リョウ
侵入者の死体を窓から運び出し外に埋葬する。と、いうわけで僕とリアが死体を持ち、主任が開錠して窓を開けた。
窓は大きく掃き出し窓のように出入りすることができ、この組織から地上に続く正面の出入り口とは真反対の庭に面している。そしてなんとそこから外に出た先で僕は夕暮れの空を見た。
空だ。
本物の。
「え……」
ここは……この組織は、地下にあるはず。だが、切り立った崖の底の底、この庭は広く平らな空間が広がり、岩肌を突き抜けるようにして空が開けていたのだ。
「まさかこんな場所があるなんて……」
「何驚いてるの〜コウくん。君が最初に記憶している場所はここじゃないのかい」
主任が笑い混じりにそう言う。振り返るとスコップを差し出された。
最初に記憶している場所?
僕が以前ここに来たことがあるということか?
死体をその辺に一度置き、リアと一緒に穴を掘りながら考える。
「あ」
そうだ。僕は雨の降りしきる中で……主任に発見されたのだった。
そして今し方出てきたあの研究室、あそこの窓から、中に入れてもらい体を拭いたのである。
「コウさんはここの外で発見されたんでしたっけ」
埋葬を終え室内に戻ると、リアがどこか遠慮がちに訊ねてきた。僕は頷く。
「雨の日でした。泥まみれで……土砂崩れでも起きてあの崖から落ちたんでしょうか」
「もしそうだとしたら、命があったのは奇跡ですね」
「いや、まあ本当にそうなら記憶喪失だけで済むとは思えないですけどね」
「コウさん自身に自覚がないだけで、体が潰れても再生する人外的な能力をお持ちだったりするんでしょうか」
「さすがにそんなことはないと思いますが……」
正直な話、僕はあの日のこともよく覚えていない。とにかく必死にもがいていた。雨の下から保護され、息が整い、人工灯の明るさに目が慣れた時、ようやく自分の状況を把握したのだ。
僕にとっての最初の記憶は 灰色にモザイクがかった雨の世界に、ぼんやりと浮かび上がる青色。
そして意識がハッキリしたのは、この室内に入った後から。思い出すのは、ちょうど今し方侵入者が座らされていたあの椅子に自身が座らされ、雨の中で見た青色の持ち主がその髪を揺らしながらしゃがみ込み、目線を合わせて微笑んできたこと。
「おかえり」と、彼は言った。
あれは甘楽主任だった。
「あ、リア、終わったよ〜」
先に研究室中央にまで戻っていた主任が、室内の方から声を掛けてくる。
僕とリアは一度だけ顔を見合わせると、リアが先に歩みを進め廊下を抜けていった。
円筒状の水槽らしきものが並んでいる、左右に開けた空間にまで戻ってくる。水槽からの光で眩しい。
この研究室内で、主な光源がその水槽だった。中には一つの水槽に一種ずつ、植物が培養されている。暗い室内の足元まで暗い色の絨毯が敷いていあるせいで、水槽以外ほぼ何も見えないと言っていい。
その中の一つ、主任が前に立っている水槽には
ヒトガタの何かが入っていた。
「出すよ」
「え」
思わず声を上げてしまう。
「えって、コウくんビビってんの〜?」
「はっ?ビビってません!」
ガキの煽り合いのような会話をしてすぐ、我に帰る。今、主任はこの中にいるコレを、「出す」と言ったのだ。
この機械の操作が見られる。ここで研究されている被験体の、生まれる瞬間に立ち会える。
どうするのか見ていたら、なんと主任は水槽の裏に回りよじ登り始めた。
「な」思わずまじまじ見つめて、気づく、水槽は後ろ側にハシゴのようなものが設計されていた。そのハシゴを使って上部まで登り切った主任は、部屋の天井に張り巡らされている梁に登り(これも暗くて見えなかったが、ちょうどハシゴから移れる位置に足場があった)、水槽の蓋を巨大炊飯器のように開けると、中に垂れた鎖を掴んで引っ張った。
ボゴン、と 底が抜けたような音が鳴る。
