番外編 恋人な夫婦
完結して一年余りの頃だと思ってください。
終業の鐘が鳴る。
春が間近いと言っても、外は既に薄暮と言うより黄昏に近い。
エヴァラードはてきぱきと机上を片付けた。今日は久しぶりで定時で上がれる日なのだ。
妻の故郷、辺境ソンムの駅舎は取りあえず主要部分は無事完成し、大陸横断のレールは繋がった。まだまだいろんな設備は設けなければいけないが、とにかく王都から東の終着駅まで列車が通じるようになったのだ。
これからまだまだやることは多いが、式典など、もろもろの付加的な行事は彼の仕事ではない。だから、ほんの少しだが一息つける。
「おい、リドレイ。君も今日か上がりかい? じゃあ、一杯ひっかけて行かないか?」
廊下に出た途端ハリイに捕まる。隣の企画室の室長になった彼も今日は終わりのようだ。
「せっかくだが今日は遠慮させてもらうよ。俺は家に帰る」
「おやおや、まるで母親を慕うひなっこのようじゃないか? そんなに奥さんに会いたいかい」
「ふん」
エヴァラードは取り合わずに廊下をずんずん進み、階段を下りた。あとからハリイがついてくるが構わず正門まで突き進む。なんといっても二週間ぶりの休みが明日なのだ。時間を無駄にするのがもったいない。
鉄道会社の広い前庭を横切っていると、正門の向こうに小さな後ろ姿があった。
「え?」
知らずに足が駆け出す。
「マリエ、マリエか?」
声に振り向いたのは、やはり彼の妻だった。
「エヴ、お仕事は終わったのですか?」
「ああ、終わった。けど、君はなんでここに?」
「あ、ええ。少し時間があったので、買い物の足を延ばしていたらこちらに来てしまって……そう言えば、エヴが今日は定時で終わると言っておられたので、もしかしてって思って待っていました」
「それは……嬉しいが、寒かっただろう?」
そう言いながらエヴァラードは、薄い手袋をした両手を自分の大きな手で包みこんでやる。
「どのくらい待ってたんだ?」
「そんなには。十分ほどかな?」
マリエは恥ずかしそうに、夫を見上げた。
「やれやれお二人さん、独り者には目の毒だよう。会社の正門前で手を握って見つめ合うのは止せ」
「わぁ!」
マリエは慌てて手を引っ込めようとしたが、エヴァラードは構わず自分のコートのポケットにマリエの手をねじ込んでしまった。
「何だお前、こんなところまでついてきたのか。飲みにはいかんぞ」
「ついてきたってお前、俺だって帰るんだからこっちに来たってしょうがないだろう? マリエ久しぶり」
ハリイは片目をつぶって、エヴァラードの陰でもがいているマリエに挨拶をした。
「お久しぶりです」
「相変わらず仲よさそうで何よりだ。ところで今日の夕食は何?」
「え、今日は白身魚のチーズ焼きと、揚げたお芋のあんかけです。後、何かサラダを……」
「ひえええ! 美味そうだ」
「お前の分はないぞ。ついてくるなよ」
すかさずエヴァラードは一応は上司でもある友人、ハリイに冷ややかに言い放った。
「いいえ、エヴ、たくさん作りまし」
「ないからな!」
エヴァラードは重ねて宣言し、ハリイは大げさに肩を竦めた。
「やれやれ、怖い怖い。ねぇ、マリエ、こいつはいまだに俺の事を信用してくれないんだ」
「エヴ、そうですよ。今の言い方は良くありません」
「マリエ……」
たしなめられたエヴァラードの眉が下がる。
「ははは! カタ無しだな。だけど、今日のところは久しぶりの休みに免じて俺も遠慮しておくよ。けど、近いうちに是非また家に呼んで欲しいな! 君の煮込みがまた食べたい。その芋も」
そう言うと、ハリイはマリエだけに手を振って、濃くなりゆく夕闇の中に立ち去った。
「エヴ……」
マリエは軽い非難を含めた視線を夫に向けた。エヴァラードは気まずそうに、目を逸らしている。鼻にしわを寄せているのが少し可愛いとマリエは思った。
「悪かったよ、大人げなかった。でも君との時間を大事にしたかったんだ、さ、帰ろう。ここにいても冷える。それともどこかに寄るかい?」
「そうですね、お野菜が少し足りないから市場に行ってもいいですか? サラダ用とピクルスにする分と」
「ああ、荷物持ちがいるからどっさり買えばいい。じゃあ、行こうか」
その夜、久しぶりに夫婦そろってゆっくり食事ができたエヴァラードは、満足そうに最後の皿を空にした。
「この芋、滅茶苦茶美味いな。揚げてから煮てるのか?」
「ええ、そうですよ。下湯がきしてからさっと揚げて、もう一度スープで煮込んでいるんです。その上にたっぷりのあんを。珍しくて美味しいでしょう? 図書館で借りた本に乗っていたんです」
「相変わらず君はすごいな」
エヴァラードはさっと腕を伸ばして、皿を下げようとしたマリエの肩を抱き寄せて、口づけた。
「じゃあ、一緒に片付けようか。その方がゆっくり楽しめるだろう?」
何を? とはマリエは聞かなかった。その代りに頬を染めることで夫に応じたのだった。
数か月後――
王都の南の丘をゆっくりと登る二人の姿があった。
「マリエ、大丈夫か?」
「へいきです。朝は少ししんどかったですが、私のは随分と軽いようで」
「それにしても、結構歩いてるぞ。大事な時なのだろう?」
「大丈夫。田舎育ちを舐めないでください」
「じいさんには何時でも報告できるのに、聞かないんだから」
「だって、早く言いたかったんですもの」
誇らしそうにマリエは丘の頂を目指す。もう少しでヴィリアンの眠る墓地である。
「俺としちゃ、もう少し恋人同士でいたかったんだが……」
「ずっと恋人同士じゃいけませんか?」
「いてくれるのか?」
「エヴが望まれるのなら。慣れるまではいろいろ忙しいと思いますが、なんたって私は有能なんですから!」
珍しくマリエが胸を張って言った。随分と変わったものだ、とエヴァラードは思う。以前はもっと自分を出さない娘だったのに。
だが、今の方が彼には好ましい、もう二度と自分を抑え込んで我慢などしてほしくない。いつでも対等でいたい。何でも言い合いたい。
「……そうだな。君なら何役でもこなせそうだ。もう少し落ち着いたら義母上達にも会いに行こうな。列車の一番いい席を取ってやる。俺が建てた君の故郷の駅も見てもらいたいし……さあ、ここだ。存分にじいさんに自慢しなさいよ」
「はい!」
晴れがましくマリエは笑い、少し古びた墓に持ってきた花を捧げ、エヴァラードも横に寄り添った。
「よう、じいさん。来てやったぜ」
「ヴィリアン様、こんにちは! 聞いてください! 私達、お父さんとお母さんになるんです!」
二人の小さな家に、元気な男の子が賑やかにやってくるのは、少し先の秋の事になる。
アルファポリス様より、レジーナブックス「灰色のマリエ」1・2発売中でございます。なにとぞよろしゅうお願い申し上げます。
マリエの番外編は思いついたらまた書きます。子育て編とか?
因みに登場する、お芋の揚げ煮あんかけは里芋で作ります。とろっとろで美味しいですよ。