霊眼フクロウ
霊眼フクロウは鳴かなかった。
青白い眼だけが、暗い岩棚の上からユアンを追っている。
「何で俺だけ見てる」
「指輪かもしれない」
シキナが言った。
「魔力の強い場所を狙う魔獣だから」
ユアンは指輪へ視線を落とす。今すぐ使えるのは《瞬駆》《気配希薄》《硬化》の3つだ。中層へ入る前、近接戦闘を想定して組んでいた。
霊眼フクロウが翼を開く。
幅は3メートル近い。
ほとんど音を立てず、落ちるように飛んだ。
「来る!」
ユアンは黒鉄柱の陰へ入り、視線が切れた瞬間に《気配希薄》を使う。
これまでなら、姿を見失った相手は少なくとも反応が遅れた。
だが霊眼フクロウの頭は、柱越しにユアンの動きを追った。
「見えてる?」
柱の反対へ回った瞬間、爪が飛んでくる。
ユアンは《瞬駆》で横へ抜けた。
岩床に爪が食い込み、石片が飛ぶ。
「別のものを見てる」
シキナが霊眼フクロウの目を見ながら言う。
「姿じゃなくて、魔力かもしれない」
霊眼フクロウが再び上昇する。
ユアンは息を整えながら天井を見る。高所から降りるたびに爪を使い、低空で進路を変える。鋼角熊のような重さはないが、空中にいる時間が長い分、こちらの攻撃機会が少ない。
「シキナ、あいつの強みって眼だけ?」
「眼が最も厄介。でも爪も普通に危ない。C級の中では耐久が低い方だけど、魔術師相手だと評価が上がる」
「近づければ倒せる」
「近づければね」
簡単に言われて、ユアンは苦笑した。
ガルドが霊眼フクロウの旋回を見ながら言う。
「能力で消えるより、動きで視線を外せ。見えてても身体が追いつかなきゃ同じだ」
それはガルドらしい助言だった。見られること自体を消そうとするのではなく、見えていても対応できない瞬間を作る。ユアンは剣の握りを直した。
ガルドが片刃剣を抜いた。
「入るか?」
ユアンは瞬間だけ迷った。
身体能力だけなら、鋼角熊より明らかに下だ。だが空を取られ、《気配希薄》も効かない。相性は良くない。
シキナが聞く。
「やれる?」
ユアンは自分の足と剣を見る。
「やる」
「危ないと思ったら入る」
「それでいい」
言葉にした瞬間、腹の奥が少し冷えた。C級を倒した経験が増えたからといって、C級なら勝てるわけではない。フィアが落とした雷嘴鳥でも、最後まで危なかった。
霊眼フクロウが旋回する。
ユアンは《気配希薄》を切らない。効かないなら、それを確かめる。
岩陰へ入り、息を殺す。
青白い目がぴたりと追う。
「完全に見えてるな」
ルゥが唸る。
「俺が行く」
「速さはまだ使うな」
「分かっている」
ルゥが普通の脚で走り出す。
霊眼フクロウの眼がルゥへ向いた。
その瞬間、ユアンは気づいた。
自分だけを見ていたわけではない。ルゥにも反応している。指輪とつながる力か、身体の中の魔力を見ている可能性が高い。
「ルゥ、魔力を使うな!」
「使っていない!」
ルゥが岩を蹴って跳ぶ。
霊眼フクロウは簡単に高度を上げた。
その時、ユアンが《瞬駆》を使おうと意識した瞬間だった。
霊眼フクロウの頭が先にこちらへ向いた。
まだ動いていない。
なのに見られた。
ユアンの背中に寒気が走る。
「使う前から分かる?」
試すように、もう1度《瞬駆》へ意識を寄せる。
霊眼フクロウの眼がわずかに細くなる。
確信した。
「能力を使う時の流れを見てる」
ガルドが言う。
「なら使わない方が読まれにくい」
「そうする」
ユアンは剣を構え直した。
霊眼フクロウが再び降りる。
今度は《瞬駆》を使わない。
普通に左へ走る。
霊眼フクロウの爪が追う。
速いが、軌道は素直だ。
低空へ降りたところでルゥが右から吠える。
青白い眼がルゥへ向いた。
ユアンはそこで初めて《瞬駆》を使った。
予備動作を読まれても、距離が短ければ避ける余裕は少ない。
素早く翼の下へ入る。
剣を振る。
刃が腹の羽毛を裂いた。
浅い。
霊眼フクロウが翼を叩きつける。
ユアンは左腕だけ《硬化》して受けた。
風圧と骨の重さが重なり、身体が半歩下がる。
霊眼フクロウはすぐ離れた。
「浅いな」
ガルドが言う。
「羽が厚い」
「もう1度来る」
シキナの声が飛ぶ。
霊眼フクロウは今度、ユアンではなくルゥを狙った。
ルゥが岩陰へ走る。
追わせるつもりだ。
「右の岩へ!」
ユアンが叫ぶ。
ルゥが進路を変える。
霊眼フクロウも追う。
右の岩棚は低い。上昇するには1度翼を大きく広げる必要がある。
ユアンはそこへ走った。
霊眼フクロウがルゥへ爪を伸ばす。
ルゥが直前で横へ飛ぶ。
翼が岩壁へぶつかり、羽音が乱れた。
「今!」
ユアンは《瞬駆》を使う。
霊眼フクロウの青い眼がこちらを向く。
遅い。
剣を胸へ突き込む。
手応えがある。
だが致命傷ではない。
霊眼フクロウが暴れ、翼でユアンを弾く。
ユアンは地面へ転がった。
息が詰まる。
霊眼フクロウが再び浮こうとする。
ルゥが岩の上から跳んだ。
