黒晶レッサーキマイラ
赤い信号弾が上がった方向へ走るほど、街道脇の木々が荒れていった。幹に深い傷が入り、下草が踏み潰されている。ところどころに黒い欠片が落ちていた。ニルスが1つ拾う。
「結晶」
ユアンも手に取った。黒い。光へかざすと内部に薄い紫の筋が見える。石というより、魔獣の甲殻に近い感触だった。
「割れた破片だな」
ノアが聞く。
「何の?」
ユアンは首を振る。
「分からない」
前方から別班の傭兵が走ってきた。額から血を流し、肩で息をしている。
「B級! 黒晶レッサーキマイラ! 西南避難路へ向かってる!」
ノアの表情が変わる。
「避難民は?」
「ラウ村組と採掘集落組が合流中です。まだ200人以上いる!」
「迎撃班は?」
「ダリオさんが入った。他のB級は別地点!」
北部ではA級反応にシキナの班が向かい、フィアは別の大規模な魔獣群を抑えている。ガルドも南側で確認されたB級対応へ回ったと、出発前の伝令で聞いていた。今すぐこちらへ呼べる高ランクはいない。ユアンは胸の奥が重くなるのを感じた。相手はB級だ。黒鉄地下城で、自分の剣がほとんど通らなかった相手と同じ格になる。今度は避難民が近くにいる。ノアは即座に指示した。
「マルク、エナ、ニルス。避難列へ。俺たちは防衛線を作る」
マルクが聞く。
「ユアンは?」
ノアがユアンを見る。
「まず一緒に来い。正面には出す気ない」
「分かってる」
自分でも驚くほど素直に答えられた。以前なら、B級だからこそ何かできないかと先に考えたかもしれない。今は違う。できることを探す前に、できないことを外す。街道の先で大きな音がした。木が1本、横へ倒れる。その向こうから黒い獣が姿を現した。それが《黒晶レッサーキマイラ》だった。体長は5メートル近い。前半身は巨大な黒獅子に似ており、太い前脚と広い胸を持つ。肩から背中にかけて黒い結晶質の甲殻が層のように重なり、動くたびに紫がかった光が内部を走った。後部からは獅子の身体には不釣り合いな長い節状の尾が伸び、先端には湾曲した毒針がある。頭部には獅子の鬣に混じって短い角のような結晶が生え、黄色い目が街道を睨んでいた。複数の魔獣の特徴を持つためキマイラと呼ばれる種だが、レッサーという名に安心できる要素は何もない。深い地下域にいるはずのB級がここまで上がっている以上、この個体も異常の原因ではなく、何かに押し出された側である可能性さえあった。今は確かめる余裕もない。その正面でダリオが戦っていた。長剣が黒晶甲殻へ当たり、火花が散る。黒晶レッサーキマイラの前脚が振られる。ダリオは半歩下がるだけで避け、返す剣を脚の関節へ入れる。浅い。黒晶が刃を止める。
「ユアン!」
ノアの声で我に返る。
「見るな。まず人!」
「分かった!」
避難路には荷車が詰まっていた。老人や子供が徒歩で移動し、負傷者を乗せた担架もある。黒晶レッサーキマイラがあと100メートル近づけば、結晶片だけでも被害が出る。ノアが街道中央へ走る。
「マルク! ここに盾線! エナは右の岩へ! ニルス、列の最後尾と逃げ道!」
「了解!」
「分かった!」
「行く」
3人がそれぞれ動く。ユアンはノアの横へ立つ。
「俺は?」
「今は見る。あいつの攻撃がこっちへ飛ぶなら教えろ」
「あの見るやつ?」
「使いすぎるなよ」
ユアンはすぐ使える3枠を《瞬駆》《魔力視》《硬化》にしてあった。《魔力視》を使う。世界へ淡い流れが重なる。黒晶レッサーキマイラの魔力は濃い。全身に流れているが、特に肩から背中の黒晶へ大量の光が集まっている。尾の根元へ光が移る。
「尾が来る!」
ユアンが叫ぶ。ダリオもすでに気づいていた。長い尾が鞭のように振られる。ダリオが後ろへ跳ぶ。毒針が地面へ突き刺さり、石が割れた。次に背中の黒晶が明るくなる。
「結晶!」
黒晶レッサーキマイラが身体を震わせた。背中から黒い破片が一斉に飛ぶ。ダリオが剣で数個を弾く。残りは街道側へ散った。
「ノア!」
「見えてる!」
透明な障壁が3枚、避難民の前へ重なる。黒い結晶片が次々とぶつかり、硬い音を立てる。1枚目にひびが入り、2枚目まで割れた。3枚目で止まる。ノアが歯を食いしばった。
「重いな、これ」
マルクが大盾を立て、その隙間を埋める。
「次は俺も受ける」
「無理するな。B級の飛び道具だぞ」
「障壁だけに任せるよりましだ」
ノアは一瞬だけマルクの盾を見てから頷いた。
「真正面では受けるな。俺が流した残りだけ頼む」
「それなら持つ」
「エナ、結晶が光ったら声を出して。ユアンだけに見させない」
「了解!」
「ニルス、避難列を止めるな。何があっても左の細道へ流し続けて」
「分かった」
