受験者
試験前日の朝、ユアンは赤鹿亭の食堂で同じ書類を3回読み直していた。受験資格認定書、活動記録の写し、武器と装備の申告書。紛失していないか確認するたび、鞄から出しては戻す。ノアが向かいで呆れた顔をした。
「それ、さっきも見ただろ」
「署名欄が気になって」
「全部書いてある」
「書き忘れがないか」
「落ち着けって」
床ではルゥが寝転び、尾の先だけ動かしていた。
「試験なら俺も受けるのか」
「お前は随伴精霊として登録する」
「なら俺の順位は?」
「順位をつける試験じゃない」
「つまらんな」
「お前に勝手な順位をつけられるよりましだ」
ノアが水を飲み、笑いを堪える。ユアンは書類を束ねた。灰鐘坑道へ入る時の手続きより面倒だが、あの時と違って、受かれば傭兵の立場そのものが変わる。7年もD級を続けてきた自分が本当に受験者として受け入れられるのか、まだどこかで不思議だった。
「今日の受付が済めば、明日の朝から個人審査だ」
ノアが言う。
「説明はちゃんと聞いてこいよ。分かったつもりで走り出すな」
「昨日も言われた」
「じゃあ何回でも言う」
ユアンは立ち上がった。新しい戦闘靴は、昨日までの履き慣らしでようやく足首に馴染み始めた。左前腕甲の縁も調整済みで、剣を握った時に手首を邪魔しない。《黒晶導子》は取り外せるようにしてあり、今回の試験で電気を使わない審査では外すことにしている。装備が増えたから受かるという気にはなれないが、使うものを自分で選べるのは心強かった。
組合の試験受付は普段の依頼窓口と別の建物に設けられていた。壁には各地から来た受験者の名が掲示されている。パナリア支部からの推薦者ばかりではなく、周辺の支部や小さな町の組合員もいるようだった。列へ並ぶと、前の男が振り返った。
「クロウか?」
年齢は30歳手前に見える。長身で肩幅が広く、短い金茶色の髪を無造作に整え、日焼けした頬に小さな傷がある。使い込まれた革鎧の背には長槍が分解した状態で括られていた。身体の重心が落ち着いていて、立っているだけで武器の扱いに慣れているのが分かる。
「そうだけど」
「ロイド・カーヴァー。去年も来た」
「知り合いだったか?」
「いいや。最近の組合掲示を見て、お前の名前を覚えた。灰鐘坑道から帰ったっていう」
「そういう話、どこまで広まってるんだ」
「組合にいると嫌でも聞くさ」
ロイドは笑いながら手を差し出した。握ると掌は厚く、槍の柄で擦れた部分が硬い。
「俺は2回目だ。前回は実地で落ちた」
「それ、初対面で言っていいのか」
「別に隠すことじゃない。勝てると思って粘って、撤退判断が遅れた。結果は妥当だった」
言い訳をしないので、ユアンは少し驚いた。失敗を口にできる人間は案外少ない。自分にも似た覚えがあるだけに、笑えなかった。
「今回は?」
「下がるべき時に下がる。それでまた落ちたら、別のところが足りなかったってことだ」
受付の奥から声がした。
「次の方」
ロイドが書類を渡し、ユアンも後へ続いた。固有スキルの申告欄には《スキル核作成》と記してある。戦闘で用いる技術や魔法についての記載は、公開を求められる範囲と安全管理に必要な情報を区別して確認した。
「随伴精霊も参加されるのですね」
受付の職員がルゥを見た。
「危険時には一緒に動く。勝手に班から離れないようにする」
「了解しました。指揮下の協力者として記録します。ただし、試験官から中止を指示された場合は従ってください」
ルゥが鼻を鳴らす。
「俺も命令されるのか」
「試験だからな」
「仕方あるまい」
職員は苦笑しながら署名した。
受付の奥では別の受験者が装備の申告について職員と相談していた。組合証のランクが上がれば、守るべき安全規則も増える。現場で何ができるかは試験官へ示す必要がある一方、能力の出所や私物の細部まで誰かの興味を満たすために明かす義務はない。その境界を確認できたことで、ユアンは少し肩の力が抜けた。やましいのは秘密を持つことではなく、その秘密を理由に仲間を危険へ晒すことだと思う。少なくとも、ノアからはそう言われている。
受付を出ると、廊下の長椅子に細身の女性が座っていた。見た目は25歳前後で、淡い金髪を後ろへ束ね、少し長い尖った耳を持つエルフだった。明るい灰青色の目が地図を追い、薄い革鎧の背には小ぶりの弓と矢筒がある。周囲の足音がしても慌てず、視線だけを上げた。
「ロイド、また大きい声」
「まだ何も叫んでないぞ」
「あなたは普通の声でも大きい」
女性は地図を畳んで立ち上がる。
「ミレイ・セルヴァです。明日から同じ実地班になると聞きました」
「もう班が決まってるのか」