前脚が背へ当たり、霊眼フクロウの身体が沈む。
「重い!」
「離れろ!」
ルゥが飛び退く。
ユアンは立ち上がり、さっきの傷を狙った。
胸の羽毛が血で濡れている。
《瞬駆》は使わない。
普通に2歩踏み込み、両手で剣を押し込む。刃が深く入る。
霊眼フクロウの翼が震えた。爪がユアンの肩へ伸びる。《硬化》を肩へ集中する。
衝撃で膝が沈む。それでも剣は抜かない。さらに押す。
霊眼フクロウの力が落ちた。数秒後、討伐証票が反応する。
ユアンは呼吸を整えてから剣を抜いた。肩が痛い。だが動く。
シキナが近づく。
「怪我は?」
「打っただけ」
「見せて」
「また?」
「また」
ガルドが霊眼フクロウの死体へしゃがんだ。
「眼球と羽は高いぞ」
ユアンが肩を触られながら答える。
「知ってる」
「核にする?」
「する」
ガルドは意外そうにはしなかった。
「理由は?」
「この眼が何を見てたのか知りたい」
シキナが言う。
「核にしたら、あの眼と同じ力が出る?」
「これまで同じ種から出る能力は同じだった。だから可能性は高い。でも、この種を核にするのは初めてだから内容までは分からない」
「なら分かった」
霊眼フクロウは今回の指定調査個体ではない。外形、位置、傷、行動だけ記録し、処分権はユアンへ戻された。
ユアンは死体へ手を置く。
《スキル核作成》を使うと、灰白色の羽も大きな眼もすべて淡い粒子へ変わった。
透明な核が残る。
「眼だけでも高かったぞ」
ガルドがもう1度言う。
「2回言うな」
「比較材料だ」
「分かってる」
周囲を確認してから、ユアンは核を指輪へ吸収させた。
今回はシキナもガルドも指輪の秘密を知っているため、隠れて吸収する必要はない。それでも核が消える瞬間を見ると、ユアンは反射的に周囲を確認してしまう。秘密にしてきた時間が長いせいか、身体に染みついた癖になっていた。
ガルドがその様子を見て言う。
「俺たちがいるのに隠すのか」
「隠してない。癖だよ」
「なら町ではその癖を残しとけ」
「分かってる」
シキナも小さく頷いた。秘密を共有する人数が増えたからといって、秘密そのものが軽くなったわけではない。
頭の奥へ新しい感覚が流れ込む。
新たに浮かんだ名は《魔力視》だった。
名前が浮かんだ瞬間、ユアンは息を止めた。
「当たり?」
シキナが聞く。
「たぶん」
「使う前から言うな」
ガルドに返される。
ユアンは《気配希薄》を休ませ、《魔力視》をすぐ使える状態へ切り替えた。《瞬駆》《硬化》《魔力視》の3つになる。
「試す」
視界へ意識を集中する。
最初は何も変わらない。
次の瞬間、世界の輪郭に薄い光が重なった。
シキナの身体には細く鋭い魔力の流れが巡り、《暮断》を握る手へ少し強く集まっている。ガルドの魔力は驚くほど弱い。ほとんど光が見えず、その代わり身体の動きだけがくっきりしている。
ルゥを見る。
銀灰色の身体から、ユアンの右手へ細い光が伸びていた。
「繋がってる」
ルゥが自分の身体を見る。
「何が?」
「お前と指輪」
ユアンは右手へ視線を落とした。
その瞬間、頭の奥へ針を刺されたような痛みが走る。
指輪の周囲だけ、光の層が異常に多い。
細い線が何重にも絡み、どこへ続いているのか見えない。
「っ」
ユアンはすぐ《魔力視》を切った。
シキナが肩を掴む。
「どうしたの?」
「見すぎた」
「何を」
ユアンは指輪を見る。
今はただの黒銀の輪にしか見えない。
「これ」
「指輪?」
「ああ。ルゥより複雑だった」
ガルドが眉を寄せる。
「頭痛?」
「少し」
「なら今はやめろ」
ユアンは素直に頷いた。
少し休んでから、今度は安全な範囲で使い方を確かめた。黒鉄柱を見ると、表面には何もないのに、その内側へごく細い光が走っている。普通の岩壁にはほとんど流れがない。落ちている魔石片へ向けると、中心だけが強く光った。
「壁の向こうは?」
ガルドが聞く。
ユアンは近くの薄い岩壁へ視線を向けた。
「岩自体は透けない。向こうに強い魔力があれば滲むかもしれないけど、形までは分からない」
「生き物なら全部見つけられる?」
シキナが聞く。
「分からない。魔力が弱ければ見落とすと思う。ガルドなんてかなり薄い」
「悪かったな」
「悪いとは言ってない」
ルゥへ向けると、指輪との繋がりがまた見えた。だが今度は深追いせず、数秒で視線を外す。
見える。
それは確かに便利だった。
だが、見えたものの意味までは分からない。
指輪の光が何なのかも、ルゥとの線が何を示すのかも、何1つ答えは出ていなかった。
それでも、ユアンの中には嫌な好奇心が生まれていた。
もっと見れば、何か分かるかもしれない。
その考えを、シキナの声が止めた。
「今、もう1回見ようとした?」
「してない」
「嘘」
ガルドまで言う。
「顔に出てる」
ユアンはため息をついた。
どうやら隠し事には向いていても、好奇心を隠すのには向いていないらしい。