指示が短く飛び、それぞれが自分の場所へ戻る。ユアンはその様子を見て、ノアが自分の情報を便利な答えとして扱っていないことに気づいた。自分が見落としても、エナが見る。障壁で全部を受けず、マルクの盾へ流す。ニルスは戦闘より避難を優先する。1人の力へ全部を預けないための配置だった。自分がC級になるなら、いつかこういう判断も求められるのだろうか。そう考えかけて、ユアンは今は目の前だけを見ることにした。まだ自分はD級で、今日はノアの指示を受ける側だ。エナが高所から叫ぶ。
「後ろから魔獣3! D級です!」
ニルスの声も飛ぶ。
「避難列、まだ半分。左の細道は使える」
ノアは一瞬で決める。
「エナはD級を止めて! マルクはここ維持! ニルス、左へ列を流せ!」
「ユアンは?」
エナが聞く。ノアは黒晶レッサーキマイラを見る。
「俺とこいつを見る!」
その言い方に、ユアンは少しだけ笑いそうになった。自分が魔獣を見るのではなく、ノアが自分まで含めて見る。それが今の立場だった。ダリオが黒晶レッサーキマイラの左前脚へ剣を当てる。何度目かの攻撃で、甲殻の一部に細い亀裂が入った。しかし獣はまだ元気だ。
「ダリオ!」
ノアが叫ぶ。
「避難にあとどれくらい必要だ!」
「知らん!」
ダリオは尾を避けながら返す。
「急げ!」
「そう言うと思った!」
ユアンは《魔力視》を切った。頭の奥が少し重い。まだ使えるが、必要な時だけでいい。
「ノア、あいつの攻撃、3種類は読める」
「3種類?」
「尾の前は根元、結晶片の前は背中、突進の前は前脚へ魔力が集まる」
「弱点は?」
「分からない」
ノアが頷く。
「それでいい」
その返事が妙にありがたかった。見えるなら弱点まで見つけなければならない、と自分で勝手に思い込みそうになる。だが《魔力視》は答えをくれる力ではない。黒晶レッサーキマイラの前脚へ光が集中する。
「突進!」
ダリオが横へ抜ける。巨体が街道を削りながら進む。ダリオを狙ったはずが、その先には避難路があった。
「まずい!」
ノアが障壁を出す。正面へ2枚の障壁を重ねる。黒晶レッサーキマイラがぶつかる。1枚目が即座に砕ける。2枚目も大きくたわんだ。マルクが大盾を地面へ噛ませる。
「来い!」
「マルク、下がれ!」
ユアンが叫ぶ。黒晶レッサーキマイラは止まらない。しかしダリオが側面から長剣を前脚へ叩き込み、進路を強引にずらした。巨体が街道脇の斜面へ突っ込む。土が舞う。マルクは無事だった。ノアが息を吐く。
「助かった」
ユアンはダリオを見る。あれがB級だ。自分たちが止められない突進を、攻撃で方向ごと変える。だからといって、ダリオが余裕なわけではない。右肩の鎧には結晶片が刺さり、左腕にも浅い傷がある。先ほどC級2体を相手にした後でもある。黒晶レッサーキマイラが立ち直る。尾が地面を叩く。ダリオも呼吸が荒い。ユアンは自分の中に湧く焦りを抑えた。正面へ出ても役に立たない。黒鉄オオザルで、それはもう知った。
「ユアン!」
エナが岩の上から叫ぶ。
「背中の結晶、撃つ前に光ってる! 目でも分かる!」
ユアンは見る。確かに、魔力視を使わなくても黒晶の内部がわずかに紫色へ明るくなる。
「尾は?」
「振る前に先端が上がる!」
ニルスも避難列から声を飛ばす。
「突進前、右前脚で2回地面を掻く」
ユアンの中で3つの情報が繋がる。最初は《魔力視》でしか見えなかった予兆が、外側の動きにも表れている。なら、ずっと《魔力視》を使う必要はない。ユアンは次の攻撃を普通の目で見る。尾が少し持ち上がる。
「ダリオ、尾!」
ダリオが避ける。当たった。いや、避けたから当たっていない。読みが当たったということだ。次は背中の黒晶が光る。
「結晶来る!」
ノアが先に障壁を準備する。今度は正面に重ねない。少し傾け、飛んできた結晶片を左右へ流す。消費が減る。
「いいな!」
ユアンが言う。
「お前が先に言えばもっといい!」
「今学んでる!」
避難列は少しずつ動いている。それでも時間がかかる。負傷者も子供もいる。走らせるわけにはいかない。黒晶レッサーキマイラを倒す必要はない。全員を逃がせればいい。だがダリオの消耗を見ると、避難完了まで押さえ続けられる保証もない。ユアンは前脚の亀裂を見る。ダリオが何度も同じ場所へ攻撃を重ねた結果、黒晶が剥がれ、その内側の黒い皮膚が少し見えている。自分の剣なら、あそこへは入るかもしれない。だが入れたところでB級を倒せるわけではない。必要なのは倒すことではない。ユアンはようやく考えを言葉にした。
「倒す方法じゃない」
ノアが横を見る。
「何?」
「ダリオが倒せる形を作る」
黒晶レッサーキマイラが再び唸る。ユアンは前脚の亀裂と、尾の動き、避難列の残りを見た。自分がやるべきことが、少しずつ形になり始めていた。




