D級
ケルンの葬儀は、灰鐘坑道の再調査を終えた翌朝に行われた。
場所はパナリア西区にある六環教会の小さな礼拝堂だった。
棺は閉じられていた。
ユアンは後ろから二列目の長椅子に座り、正面を見ていた。
ケルンとは親友だったわけではない。依頼で何度か組み、終わった後に酒を飲んだことがある程度だった。それでも、彼が足場の悪い道を歩くのが上手かったことも、報酬が入ると六歳の娘に菓子を買って帰っていたことも知っている。
隣にはノアがいた。
いつもの大きな身体を小さくするように背を丸めている。
祭壇の近くには、ケルンの妻と娘が座っていた。
何を言えばいいのか、最後まで分からなかった。
自分がもっと早く撤退を決めていればよかったのか。
異変に気づいた時点で、全員を無理にでも走らせていれば助かったのか。
考えればいくらでも別の可能性は浮かぶ。
ただ、あの時の自分には、あれより早く危険を理解する材料がなかった。
正しかったかどうかではない。
ケルンは死に、自分は生きている。
その事実だけが残っている。
葬儀が終わると、参列者が一人ずつ遺族へ頭を下げた。
ユアンの番が近づいたところで、前にいた若い傭兵が言葉に詰まった。
「俺が、もっと……」
ケルンの妻が困ったように首を振る。
その時、横から太い手が若い傭兵の肩へ置かれた。
バルドだった。
正装などしていない。いつもの濃色の上着に、使い込まれた義足のままだった。
「今日はそれを言いに来たんじゃねえだろ」
若い傭兵が俯く。
「でも」
「生きて帰った奴が、死んだ奴より自分を責める必要はねえ。反省するなら仕事場でしろ」
言い方は乱暴だった。
それでも若い傭兵の肩から力が抜けた。
バルドは次にケルンの妻へ向き直る。
「補償金の手続きは終わってる。明日、組合から人を寄越す。分からねえことがあれば、そいつに全部聞け」
「ありがとうございます」
「礼はいい。あいつが払ってた組合費から出る金だ」
娘がバルドを見上げる。
「おじさん、お父さんのボス?」
「違う」
バルドは一瞬考えた。
「仕事を渡してた爺だ」
「お父さん、支部長は怖いって言ってた」
礼拝堂の空気が僅かに緩んだ。
バルドは鼻を鳴らす。
「正しいな」
ユアンはそれを少し離れた場所から見ていた。
支部長だからここにいるのだと思う。
きっと他の組合員が死んでも同じことをするのだろう。
それを特別だと思っている者は、周囲には誰もいないようだった。
教会を出ると、ノアが大きく息を吐いた。
「奥さんに礼を言われた」
「何を」
「俺たちが遺体を持って帰ってくれたからって」
「回収したのは救援隊だ」
「そう言った」
「何て返された」
「それでも、生きて戻って場所を教えてくれたって」
ユアンは黙った。
「何て返した?」
「何も」
「俺もたぶん同じだ」
二人はしばらく並んで歩いた。
「仕事、戻るんだろ」
ノアが聞く。
「ああ」
「怖くないのか?」
「怖い」
「即答するなよ」
「怖くなくなったら、たぶん辞めた方がいい」
組合へ戻ると、訓練場側から歓声が聞こえた。
人垣の向こうで二人の男が模擬戦をしている。
一人をユアンは知っていた。
ダリオ・グレン。
27歳のB級上位傭兵だった。
淡い茶髪を几帳面に整え、細い灰色の目と人当たりのよい笑顔を持つ。身長はユアンと大差なく、身体も細身だった。胸当てと細身の剣、腰に並べた投擲用短刃だけを見れば、腕利きというより商会の若い番頭にでも見える。
だが、戦い方には無駄がなかった。
相手のB級傭兵が踏み込む。
ダリオは半歩だけ下がる。
剣を受けない。
相手の切っ先が空を通り過ぎた瞬間、柄頭を手首へ当てる。
剣先が落ちたところで、首筋へ自分の刃を添えた。
「一本!」
審判役が声を上げる。
相手は悔しそうに笑った。
「相変わらず嫌な勝ち方するな」
「痛いの嫌いなんでね」
ダリオは柔らかく笑った。
「今のお前なら勝てる?」
ノアが聞く。
「無理」
ユアンはダリオの足元を見ていた。
特別速いわけではない。
力が強いわけでもない。
相手が剣を振る前に、どこへ振るかを読んでいる。
半歩退けば足りる場面で一歩退かない。その半歩分が反撃の距離になる。
《瞬駆》を得た今だからこそ、速度だけでは埋まらない差が前よりはっきり見えた。
模擬戦を終えたダリオが人垣から出てきて、ユアンに気づく。
「クロウ」
「久しぶり」
「噂の男じゃないか」
「何の」
「SS級と鬼ごっこしたD級」
「鬼ごっこってほど楽しくなかった」
「だろうね」
ダリオは水筒を口へ運びながら、ユアンの姿を見る。
「本当に五体満足なんだな」
「脚は少し壊した」
「それで済んだなら運がいい」
「そうだな」
「否定しないんだ」
「何を否定する?」
ダリオは少し意外そうに目を細めた。
「こういう話って、本人が一番盛るものだからさ。『SS級の攻撃を何度もかわした』『弱点を見抜いた』『あと少しで倒せた』ってね」
「まともに一発受けたら死んでた。弱点は分からない。倒すことなんか考えてない」
「ますます運がいい」
