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地上へ



「地上は久しぶりだなー!」

 室長が大きく伸びをして楽しげに言う。この組織に来てから侵入者が地上から来ることはあれど、組織内部の人間が外に出ていくところを見たことはなかった。

 無意識に、落ちたら出られない奈落の底のようなイメージは持っていたかもしれない。

組織(ここ)から地上へ出られるんですか」

 僕は地上の記憶もない。崖から落ちてきたんだとしたら、それ以前は地上に居たんだろうけど。

「そりゃそうさ。地面を掘り下げて長い長い坂になってここに届くようになってる、秘密の通路がいくつかあるぜ」

「へえ」

「なんだ、あんたら地上に行くのか」

 ニコが天井からひょっこり顔を出して言う。照明の梁に登っていたらしい。

「俺が行けないのにいいのか?クロさん。誰に守ってもらうんだ」

「ボディーガードの役目を初日から乗り換えた奴が何を言うか。大丈夫だよコウくんが盾になってくれるから」

「は?嫌ですよそのまま勝手に死んでください」

「お前……マジで口悪いんだけど」

「そっちがサムい冗談抜かすからでしょう」

「けっ、仮にも室長に向かってさー」

「いつまでも仮のつもりじゃ困るよ、クロ」

 主任も研究室に続く廊下からひょっこり現れて言った。後ろにはリアも控えている。

 いつまでも仮のつもりじゃ……って、どういうことだろう。

 室長はそれに対してひらりと片手を振っただけで、リアの方に「それで?」と水を向けた。

「今から出るのは普段のお使いと違う用事なんだって?イレギュラー。上からのお達しか」

「はい。今回地上に向かうのは俺と、コウさんとクロさんです。荒事なので。途中、地上からの協力者が合流します。よろしくお願いしますね」

 リアは普段の被験体服ではなく、黒いスーツを着用していた。室長も上着を手に取る。僕も、二人にならって上着に袖を通した。これで下に武器を仕込みやすくなる。

 荒事のための人選で、この三人。主任は天然兵器みたいな人だけど戦闘向きじゃないし、ニコは秘匿されている存在。妥当な人選だろう。

「合流すんのって誰?」

「……コーシさんです」

「はっ、物騒な同窓会だな。せっかくのお出かけなのに人死が決まってるって。気が重いっつーの」

 口にする内容と裏腹に、室長は楽しげな語調を崩さない。

「まあなるようになんだろ。最悪の場合は頼んだぜ、甘楽」

「仰せのままに、室長。はいこれ、どうぞ」

「何これ?」

「お弁当だよ。武器だけじゃ本体が弾切れになっちゃうでしょ」

「ああ、携帯食ね。ありがと」

「いってらっしゃい」

「行ってきます」

 室長と主任が頬を寄せて挨拶(キス)を交わす。

 互いに自然な仕草だ。目線が揺らぎもしない、穏やかに微笑んで、肩に添えていた手が緩やかに離れる。

 きっとこれが今生の別れになることも想定しているのだろう。

 そこまで親密な挨拶は、たとえ本当の家族間であっても、滅多には無い関わりじゃないだろうかと、記憶のない頭で思った。





 コーシという名前は、今回地上に向かうきっかけになった「用事」の説明でも耳にしていた。

 いわく、政府関係者の中にいる内通者のような人物らしい。政府の裏切り者、と言うべきか。認可されていないはずの僕らの組織に対して、融資してくれているそうだ。その人のおかげで組織の人間は、地上の物資を得たり、たまに気晴らしに地上に出かけたり、娯楽になるものを入手することもできているらしい。

 代わりに、その人に協力を要請されれば拒めない。

 例えばその人にとっての「敵対者」を殲滅したり、要人を護衛したり、武器を融通したり。これまでにも色々とあったそうだ。僕は全く……覚えていないけれど。

「しかし依頼者本人が前線に出張ってくるような人なんですね?」

 延々と長い登り坂を歩きながら呟く。明かりもない真っ暗な狭い通路に、僕の声は吸い込まれるように前後へ反響していった。この通路を突破しなければ地上と行き来できないとは、これまで組織に侵入してきたスパイたちもさぞ不安だったことだろう。組織の方へ向かうにはフェイクの通路もあるようだったし、わざわざ開けた場所からこの通路に身を投じたいとは到底思えない。組織まで辿り着けた彼らに改めて敬意を表したい気分だ。

 さて、そんな過酷な徒歩45分あまりの坂道を登ってまで向かう今回の「用事」は「反政府団体の殲滅」。依頼者にしてみれば、命令だけして安全圏にいられたら、それに越したことはないだろう。だというのに、わざわざ途中で合流するなんて。

「物好きというか、酔狂というか」

「まあ、コーシさんも体動かすのが好きな人だからな」

「スポーツ感覚で殺戮を……?」

 やばい奴じゃないか。

「いや、そりゃ今回は殺すことになるんだとしても別に戦闘狂とかじゃねーよ。割といっつも自分から来る人ってだけ」

「殺すことになるような場面に出てこないで済むならその方がよくないですか?っていう意味合いで言ったんですが、伝わりませんでしたか?」

「煽る言い方すんなムカつくから。……まぁ、コーシさんも青髪だからな。生命倫理なんて言ってる場合じゃなかっただろうし、俺らとは感性違っちゃってるんだろ」

 青髪……と言われて思い浮かぶのは、甘楽主任だ。これから会う相手は主任みたいな人が出てくるのか?

