履き慣らし
試験まで残り7日になった朝、ユアンは黒鉄工房の前で新しい戦闘靴を受け取った。見た目は以前と大きく変わらない。黒褐色の革に、踵から足首へ細い補強帯が斜めに走っている。帯の芯には鎧牙イノシシの後脚腱が織り込まれ、踵には柔らかさの違う革が重ねられていた。
「履け」
ゴードンに言われ、ユアンは座って紐を結んだ。足首を締めると、新しい革がきしむ。立ち上がって数歩歩くだけでも、古い靴より重心が前へ出にくい。
「硬い」
「最初から柔らかいものが欲しけりゃ古いのを履け」
「歩きにくいんだけど」
「歩きながら馴染ませるんだよ。いきなり全力で走るな」
リオがしゃがみ、踵の外側を指で押した。
「足首の外側だけ少し余裕を作れます。今のままでも歩行はできますが、斜面を横切ると窮屈かもしれません」
ユアンは工房の前の緩い坂へ出て、上り下りを繰り返した。足元が安定する分だけ、いつもの自由な曲がり方ができない。道具は良いところだけを増やしてくれるわけではないのだと、足の感触で分かる。
「膝は?」
ゴードンが聞く。
「今は平気」
「痛むならすぐ戻れ。靴が原因か身体がまだ治ってないのかを分けなきゃならん」
ユアンは頷いた。自分が無茶をすれば、職人は装備の問題を調べられなくなる。そのことを忘れたくなかった。
左前腕甲も出来上がっていた。薄い甲殻を何枚かずらして重ね、手首を動かせるようにしてある。内側には耐熱革と絶縁樹脂。重さは思ったほどではないが、腕を回すと縁が衣服へ触れる。
「これで何を受ける」
ゴードンが木槌を手に取った。
「刃を滑らせる」
「じゃあやってみろ」
木槌がゆっくり振られる。ユアンは前腕甲を立てて受けた。鈍い衝撃が肘へ抜ける。
「痛っ」
「止めたからだ。角度をつけろ」
言われた通りに腕を傾けると、次の木槌は甲殻の曲面を滑り、横へ抜けた。痛みは減ったが、完全には消えない。
「盾と同じ使い方はするなよ」
「分かってる」
「重いものをまともに受けりゃ中身へ来る」
リオが紙に調整箇所を書き込む間、ユアンは古い戦闘靴を手に取った。踵はすり減り、つま先の革には細かな裂け目がある。灰鐘坑道から何度も修理してきたものだ。捨てるには惜しいが、旅先で突然壊れるよりはいい。工房へ預けて非常時の予備用へ直してもらうことにした。装備が新しくなっても、使い慣れたものの価値まで消えるわけではない。
ルゥが脇で眺めていた。
「腕で受けるより避ければいい」
「避けられなかった時のためだよ」
「それならもっと早く動け」
「そうできたら苦労しない」
工房裏の試し打ち場で、リオが手甲の紐を調整した。剣を握る動作には支障がない。ただし拳をひねると少し引っかかる。紐の位置を変えると改善した。
残る《黒晶導子》はまだ試作の段階だった。ゴードンが剣の柄元へ小さな金属環を取り付け、その内部に黒晶片を収めている。電気を通すための部品だからといって、黒晶そのものが雷を生み出すわけではない。ユアンが力を流さなければ、ただの小さな装着具だ。
「これはフィアの確認が終わるまで使うな」
「分かった」
珍しくすぐ返すと、ゴードンは疑わしそうな顔をした。
「素直だと逆に不安だな」
「どっちだよ」
昼過ぎ、フィアが工房の試験室へ来た。ゴードンとリオは外で別の修理を進め、ユアンとフィアは絶縁板に囲まれた台の前へ立つ。少量の電気を刀身へ流す実験は、他人が不用意に触れない場所で行う。フィアは事故が起きたら即座に魔力を遮断できるよう準備していた。
「今日は手から剣へ流す分だけ。身体の中へ通すのは禁止」
「分かってる」
「脚も腕も?」
「内側へは流さない」
フィアはようやく頷いた。ユアンはあらかじめ使える状態にしておいた《電流》から、ごく弱い放電を刀身へ流す。黒晶導子の内部が薄く光った。試験板の端へ触れると、小さな火花が走る。しかし途中で途切れた。
「弱いな」
「弱い方がいいんでしょ」
「そうだけど、流したい時に止まるのは困る」
フィアは試験具の指針を見つめた。
「黒晶が一時的に流れを鈍らせてる。急に強く入った分を少し遅らせることはできそう。でも今の形だと刀身へ出る量が足りない」
「割れたりは?」
「今の出力なら大丈夫そう。ただし試した範囲だけよ」
フィアは黒晶導子を外し、試験具の上で静かに冷ましてから結晶の表面を調べた。肉眼では分からないほど小さな筋が、縁へ伸びている。
「これは元からあるひび? それとも今ので増えた?」
ユアンは回収した時の形を思い出した。
「大きい方は前からだ。細いのは分からない」
「分からないなら、増えた可能性を捨てちゃ駄目。これから毎回検査して」
「そんなに弱い素材なのか」
