるやつができたかも!」
「やりましたね主任!あっ待ってください、その虫がその実に適応するために進化したやつじゃ無いかどうか調べます」
「確かにそうだね!よろしく!」
今日も今日とて、主任と二人、研究室で実験生物をいじくり回している。
被験体をいじり、観察し、分析し、活かす道を考え、実際に使ってみる。手元の対象物に集中していたらあっという間に1日が過ぎる。
そうやって半年間、目の前のことをこなし与えられた役割に従事してやり過ごしてきた。
「記憶がないなら改めて、この組織の一員として今日からまた一つずつ覚えてもらうからね」と
あの日 主任は僕をタオルで拭いて招き入れて 居場所をくれた。
まるで当然仲間だというように。
「そういえばこないだの猫型生命体は毛で汚れを除去して微生物で分解してくれることがわかったからお掃除ロボとして導入するよ」
「えっいいですね、かわいいです」
「でしょー!」
主任が言ったそばから地面をわさわさとモップのような10本の足で滑るように這っていく猫が通り過ぎていく。
実験も観察も、侵入者撃退も、危険は伴うが無理難題ということはなかった。
初めからこの組織の仲間だった、そう思い込んでいた方が、僕にとって都合のいい状況が続いている。
衣食住にも恵まれた、他者の命を弄んで楽しく過ごせる楽園。
下手に探りを入れるようなことを聞いて内情を知ってしまう方が、危険なんじゃないだろうか。そうだ、だってもし僕が敵対者だったなら、余計なことを知っていては何かの拍子に口封じされかねない。
ーーーー何のために研究をしているのかも、考える必要はないのかもしれない。もしもこの組織が悪の組織で、僕らは世界の敵だったとしても、今現在僕が生きていくにはこの生活は快適だった。
倫理のために日常を脅かす度胸は 僕には無かった。
休憩の時間、甘楽主任が先に室へ移動していった。
僕は片付けと戸締りをしてから戻るため、一度花壇の周りを巡回することにした。すると珍しく、他メンバーが研究室内にいるところに鉢合わせた。
すらりと背の高い木々にまじって花壇の中で佇んでいるその人影は、紫の髪がひらひらと肩に落ちていて、一瞬そういう色の花が咲いているのかと見紛う。
リアだ。ただでさえ綺麗な見た目をしているリアが、太陽の光を再現した夕灯に照らされて、幻想的な花のように佇んでいた。ぼんやりと彼だけ発光しているかのように見える。
研究室内に出入りする時にしては珍しく、リアはスーツ姿だった。少し焦げたりケバだったりしてボロボロになったシャツを、ボタンをほとんど外して着用している。いや、ボタンが取れて無くなってるのか。ぼんやりとうつろな目で土の上に立って、何をするでもない。足元は裸足だった。靴と靴下を片手に、指で引っ掛けてぶら下げるように持っている。
「……外出していたんですか?リア」
声を掛けたら、視線が焦点を結んで僕の方を見た。
「コウさん……お疲れ様です」
「リアの方こそ。……随分疲れているようですけど」
手を差し出したら、「今はちょっと」と拒絶された。
「もう少し、こうしています」
「……ここで何をしてたんです?」
「土からエネルギーをもらっていました。……あなたの手を取ったら、そちらにエネルギーが流れてしまうので」
「っそんなに、……力が枯渇しかけるほど、譲渡のコントロールができないほど疲れているんですか?」
「……ええ、お恥ずかしいことに」
眉を下げて目を伏せて、微笑む。ようやく表情らしい表情が見られたが、それも普段とは違う、やつれてくたびれた、力無い微笑みだ。
疲れている、のも、あるのだろうが……これは
ーーーー傷ついている、と 直感的にそう思った。
体力の回復などでは癒えない何かがあったのだ、と。
「……リア。とりあえず、僕に何かできることは?」
「え?」
「今はとにかく、君の回復が優先でしょう。何かお手伝いできることや、代わりにやっておけることがあれば言ってください」
「……ぁ」
ありがとうございます、と震えた声が落ちる。
軽くお辞儀でもしようとしたのだろう、顔を伏せる仕草のまま、目線が上がってこなくなった。
これはだいぶ深刻なのか……リアや室長だけ任されている職務の中には、僕のようなヒラ職員が知りようもない過酷なものがあるのかもしれない。
室長……そういえば、今日はあの人を見かけていないな。
「コウさん」
「……はい」
「もう 主任には、報告、したんですが」
「はい」
「……室長が、」
まるで丁度そのことを考えていた時に言われて、ドキリとする。
……まさか、彼の身に何か?
リアは言いかけて少しだけ顔を上げ、視線を彷徨わせた。自分の意識の中の景色を見ているみたいに。
その表情に、さっき束の間浮かべて見せた微笑みはもう無い。
「室長が 拐われました、……回復したら、救助に、向かいます。一緒に来てくださいますか」