水槽の中に満タンまで入っていた液体の水位が、みるみる下がっていった。
「リョウ……!」
リアが声を上げ、水槽のガラス柱を傾ける。下部に出入りできそうな隙間が生まれ、そこからリアは中の被験体を抱きかかえて連れ出した。かなりの厚みがあるアクリルガラスに見えるが、リアは軽々と動かしている。そういう仕組みなのか、リアが実はものすごい怪力なのか……水槽が倒されてしまった形になったので主任はどうやって降りてくるのかと思ったら、彼は梁からひらりと飛び降りてきた。そのくらいの身体能力はあるらしい。
リョウ、と、リアはそう呼んだ被験体をそっと床に下ろした。
「もう名前があるんですね」
「うん。その子は古株だからね」
「え、今ここで生み出されたんじゃないんですか」
「違うよ〜コウくんより前からここに所属してる子だよ」
主任は普段通りのへらりとした笑顔で言う。
「ちょっと、大怪我しちゃったから回復するまで休養してただけさ」
大怪我。
ということは……戦闘要員なんだろうか。
リアはまだリョウを抱きしめたままだ。床に自分も跪いて、リョウの体を抱き起こすようにしている。
そしておもむろに相手の顔を片手で包み、唇に唇を押し当てた。
つまり、キスをした。
!?
「どっ、」えっ
キス?
なん そう、いう 関係なのか?
主任の方を思わず伺うが、表情も何も変わってない。いつもの二人を眺めているといった風情だ。
「人工呼吸……ではないですよね……寝姿勢にもしていないし」
「ああ。そっかコウくんは覚えてないんだっけ」
「覚えてない?」
「コウくんもされてるはずだよ」
「えっ」
それはリアにキスをということか?まさか記憶を失う前に……?
「どういうわけで……」
「リアは相手に自分のエネルギーを分け与えることができるの。マウスツーマウスが一番効果的だけど、そばにいるだけでも回復が早まる。だからコウくん、君が体調不良の時や怪我をした時は、リアが付き添ってたでしょ?」
「あ……」
そうか。なるほど。リアが戦闘要員なのに救護担当のようにもなっているのは、この理由があったのか。
「まぁリョウにキスするのはただしたいだけかもしれないけどね〜」
「いや結局そんなかってリアは主任とか室長じゃないんですから」
咄嗟にツッコミを入れてしまったが、目の前ではまだリアがリョウを抱きしめている。
いかにも大切な人を抱きしめている仕草。に見える。
……やっぱり何かそういう関係なんだろうか。
「……ぅ」
「あ、起きそう」
「!」
んん、と
喉を鳴らすような声を上げ、数度咳き込んで、リアに体を支えられながら「リョウ」はゆっくりと顔を上げた。
白い肌、濡れたようなまつ毛、黒目がちの目。例によって整った顔立ちの被験体。リアやニコと違って、中性的な、男女どちらともつかない容貌をしている。
「……リア」
と。声を発した。目の前のリアを見つめながら微笑み呟く声は、外見よりも幼い。
リアに微笑み返され、ようやく周囲を見回して現状を認識し始めたらしいリョウは、きょろきょろ視線を彷徨わせたあとで僕の方を見た。
「……初めまして」
微笑みながら、少し高めの穏やかな声がそう言う。
「は、……っ!!」
身構えもせず受け答えようとした僕は絶句した。
見目麗しいヒトガタの被験体。そんな先入観。いや事実、リョウも美人ではあるのだが。
僕の方を向いた正面の顔は、さっきリアの方を見ていて隠れていた左半分が ーーーー虫のような複眼だった。
整った顔立ちの、半分。ぎっしり眼窩におさまった複数の目はそれぞれの中心が点々と赤く発光している。
『っっっ!!! ぎゃーーーーーー!!!』
と、内心僕は叫びたかったが、声が出ないまま固まっている間にその衝撃をどうにかやり過ごし、
引き攣った笑みで「こちらこそ、初めまして」と返したのだった。




