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D級解体士、魔獣の力を喰らう~素材を残すか、力に変えるか~  作者: ふゆ夜熊
深層の境界

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30/48

監察官

黒鉄地下城から帰還して3日後、ユアンは再びパナリア支部の会議室へ呼ばれた。

今回はバルドだけではない。シキナとガルドもすでに席についている。

そして窓際には見知らぬ女が立っていた。

年齢は30歳前後に見える。身長は171センチほどで、細身だが背筋はまっすぐ伸びている。背中まで届く深紅色の髪は癖なく落ち、白い肌の額から小さな黒い角が左右に伸びていた。金褐色の細い目は穏やかに見えるのに、視線がこちらへ向くだけで服の内側まで確認されているような感覚がある。黒を基調とした長衣には銀色の徽章が付き、武器らしいものは見えない。

魔族の女性だった。

ユアンが入ると、女は軽く頭を下げた。

「ユアン・クロウさんですね」

「そうです」

「イリス・ヴァレンティアです。王国迷宮管理局から参りました」

声は柔らかい。

それなのに、ユアンはなぜか背筋を伸ばした。

彼女は特別監察官だった。

名前だけは聞いたことがある。迷宮事故、違法採掘、封鎖判断、管理局と組合の調整など、現場と王都の間に入る役職だ。

バルドが椅子を指す。

「座れ」

ユアンはシキナの隣へ座った。

机には黒鉄地下城の地図、採取した毛、鉱粉、魔獣移動記録が並べられている。

イリスは最初からユアン個人へ質問しなかった。

そのことが、逆にユアンには気になった。監察官が自分の指輪を調べに来たのではないかと、呼び出された時から少し警戒していた。しかしイリスの視線はまず地図と試料へ向き、誰が何を見たのかを順番に確認していく。

質問の仕方も独特だった。「なぜそう思ったのか」ではなく、「どこで見たか」「誰が同時に確認したか」「見えなかったものは何か」を先に聞く。推測と事実を混ぜないためなのだと、何問か聞くうちにユアンにも分かった。

それは少しだけ安心できるやり方だった。同時に、自分が曖昧なことを言えばすぐ分かる相手でもある。

「灰燼竜を確認した地点は、下層境界からどの程度離れていましたか」

シキナが答える。

「帰路上の中層寄りです。本来の深層生息域からは明らかに外れています」

「追跡行動は?」

「崩落橋まで追ってきました。ただ、反対側へ渡った後は追撃を中止しました」

「翼は?」

「開きませんでした。地下構造上の制限か、追跡意思がなかったのかは不明です」

イリスは記録官へ視線を向ける。隣の職員が書き込む。

次にガルドへ。

「黒鉄オオザルは?」

「下層境界の観測地点まで上がっていました。戦闘になりましたが、こちらから深層へ追ってはいません」

「個体に外傷や異常行動は?」

「見た範囲ではなし」

最後にユアンへ視線が来た。

「魔獣たちが上層へ移動していた理由について、どう考えていますか」

ユアンは少し考えた。

「何かを避けてるようには見えました」

「灰燼竜を?」

「分かりません」

イリスの細い目がわずかに動く。

「灰燼竜を確認したのに?」

「灰燼竜から逃げた個体もいるかもしれない。でも、それより前から複数の場所で生息域がずれてる。全部同じ原因とは限らない」

「翡翠樹洞も含めて?」

「あそこも似てる。でも繋がってる証拠はない」

イリスは少し笑った。

「断定しないのですね」

「見てないことは分からないから」

「良い答えです」

褒められたはずなのに、気持ちは軽くならない。

イリスの質問は穏やかだが、必要なところだけ正確に刺してくる。


会議は1時間ほど続いた。

管理局は黒鉄地下城の中層以下を一時的に立入制限し、B級以上を含む追加調査隊を編成することになった。翡翠樹洞の記録も並行して精査する。

「ユアン、お前はここまででいい」

バルドが言った。

立ち上がろうとすると、イリスが口を開く。

「すみません。ユアンさんだけ、少し残っていただけますか」

室内の空気がわずかに変わった。

ユアンはシキナを見る。

シキナは何も言わず、ほんの少し頷いた。

ガルドも立ち上がる。

「先に外にいる」

シキナとガルド、それに記録官が出ていく。

扉が閉まった。

バルドは残るかと思ったが、イリスが視線を向けると彼も立った。

「本人が嫌なら終わらせろ」

「もちろんです」

バルドも出る。

部屋にはユアンとイリスだけが残った。

机の上へ新しい薄い書類が置かれる。

表紙に自分の名前がある。

ユアンは嫌な感じがした。

イリスが椅子へ座る。

「緊張していますか」

「少し」

「安心してください。取り調べではありません」

「そう言われると余計に」

「よく言われます」

冗談なのか判断しづらい。

イリスは書類を開いた。

「あなたの固有スキルについては最初から知っています」

ユアンの心臓がわずかに強く打った。

表情には出さない。

イリスが読み上げる。

「《スキル核作成》。討伐した魔獣の死体を結晶化する。発動時、同一個体に由来する素材はすべて消失する。生成された核には既知の用途がなく、一定時間が経過すると消失する」

