マナ
俺とマナが出会った時にはもう「平和」なんて世界のどこにも存在しなくなっていた。
無政府状態になった世界で、俺たちの共同体は狙われる立場にあった。食料をはじめとする資源をほぼ独占していたからだ。
交易だとか資本主義だとかは崩壊していた。物資を力で奪う以上に確実なことなんてなかった。
研究所を設立し武装し戦争に役立つ研究を始めたのと、資源が集まっていったのはどっちが先だったのだろう。
どうして分け与えるんじゃなく独占してしまったんだ……なんて、その答えは簡単だ。俺たちにも分け与えるほどの余裕は無かったからだった。
研究所には二人の天才がいた。
一人は齢10にも満たない少年。一人は妙齢の女性。
その二人を筆頭にして俺たちはこの危機にも人類を存続するための研究を行っていた。武装なんて二の次のはずだった。少なくとも、組織の理念としてはそうだった。
主に行われていたのは以下の二つ。
まず、人類にもこの環境で生き抜くための「進化」が必要だとして、より丈夫になるよう進化を促進するような遺伝子研究。
そして食料、資源の確保。
「進化」の研究を少年が、
資源確保の研究を女性が、主に分担して行っていて、
後者の方に弟がいて。
それがマナだった。
万年食糧難と言っていい狩猟も採集もできない生活の中で、中庭に咲く花に実る果物は子供にとって何よりのご馳走だ。
「あーそれオレが好きなやつ!交換して交換」
ほしいほしいと跳ねる腰のあたりまでしか背丈のないマナの頭をペシペシと軽く叩きながら「ど〜しよっかな〜」と笑う。俺が少し手を高く上げるだけで届かないチビは、白衣の裾を掴んでバタバタと手を上下させながら、ぷくっと頬を膨らませて拗ねた。
「なんだよーレイはいーじゃん、他のもんだって食えるんだから。オレ今日食えそうなもんそれしか見つけてないんだって!」
「え、お前また食えないもん増えたの?」
「……うん」
マナはこの数年でニョキニョキと身長を伸ばしているが、それと比例するごとくに食物アレルギーも増えていた。魚介類、肉類、特定の果物。後から発症するアレルギーもあるとは知ってるが、この状況下で食えるものが減り続けるってのは死活問題だ。
「マナ。お前それ、原因調べてもらってるのか」
目線を合わせて聞く。手の届くところに来た果実を、マナは取ろうとせずに俺を見つめ返した。
「研究室のみんなで調べてくれてる」
「そか」
果実を差し出すと、マナは嬉しそうに受け取って食べた。果汁をこぼさないように少しずつ、吸い付くように齧っていく。
俺はどうすっかな、適当にその辺の草煮込んで食ってみようか。こないだ変異して生えていた新種の植物はなかなかいけた。根がまだ細かったし口が痒くなったけど、改良すれば芋くらいにはなりそう。
そう思い中庭を適当に散策して、あれもこれもとちょっとずつ、まだ見ぬ食物を採集してまわっていたら特に空腹を感じる間も無くいつしか陽が傾いていた。
暗くなってきたしこのくらいにすっか、と思い室内へ戻ろうと振り返る。
「げ」
マナはまだ出入り口のところにいて、しかも俺が渡した果実の種をいまだにしゃぶっていた。
「おま、ずっと食ってたの」
「ん、レイおかえり」
ごりごりごり、といかつい音がする。こいつ種を噛み砕いたのか。
「顎大丈夫かよ」
「へへーんオレ多分噛む力いちばん強いよ。歯もほら、めっちゃ綺麗なんだって」
いー!っと口を横に広げてマナが口内を見せてくる。正直俺の影で夕日が遮られてほとんど視認性がなかったが、まぁ確かに綺麗な歯並びっぽかった。
「食べてるのが一番たのしー。味がして匂いがして。走ったり動く遊びは疲れるし体熱くなるし、本は難しいし。みんな食べたり寝たりするのよりそっちが好きだって言うけど、オレ変なのかなあ」