「受付表の番号が同じです。先ほど職員に確認しました」
「よく見てるな」
「見ないと始まらない仕事なので」
ミレイは笑ったが、自慢には聞こえなかった。腕と手首には弓を引くための筋肉がついている。ユアンは、近接戦闘では自分が有利かもしれないと思う一方、林へ入ったら彼女の方がずっと先に敵を見つけるのだろうと感じた。
そこへ分厚い足音が近づく。
「通路が狭い。少し開けてくれ」
声の主は見た目が30歳ほどのドワーフ男性だった。背は低いが肩と胸の幅が広く、暗い赤褐色の髭を短く編み、濃茶色の目をしている。金属縁のついた盾を背負い、腰に片手槌を吊るしていた。革帯には地図筒と予備の留め金まで整然と収められている。
「バシュ・ドルンだ。今回の班員で間違いないな?」
ミレイが頷く。
「そうです」
バシュはそれぞれの装備へ目を走らせた。
「槍、弓、剣、それに盾か。足りないのは治癒だな。誰か応急処置はできるか」
「基礎はやってる」
ユアンが答える。
「魔法の治癒は得意じゃない」
「それでいい。まず持っているものを確認したい」
バシュは小さな帳面を取り出した。まだ試験が始まっていないのに、準備を怠らない性格なのだろう。ロイドが肩をすくめた。
「始まる前から隊長みたいだな」
「始まってから探しても遅い」
「まあ、その通りだ」
そのやり取りにユアンは少し安心した。誰も自分と同じ考え方をしていない。戦うための準備も、危険の見方も違う。ノアとの連携が便利すぎた分、他人と最初から言葉を積む必要があると分かったばかりだ。自分だけのやり方を押しつけると、また失敗する。
午後には受験者向けの説明会があった。広い講堂へ入ると、前方にB級の試験監督が立っていた。年齢は30歳後半ほど。短い黒灰色の髪には白髪が混じり、左頬には細い古傷が走っている。派手な鎧は着ず、よく手入れされた長剣を腰へ差していた。中肉ながら姿勢に無駄がなく、こちらを見回す目は鋭い。
「サイル・オーデンだ。実地班の監督も担当する」
低い声で名乗った後、サイルは講堂の端から端まで視線を動かした。
「C級試験は、C級魔獣を倒せるかを見る試験じゃない」
ざわついていた空気が静かになる。
「C級は自分の身だけ守ればいい立場じゃない。任務によってはD級以下を預かり、避難民を守り、危険を伝える。強い者ほど判断が遅いこともある。腕が立てば受かると思うな」
ユアンは先日の街道を思い出した。ノアがまずマルクたちを下がらせ、救助班では自分の案を聞いてから決断した。強いからリーダーになるのではなく、連れて帰る責任を引き受けるから指揮を執る。バルドにもそう言われた。
サイルは試験の規則を説明した。個人審査、指揮審査、実地審査。評価は総合で行われ、途中で命に関わる危険が生じれば監督が介入する。その場合も安全確保を優先するが、受験者の判断としては厳しく審査される。
「仲間の死を試験の演出に使うつもりはない。だが、こちらが止める前に何を判断したかは見る」
その言葉に、ユアンは少し背筋を正した。前の席でロイドが真剣な顔で聞いている。ミレイは細かい条件を手元へ記し、バシュは地図の扱いについて質問した。皆、ここまで別々の道を歩いてきた。明日からは同じ場所で、自分の何が足りないかを見られるのだ。
説明会後、ルゥがユアンの横を歩きながら聞いた。
「俺が強ければ合格するのか」
「そういう試験じゃないって言っただろ」
「ではお前が弱くても受かるのか」
「そこも微妙だな」
ロイドが後ろから笑った。
「面白い精霊だな」
「狼だ」
ルゥが胸を張る。
「誰も犬とは言ってないぞ」
「先に言っておく必要がある」
ミレイは口元を隠して笑い、バシュは真面目に頷いた。
「共同行動に問題がないならよい」
そんな会話をしながら講堂を出ると、空は夕焼けに染まっていた。明日のことを考えると、落ち着かない。だが以前のように、合格するには何を倒せばいいかと考えてはいなかった。ロイドの槍、ミレイの弓、バシュの盾。自分にはできないことを、彼らはできる。その力をどう使い、どう無事に戻すか。今のユアンには、そちらの方が難しい問題だった。
赤鹿亭へ戻る道の途中、ルゥが立ち止まった。
「明日の肉は?」
「試験が終わったら考える」
「約束だな?」
「考えるだけだぞ」
「交渉の余地がある」
ユアンは笑い、少しだけ足を速めた。新しい戦闘靴は夕方の石畳にも馴染み、膝の痛みも今日は出ていない。試験で誰より優れている必要はない。自分にできることと、できないことを間違えずに示せればいい。そう考えると、明日へ向かう足取りは思っていたより軽かった。




