隊長の練習
試験まで残り4日になった朝、ユアンは練習場へ入る前から嫌な予感がしていた。ノアが妙に楽しそうだったからだ。木製の標識と縄、薄い板を持ち込んでいる時点で、普通の模擬戦ではない。
「今日は剣を振らないのか?」
「振ってもいいけど、それで全部解決したら失敗だな」
「嫌な言い方するな」
「隊長の練習だから」
練習場の奥にはマルクが大盾を置いて待っていた。エナは矢筒へ先端の柔らかい練習矢を詰め、ニルスは標識の位置を確認している。3人は組合の正式な依頼を断ってまで来たわけではない。昼前までなら空いているというので、ユアンが謝礼と昼食代を負担して頼んだのだった。
「本当に付き合ってくれてありがとう」
ユアンが言うと、エナは笑った。
「試験に落ちられたら奢りが遠のきますから」
「俺は奢ると約束してない」
「じゃあ今日の昼は奢りですね」
「そこは約束してる」
ニルスが頷く。
「報酬確認済み」
「お前まで」
ノアが手を叩いた。
「状況を説明する。南の細道から荷車が3台、こちらへ向かう。前方にはD級の群れが5体。山側の道には崩れかけの斜面。俺は観察役で、指示はユアンが出す。3人は知らない情報を勝手に補わない。分からなければ聞き返して」
「要するに嫌がらせだな」
「立派な訓練だよ」
ユアンは地図を見る。小さな林を模した板の右に細道があり、中央には荷車役の標識が並ぶ。ユアンなら右から走り込み、先頭を止める。マルクが中央を維持し、エナが後方へ抜ける敵を撃ち、ニルスが退路を確認すればいい。頭の中ではすぐ形ができた。
「始めよう」
笛が鳴る。ニルスが林へ入る。エナは中央の岩台へ登り、マルクが盾を持って標識の前へ立った。ユアンが右から回ろうとすると、ノアが木札を返す。林から敵役の板が2枚現れた。
「右!」
ユアンが声を出す。エナが振り向く。
「右の何です?」
「その敵を止めて!」
「私の右? ユアンさんの右?」
その間にマルクが中央へ進む。ユアンはそちらへも声を飛ばした。
「そこで止めて!」
マルクは盾を構える。
「何を?」
「敵だよ!」
「どれだ。前に2、左に1いる」
ノアが笛を吹いた。
「はい、荷車1台破損」
「早くないか?」
「護衛対象へ敵が通ったからな」
「今のは分かるだろ」
「俺は分かるよ」
ノアが笑う。
「お前と7年組んでるから」
エナは両手を腰へ当てた。
「私はまだ数日です!」
ユアンは言い返せなかった。自分の中で見えている地図と敵の位置を、ほかの全員も見ていると思っていた。あの時ノアなら『右、2枚』で障壁を置けた。けれどそれは、長年同じ場面を経験してきたからだ。
最初からやり直す。今度は標識が移動する速度も変わると説明された。
「マルクは中央、荷車から5歩以上離れないで。敵を倒すより通さないことを優先」
マルクが頷く。
「了解」
「エナは右側の岩から見張り。林を抜けて荷車へ向かう敵だけ撃って」
「右側って、道から見て右ですか?」
「そう。俺が走る方」
「分かりました」
「ニルスは山側を見て。崩れそうなら敵の数より先に知らせて」
「了解」
笛が鳴る。今度は順調に進んだ。エナの矢が先頭の板へ当たり、マルクの盾が中央を塞ぐ。ニルスが林を抜けて帰ってきた。
「斜面に割れ。荷車は近づけない方がいい」
ユアンは地図を見る。斜面側を避ければ右へ回るが、右には敵がいる。自分が行けば止められるだろう。そう思った瞬間、ユアンは荷車を忘れかけていた。隊長自身が先へ走れば、背後の状況を見られなくなる。
「エナ、右の敵は止まる?」
「2体なら。3体来たら無理!」
「マルク、右へ半歩寄れる?」
「寄れるが、中央の幅が空く」
「なら動かないで。ニルス、荷車を左へ回す道は?」
「足場が悪い。荷車は無理」
情報が集まる。ユアンは初めて、先に自分が走る必要はないと思えた。
「荷車を待たせる。敵を先に減らそう。エナは2体を止めて、俺が残りを引く。マルクはそのまま。ニルスは荷車役の列へ停止を伝えて」
ノアの笛が短く鳴った。
「判定続行」
全員が動く。ユアンは右から模擬敵を引きつけ、林の外へ誘導した。エナが練習矢を当て、マルクの盾の前を通る道は空かなかった。荷車3台が無事に標識へ到着すると、ノアがようやく終了の笛を吹いた。
「おお、できた」
「褒め方が雑」
「最初よりずっといい。でも、まだ人に仕事を渡しきれてない」
ユアンは額の汗を拭いた。
「どういうこと?」
「今だってニルスに道を聞いたのは最後だろ。山側を確認したら、次に荷車の幅が通るかまで聞けた。事前に分かれば、止めるタイミングも選べる」
ニルスが短く頷いた。
「聞かれれば答える。判断も付けられる」
「自分の仕事だけじゃなくて?」
「斥候だから」