「たぶんな」
「でも、運がいい奴は嫌いじゃないよ」
ダリオの笑みは柔らかいままだった。
「傭兵は死んだら終わりだ。剣が上手かったとか、勇敢だったとか、死体には関係ない。生きて帰ったなら、それは一つの結果だ」
ユアンは少し目を細めた。
今日の葬儀を思い出す。
「今それを言うか」
「だから言うんだよ。死んだ人間を悪く言ってるわけじゃない。生きてる側が、死んだ人間に遠慮して危険な教訓を持つ方がまずい」
ノアが険しい顔になる。
「言い方ってもんがあるだろ」
「あるだろうね。俺はあまり上手くない」
ダリオは肩をすくめる。
「またな、クロウ」
去っていく背中を見ながら、ノアが小さく舌打ちした。
「やっぱり苦手だ」
「間違ってるとも言い切れない」
「だから余計に腹立つんだよ」
ユアンも似た気分だった。
ダリオは冷たい。
だが、ケルンを嘲笑しているわけではない。
傭兵が生き残ることを徹底して現実として見ているだけだ。
今の自分では、戦っても勝てない。
考え方も簡単には否定できない。
「何見てるの」
横から声がした。
シキナが立っていた。
今日は黒い戦闘服の上に濃灰色の外套を羽織っている。
「ダリオ」
「好きなの?」
「何でそうなる」
「ずっと見てたから」
「戦い方を見てた」
「強くなりたい?」
ユアンは少し考えた。
「別に、あいつより強くなりたいわけじゃない」
「じゃあ何がしたい?」
質問の意味を考える。
7年間、そんなことを真面目に考えた記憶はなかった。
依頼を受ける。
生きて帰る。
金を稼ぐ。
宿代を払い、飯を食う。
それでよかった。
「次にあんなのに会った時」
「あんなの?」
「灰鐘坑道のやつ」
シキナが黙って待つ。
「今回より、もう少しマシに逃げたい」
数秒して、彼女の口元が僅かに上がった。
「低い目標」
「現実的だろ」
「嫌いじゃない」
「そりゃどうも」
シキナは掲示板へ視線を移した。
「仕事を探してる?」
「ああ」
「もう坑道へ?」
「しばらく穴の中はいい」
「同感」
A級でもそう思うのかと、ユアンは少し可笑しくなった。
掲示板には低級魔獣の討伐依頼が並んでいる。
《赤牙鼠 農地被害》
《毒袋蛙 用水路》
《夜爪猟犬 西街道牧草地》
ユアンは最後の一枚を見る。
素材欄には、毛皮、牙、魔核の追加買い取り条件まで書かれていた。
普通に倒して持ち帰れば、数日分の生活費にはなる。
以前なら、そこしか見なかった。
今は違う。
もし自分が倒したら。
《スキル核作成》を使ったら。
また結晶になるのか。
指輪はそれも吸収するのか。
何が得られるのか。
そもそも跳脚兎だけが偶然だった可能性もある。
「ユアン」
ノアが横から覗き込む。
「その顔は嫌なこと考えてるな」
「失礼だな」
「受けるの?」
ユアンは夜爪猟犬の依頼票へ手を伸ばした。
その時、後ろから低い声がした。
「クロウ」
振り返ると、バルドが階段の途中に立っている。
ユアンの手元を見て、それから依頼票を確認した。
「脚は?」
「エマから許可は出た」
「単独か?」
「ノアが来る」
「そうか」
それだけ聞いて、バルドは受付へ視線を向けた。
「ミレナ。その依頼、期限を2日伸ばせ」
「分かりました」
ユアンが眉を上げる。
「何で?」
「明日は雨だ。西街道の牧草地は泥になる」
「夜爪猟犬なら雨でも」
「お前の脚の話だ」
バルドは面倒そうに言った。
「治ったばかりで滑ってまた診療院へ行くなら、晴れてから行け。依頼主にはこっちから話す」
返事を待たず、別の職員に呼ばれて歩いていった。
ノアが笑う。
「過保護だな」
「支部長として普通だろ」
「お前、本当にそう思ってるんだな」
「何なんだよ」
受付へ依頼票を持っていくと、ミレナが契約欄を確認した。
「討伐証票で討伐確認ができますので、素材納品義務はありません。毛皮や牙を持ち帰れば別途買い取りになります」
「分かった」
「それから、今回の推奨階級はE級ですが、周辺で複数個体が確認された場合は撤退してください」
「D級なのに?」
「D級だからです。階級が一つ上なら、依頼書にない危険まで引き受ける義務があるとは書かれていません」
ユアンは認識票を見る。
使い込まれた金属板にはDの文字が刻まれている。
長く見慣れた文字だった。
指輪を得たからといって、この一文字が急に変わるわけではない。
その事実は、むしろ今のユアンには心地よかった。
二日後の依頼票を受け取る。
ユアンは右手を外套の上から押さえた。
黒ずんだ銀の指輪の中には、《瞬駆》一つしかない。
空いている場所は二つある。
25歳まで、役に立たないと思っていた固有スキルがある。
今さら何が変わるのかは分からない。
それでも、確かめることはできる。
「……もう一回だけ、試してみるか」
ノアが振り返る。
「何か言った?」
「何でもない」
ユアンは依頼票を折り、懐へ入れた。
今度は逃げながら選ぶのではない。
何が起きるか分からなくても、自分で選んで魔獣を狩りに行く。
その違いが、今は妙に大きく感じられた。