公開されている情報だけだ。

指輪の話はない。

「合ってます」

「これについて隠していることを聞きたいわけではありません」

その言い方に、逆に警戒する。

イリスは別の書類を置いた。

表紙には《灰鐘坑道》と記されていた。

「私が知りたいのはこちらです」

ユアンは表紙を見る。

「灰鐘?」

「あなたは約7年間、傭兵として大きな評価変動がありませんでした」

悪意のない事実だった。

「D級上位。解体技術は高い。戦闘では堅実ですが突出した記録は少ない」

「否定しません」

「ところが灰鐘坑道からの生還後、記録が急に変化しています」

イリスは指で項目を追う。

「複数の依頼でこれまで見られなかった高速移動。翡翠樹洞の調査参加。C級鋼角熊の討伐記録。随伴精霊ルゥの出現。そして黒鉄地下城での調査実績」

ユアンは黙る。

能力名までは書かれていない。

指輪吸収もない。

だが外から見える変化だけを並べても、不自然なのは確かだった。

イリスが顔を上げる。

「あなたの固有スキルについては最初から知っています」

静かな声だった。

「私が知りたいのは、灰鐘坑道から戻った後、何が変わったのかです」

ユアンは右手の指輪を意識した。

嘘をつくことはできる。

だが、イリスが何をどこまで調べているか分からない。

全部を話すつもりもない。

「灰鐘で古い魔導具を拾いました」

イリスの視線が右手へ落ちる。

「ルゥが現れた指輪ですか?」

背中がわずかに強張る。

「知ってるんですか」

「随伴精霊の仮登録書に記載されています。灰鐘坑道で取得した魔導具から出現した、と」

そこまでだった。

ユアンは息を少し吐く。

「そうです」

「その魔導具が、あなたの戦闘能力の変化にも関係していますか」

核心へ近い。

ユアンはすぐ答えなかった。

イリスも急かさない。

沈黙が長くなる。

「今言えるのは、灰鐘で拾ったものが俺に影響してる、ということまでです」

「具体的には?」

「今は話したくない」

自分でも驚くほど正直に言えた。

イリスは怒らない。

「分かりました」

ユアンは逆に戸惑う。

「それで終わり?」

「今は」

その2文字が妙に重い。

イリスは書類を閉じた。

ユアンは彼女の手元を見た。契約書も魔術具も出していない。何かの力で答えを強制されている感覚もない。ただ記録と自分の反応だけを見ている。

「もっと強く聞かないんですね」

思わず言うと、イリスは少し首を傾げた。

「必要がありますか?」

「監察官なら、全部話せって言うのかと思ってた」

「あなたが違法行為をしている証拠も、現時点で町へ危険を与えている証拠もありません。疑問があることと、強制する理由があることは別です」

その言葉に、ユアンは少しだけ警戒を緩めた。信用したわけではない。ただ、少なくとも自分の秘密を暴くこと自体が目的ではないらしい。

「1つだけ確認します。その魔導具は、今この町に直接の危険を及ぼしていますか」

ユアンはルゥ、指輪、これまでの使用を思い返す。

「分からない部分はある。でも、今まで町を傷つけるような動きはしてない」

「あなた自身が制御できない現象は?」

「ルゥが出た時は制御できなかった」

「他には?」

「ない」

少なくとも今のところは。

イリスは頷いた。

「では、現時点で強制的な提出や封印を求める理由はありません」

ユアンは思わず聞く。

「そんな権限あるんですか」

「危険な始原遺物と判断されれば、手続きの上では」

「怖いことさらっと言いますね」

「脅す意図はありません」

本当にそう見えるから困る。

イリスは最後に言った。

「ただし、あなた自身が危険を感じた場合は、私かパナリア支部へ報告してください。秘密を守ることと、事故を隠すことは同じではありません」

シキナに似たことを言われた記憶が蘇る。

「分かりました」

「ありがとうございます。今日は以上です」

ユアンは立ち上がった。

扉を開けると、廊下の壁際にシキナがいた。

ガルドはもう帰ったらしい。

「待ってたの?」

「少し」

2人で歩き出す。

「何を聞かれた?」

「灰鐘で何が変わったか」

「何て答えた?」

「魔導具を拾った」

「それだけ?」

「それだけ」

シキナは少し考えた。

「イリス・ヴァレンティアは、そこで終わらないと思う」

「だろうな」

階段を下りると、入口近くでルゥが寝そべっていた。

ユアンを見るなり立ち上がる。

「遅い」

「話が長かった」

「赤い髪の女か」

「会ってないだろ」

「匂いはした」

「何の匂いだよ」

ルゥは鼻を鳴らす。

「面倒な匂い」

シキナが小さく笑った。

「それは合ってるかも」

外へ出る。

パナリアの街はいつも通りだった。

商人が声を上げ、荷車が通り、食堂から焼いた肉の匂いが流れてくる。

地下で何が起きていても、地上の日常は続いている。

ユアンは右手の指輪を見る。

灰鐘から戻って何が変わったのか。

イリスに聞かれた問いは、自分自身にもまだ答えられない。

力は増えた。

仲間も増えた。

見えるものも増えた。

それでも、分からないものは前より増えている気がする。

ルゥが先を歩く。

シキナがその隣へ並ぶ。

ユアンも後を追った。

分からないなら、今は分からないまま進むしかない。

ただし、見えたものを答えだと思わないこと。

届かない相手へ、届くふりをしないこと。

それだけは、黒鉄地下城で嫌というほど覚えた。

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