「強い素材でも、得意な力と苦手な力があるの。黒晶の甲殻が硬かったことと、雷魔力へ耐えられることは別」
ユアンは納得した。鎧牙イノシシの甲殻を腕へ使うのと同じ理屈だ。
「交換できる形にした方がいいな」
「それはゴードンに伝えましょう。破損したら即交換できるように。交換材料があるかは疑問だけど」
フィアが頷いた。
リオが呼ばれて部品の隙間を少し広げ、黒晶と導電金具の接触位置を調整した。再び試す。今度は火花が途切れず、細く短く流れた。ユアンは息を吐く。これで、これまで剣へ流れる電量の調整が難しく効果がばらつきやすかったのが、安定して流せるようになる。
フィアが柄へ触れようとするユアンの手を止める。
「まだ熱が残ってる。剣を置いて」
「ああ」
「あと、これを付けたから人体通電が安全になるわけじゃない」
「そこはもう聞いた」
「なら3回目も聞いて」
怒っているというより、心配しているのだと分かった。ユアンは少しだけ申し訳なくなる。
「分かった。脚が本調子になるまでは、身体の内側で試さない」
「本調子でも相談して」
フィアはため息をつき、部品の検査記録をリオへ返した。
夕方、ガルドが練習場へ来た。ユアンは工房の試験室を出て、黒晶導子を外した剣で向かい合う。ガルドは《電流》の詳しい事情を聞いていないし、今ここで話す理由もない。今日見てほしいのは新しい靴と前腕甲の使い方だけだった。
「やるぞ」
ガルドが木剣を上げる。ユアンも構えた。最初の突き込みを避けようとして、新しい靴が地面へ引っかかる。いつもの半歩が出ない。木剣が肩を叩いた。
「遅い」
「靴が」
「靴のせいか、お前が合わせてないのか」
「両方」
「なら動きを変えろ」
今度は前へ踏み込まず、足の向きを先に変えて横へ抜けた。少しうまくいく。しかしガルドは間合いを詰めて追ってくる。ユアンが前腕甲で受けようとすると、木剣が縁に引っかかり、腕の角度を奪われた。
「そこは流す」
「分かってる!」
「分かってる動きじゃない」
何度も同じところを叩かれ、最後は足を払われて尻から地面へ落ちた。ルゥが呆れた声を出す。
「弱いな」
「毎回言わなくていい」
ガルドはすぐには手を貸さなかった。足元へ木剣の先を向け、ユアンの靴が残した跡を示す。
「見ろ」
地面には右足の踵が深く食い込んだ跡があった。その少し先へ左足を滑らせた線が続いている。
「踏み込んでから無理に止まってる。新しい靴は横へずれにくい分、お前の膝が止まる力をまともに受ける」
「じゃあ意味ないのか」
「意味はある。ただし最初から進む方向を考えろ」
ガルドは自分の足を半歩ずらした。踵を真後ろへ残さず、つま先の向きを少し外側へ変えてから踏み込む。地面を掴んで止まるのではなく、膝を曲げ、腰の回転で勢いを逃がしている。
「お前の《瞬駆》は最後の踏み込みが速い。だから終わった時に身体が置いていかれる。止まりたい位置だけ見るな。その次にどちらへ抜けるかまで決めておけ」
ユアンは起き上がり、同じ動きをゆっくり真似た。右足を踏み込み、膝を沈め、左へ腰を回す。新しい靴の補強帯が足首の横ぶれを抑える。靴の方が身体へ合わせてくれるわけではない。逆に、身体が靴の使い方を覚える必要がある。
「もう1回」
「いいだろう」
ガルドが木剣を上げる。今度は打ち込むのではなく、ユアンが横へ避けるところだけを繰り返し試した。5回目で足首が引っかかり、8回目でようやく予想した位置へ止まれた。10回目になると疲労で右足の動きが鈍る。
「そこまでだ」
ガルドが木剣を下げる。
「まだ動ける」
「動けることと、正しい動きができることは違う」
言われてユアンは靴を見た。新しい靴が悪いわけではない。自分が疲れた時、どこから動作が崩れるかも分かった。試験中にそれを知るより、今知れた方がよい。
「明日はゆっくり歩くだけにする」
「そうしろ」
今度こそガルドは手を貸した。
「前より迷いは減った。だが道具が変われば、身体が覚えた動きも少しずれる」
「勝ててないけど」
「そこは別だ」
夕暮れの訓練場に冷たい風が吹いた。ユアンは新しい靴で立ち、ゆっくり体重を移す。まだぎこちない。試験は7日後だ。装備が完成したからといって身体が完成したわけではない。ならば残りの時間で、自分の動きへ合わせるしかない。
「明日も来る?」
ガルドが聞く。
「来る」
「無理はするな」
「ガルドまでそれ言うのか」
「試験前に壊れたら、相手が困る」
ガルドらしい理由だった。ユアンは腕甲の紐を締め直す。少し前なら新しい能力が欲しかった。今は、このぎこちない動きを1歩ずつ自分のものにしていく方が、よほど大事に思えた。