「ていうか俺らってまさか僕と室長を括って話してます?心外です」

「お前マジどこまでも失礼を極めていくな」

「だって室長、自分が真っ当な感性してると思ってそうでムカつくんですよ。貴方十分常識ないってのに」

「そこまで断言されるほどコウくんと関わったかね俺は」

 ……言われてみればそうなんだが。いや、

「どうなんですか?」

「え?」

「僕は覚えていませんが、実際どうなんですか?僕と、室長は……どの程度関わりがあったんです」

 気付けば食ってかかるような態度で接してしまっているけれど、改めて考えれば自分でも不自然だとは思う。生理的なものといえばそれまでにしても、室長の方も平然と受け入れているように見える。本気で失礼だと思っていたら、もう少し感情的に叱るだろう。

「そういえば今、青髪、って単語もまるでそれに固有の意味があるかのような言い回しでしたね。僕がそれを言われて理解できるかのような」

「……」

 内部事情を共有していたことは間違いない。可能性としては、失礼な物言いさえ日常的な軽口になるほどに、親しい間柄だったとか……、

 そういうことも、ありうるのか。

 僕も、彼らの、家族の一人だったってことが。

「……僕が思い出したいと言えば、教えてくれるんですか」

 室長が黙ってしまい、暗い通路に僕の声だけが響く。

 暗いせいで、室長がどんな表情をしているかは伺えない。

「ぁ、あの」

 たまりかねたように今まで黙って僕らの会話を聞いていたリアが口を挟んだ。

「青髪、というのは人体実験を繰り返した研究者に出る症状なんです」

 僕と室長の後ろをついて歩くような立ち位置だったリアが、一歩前に出てきて僕の隣に並ぶ。室長は前にずれた。

「……はあ」

 室長の方をちらりと見てから、リアと歩調を合わせる。

 黙るのはズルい気がしたが、リアの気遣いに免じてここは一旦僕も譲歩することにすることにした。「研究者ですか」

「ええ。コーシさんは以前組織に居た方で、……初代室長なんです」

「初代?室長?」

 思いの外興味をそそる話題になった。

「初代ってことは、クロさんの……」

「先輩です。一つ前の」

「一つ前?」

 思わず首を傾げる。

 意外、というか、違和感を覚えたのだ。クロさんの、一つ前。クロさんは今まだ若く見える。室長に就任してからそう長い年月は経っていないだろう。仮に室長就任時をかなり若く見積もって、今が5年目だと仮定して、前任者の期間と合わせても10年ほど。

 10年あれば確かに、大抵の動植物は育つし、設備も古くなる。

 だが、あくまでそれは「最初に育て始めた個体が」という話だ。

 実験生物の試行錯誤を繰り返し、パンやケーキまで実を付けるような発明をしてーーーー人の体すら変異するほどの年月が、10年そこらで足りるのか?

 それに ずっと生きてきた、とリョウを評した 室長のあの言葉。長い年月を感じさせる言葉。

 あの組織が、そんなに最近できたばかりだとはーーーー

「コーシさんも甘楽さん同様、自分の体で実験するタイプの人でしたから……甘楽さんほど突き詰めてしまうより前に、組織を離脱しましたけど」

「……つまり主任ほどぶっ飛んだ人ではないけれど根っこは同じって感じですか。一見まともそうなタチの悪いタイプと予想します」

「あながちハズレてねーかもな」

「コーシさんは優しい人なんですよ……他者を操作するより自分が変わった方がマシって考えなんです」

 それだけ聞くと、確かに随分な人格者だ。

 生命を弄ぶような研究には向いてない。だから離脱することになったのかもしれないが。

「あ、もうすぐですね」

 リアがそう言ってすぐ、前からの光に気づく。

 ぼんやりと互いの顔が見える程度だった光は、緩やかに婉曲した通路を進むごとに強くなり ある角度を超えると眩しいほどの白が坂の上から降り注いできた。

「地上です」

 微笑んでこっちを見たリアの顔もはっきりと視認できる。

 日の光に照らされて微笑むその顔はあまりに綺麗で、僕は思わず数瞬、見惚れた。


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