そうだった。ニルスは命令された場所を見るだけの駒ではない。歩ける道か、誰が通れるか、何分前の足跡かまで判断する専門家だ。マルクも、盾が何体を止められるか自分で見積もれる。エナだって矢数と射角を考え、どこまでなら守れるか分かっている。ユアンは自分の解体知識を頼りにされると嬉しい。なのに彼らが持っている知識は、指示するまで使わずに済ませようとしていたのだ。
「次は始める前に皆から条件を聞く」
ノアが笑った。
「それがいい。あと、勝手に1人で死にに行くな」
「行ってない」
「最初の試行じゃ行く気だった」
「……少しだけ」
「少しでも荷車の隊長が消えたら困るんだよ」
片づけに入る前、ノアはもう1度だけ短い課題を出した。今度は敵が突然増えるのではなく、マルクの大盾が壊れたという想定だった。中央防衛が崩れる。ユアンは反射的に自分が前へ入ろうとし、そこで止まった。
「マルク、短槍だけで足止めできる?」
「1体なら。2体来れば抜かれる」
「エナ、中央へ援護できる?」
「高所からならできます。でも右の見張りが薄くなります」
「ニルス、右を代わりに見られるか?」
「見られる。ただし荷車の先導はできない」
ユアンは少し考え、荷車を止めてから再配置する案を出した。ノアが頷く。
「今のなら誰も余計な無茶をしない」
「でも時間はかかる」
「時間より人が残るなら、それでいい場面もある」
本当にそうなのかは現場でしか分からない。けれど、状況が変わっても最初の指示にしがみつかず、仲間へ聞いて組み直す感覚は少し掴めた。
訓練の後、ユアンは自分から3人へ謝った。
「最初は悪かった。分かるように言ったつもりだった」
エナが目を瞬かせる。
「怒ってないですよ。ただ、荷車が壊れたら困るなと思いました」
「実際に壊れたのは木の札だけだけどな」
ノアが言う。
「だから今直せる」
練習場の端では風が板を揺らしていた。失敗を笑われたことより、自分の意図が通じなかった瞬間の方が胸に残っている。実戦ならエナの矢が遅れ、マルクの盾の隙間へ敵が抜けた。それを想像すると、恥ずかしいだけでは済まなかった。
訓練の後、マルクが盾を置いた。
「正直、俺は固定防衛ならお前より得意だ」
「分かってる」
「なら、守る位置は相談してくれ。任された場所を持たせるのが俺の仕事だ」
エナも弓を下ろす。
「私、危ないと思ったらちゃんと言いますよ。指示されたからって無理に撃ち続けたりしません」
ニルスが続ける。
「退路がなくなったら、先に教える」
3人の言い方は特別優しくはなかった。でも、相手を信頼してもいいという意味に聞こえた。ユアンは自分の判断が早ければ全員の役に立つと思っていた。間違いではない。ただ、もっと早く判断するためには、仲間が何を知っているか聞いた方がいいのだろう。
昼飯は赤鹿亭で取った。エナは遠慮なく肉の多い煮込みを頼み、マルクは大きなパン、ニルスは魚の焼き物を選んだ。ルゥだけは自分も訓練へ貢献したと言い張ったが、実際には途中から木陰で寝ていた。
「俺は全体を見ていた」
「目を閉じてたけど」
「気配は分かる」
エナが笑う。
「じゃあ支払いも気配だけでいいですね」
ルゥは真顔になった。
「それは困る」
ノアは食べながら、薄い紙へ書いた今日の記録をユアンへ渡した。最初の失敗では荷車1台破損、2回目は無事。だが採点欄はまだ満点ではない。
「訓練は今日だけじゃ足りないな」
「あと3日だぞ」
「じゃあ明日も復習。人集めるのは難しいから、俺と地図だけでもいい」
「頼む」
ユアンは素直に答えた。ノアに頼るのは久しぶりのことではない。けれど今までは、戦闘中に障壁や治療を頼んでいた。今日は、人へどう頼めばいいのかを教わっている。その違いが少し照れくさかった。
食後、マルクたちが帰るのを見送り、ユアンは練習場へ戻った。標識はまだ残っている。3台の荷車が通る想定の細道を歩き、中央から林までの距離を測り直した。自分で走ればすぐの距離だ。だが5人を同時に動かすなら、声が届くかどうかも考えなければならない。
「難しいか?」
ルゥが聞く。
「ああ」
「お前は考えすぎる」
「そうだな」
「珍しく認めた」
「でも考えないと、仲間を変なところへ走らせる」
ルゥは少し黙った。それから標識の横を歩き、鼻先を地面へ向ける。
「だったら俺にも先に聞け。匂いくらい分かる」
ユアンは相棒を見た。ルゥもまた、自分が全部言わなくても考えられる存在だ。思わず笑う。
「分かった。次は最初に聞く」
「肉の場所もな」
「そこは聞かなくていい」
陽が傾く頃、ユアンは地図の端へ『自分が見ていない場所を聞く』と書き込んだ。試験で何を問われるかはまだ分からない。それでも、今日失敗した理由だけは忘れずにいたかった。