「……変てこたないだろ。走ったり本読んだりできるのも、食いもんがあるからだぜ」
ていうか、いつからなんだろう、生命活動に必要な欲求を満たすのが喜びじゃなく焦燥を帯びるようになってしまったのは。
獲物を追う野生動物だって、食ってる最中くらいは幸せじゃないかね。俺は人間以外になれたことねーからわかんないけど。
マナは果実も、一口一口噛み締めて時間をかけて、大事に食べたのだろう。
「んなことより、食ってる間ずっと他のこと忘れて同じ場所で座ってたん?シングルタスクにも程があんだろ」
「なんだよーレイだってずっと草むしりしてたじゃん」
「俺はいーの大人だから。お前は家族が心配する、」
「マナ」
噂をすれば。
マナの背後出入り口から、すらりと背筋の伸びた優しげな人物が顔を出した。
「コハク!」
長身の女性がマナを見下ろして、長い黒髪が顔を覆い隠す。逆に細い首筋があらわになる。
人生の大半を日光の当たらない研究室で過ごしたその人は、青白いほどに色が白い。マナの頭を撫でる手は、特に細く白く綺麗だ。その姿勢や顔立ちも相俟って、浮世離れした存在感がある。
そのせいか、こんなに弟バカなのに、何を考えているかわからない。感情が常に平らで読めない、と周囲にそう評されていた。
「ここにいたの。探したよ。なるべく屋内にいなきゃいけないよ。無事でよかった」
「顔見るたびそれ言う〜」
「そうだっけ」
マナに微笑みかけた後、顔を上げたコハクと目があった。
けぶるようなまつ毛、赤い双眸。
色の変わってしまう眼球は、自分の体で実験している研究者の特徴だ。
「レイ。お疲れ様」
「……ああ」
「随分たくさん採集したんだね」
「ああ、うん。今から研究室持ってって調べる」
白衣のポケットから入り切らずに伸びている草花を軽く示し、「おかげで昼飯食いっぱぐれたけどな」と言うと
「ボクもまだなんだ。一緒に調理場に行こう」
とコハクが誘ってきた。
「じゃあ、オレ、図書室で宿題してくる」
俺らの会話を聞いたマナが別棟の方へ駆け出していく。
あー……。
「気を遣わせちまったか?」
ガキがんなことしなくていいのに。
「あいつ、賢い子だな」
「そうだね。でもちょっと善良すぎる」
コハクの口ぶりでは「善良」がさも良いことじゃねえみたいに言って、随分と不穏だ。
「厳しいこと言うじゃん」
「一般的な評価だよ」
「一般的ねえ?お前には似合わない言葉」
「重要な感覚さ、局面を構成してるのは人海だ。最多数が状況を作り出す」
……この状況で間違いなくマナは善良で
この状況で善良なことは、決して「良いこと」ではない。
「いずれは外部の奴らみーんなで手ぇ組んで、攻め入って来るだろうって状況だもんな。米騒動みたいにさ。腹を破られて溜め込んだ食物を残さず吐き出させられる、笑えねえ未来だ」
「コメソウドウ?」
「俺らの国の歴史でそういうのがあんの」
「へえ」
コハクは知らない国の話に興味深げに相槌をうった。
「マナからも聞いていたけど、レイの故郷の話は面白そうなことがたくさんある。今度ゆっくり聴きたいな」
「いいぜ。そうだな、次にばったり廊下で鉢合わせたら聞かせてやんよ」
「楽しみだな」
俺より背の高い位置にある、俺と同じ黒髪の頭が笑い声に合わせて揺れる。マナが屋内に入ったのを見届けてほっとした後、俺たちはどちらからともなく歩き出した。
廊下で会うだけの時間で毎回区切ったら、まとまった話なんてほとんどできやしない。それでも些細な会話や、必要に駆られていない内容、少しでも相手を知れることが嬉しかった。
全くもって平和でもない、豊かでもない日々だったが
そんな中でも俺たちは粉々にされた幸せを拾い上げて生きていた。この時はまだ。




