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D級解体士、魔獣の力を喰らう~素材を残すか、力に変えるか~  作者: ふゆ夜熊
深層の境界

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黒鉄地下城

パナリア支部の会議室へ入った時、ユアンは机の上に広げられた地図を見て、嫌な予感を覚えた。赤い印が同じ方向へ寄っている。場所は《黒鉄地下城》。パナリア北部にある大型迷宮で、天然洞窟と始原文明の地下施設が複雑に重なった混成型迷宮だ。

机の向こうに立つバルドが太い指で地図を叩いた。

「似た報告が3件上がった。本来なら中層より下にいる魔獣が、ここ2週間で上へ出てる」

地図には上層、中層、下層境界、深層の区分が書き込まれている。上層はE級からD級、中層はD級からC級、下層境界ではC級からB級が混じり、深層ではB級以上、まれにA級まで確認される。

ユアンは自然と最下部へ目をやった。D級の自分が足を踏み入れる場所ではない。

「俺を呼んだのは?」

「戦力じゃねえ」

バルドは即答した。

「分かってる」

「ならいい。お前は解体士として入れ。翡翠樹洞で胃の中身、足跡、付着物から生息域のずれを拾った。その目を借りる」

シキナが壁際で腕を組んでいる。黒い軽装に《暮断》を帯びた姿はいつも通りで、隣にはガルドが立っていた。暗緑色の短髪と引き締まった長身、魔獣素材を組み込んだ軽装防具も変わらない。今回の主力はA級のシキナとB級のガルドだ。

バルドが続ける。

「正式な調査範囲は下層境界まで。深層へは入るな。ユアン、戦う相手は選べ」

「分かった」

「シキナ」

「私が撤退を決めたら戻る」

シキナがユアンを見る。

「聞いた?」

「聞いた」

「本当に?」

ユアンは思わず顔をしかめた。

「最近みんな同じこと聞くな」

ガルドが淡々と返す。

「理由は分かるだろ」

反論できなかった。

ノアは別任務で同行しない。フィアも王都から来た魔術師隊の訓練に参加している。ルゥは当然のようにユアンの足元に座っていた。

「俺もいる」

「忘れてない」

「ならよい」

バルドは最後に地図の中層部分へ丸をつけた。

「最初の目的はここまでだ。小型魔獣が消えた区画を確認し、痕跡を取る。異常が強いなら下層境界の観測地点まで進む。無理なら戻れ」

「原因を見つけろ、じゃないんだな」

ユアンが聞く。

「原因が見つからねえことも結果だ。生きて持ち帰れ」

その言葉が妙に残った。


翌朝、《黒鉄地下城》へ向かった。

街を出てから迷宮までは馬車で約2時間かかる。ユアンは揺れる荷台で装備を確認しながら、今回の立場を何度も頭の中で確かめていた。自分は戦闘の主力ではない。解体士として痕跡を見るために呼ばれた。危険が大きければシキナの判断に従い、ガルドが前へ出たなら無理に並ばない。それは分かっている。それでも、C級を何度か倒した経験が、どこかで自分を勘違いさせていないかが怖かった。

向かいに座るガルドが剣の留め具を直しながら言った。

「顔が固いぞ」

「地下城に入るんだから普通だろ」

「前よりましだ。前は考えてる時ほど前へ出る顔してた」

「どんな顔だよ」

シキナが窓の外を見たまま口を挟む。

「分かる」

「分かるのか」

「少し」

ルゥまで鼻を鳴らした。

「主は考えていることが顔に出る」

「全員で言うな」

小さく笑いが起きたことで、肩の力が少し抜けた。

黒鉄地下城の周辺には、以前は採掘業者や研究者向けの小さな詰所が並んでいたらしい。今は異常報告を受けて利用者が減り、入口前の広場には組合の監視員と撤収準備中の採取隊しかいなかった。監視員はシキナの組合証を確認し、ユアンの等級を見たところでわずかに眉を寄せた。

「D級が下層境界まで?」

「戦闘員ではなく調査補助です。私とガルドが同行します」

シキナが説明すると、監視員は規定書を確認してから通行札を渡した。

ユアンはそのやり取りを黙って見ていた。特例であることを、入口でもう1度突きつけられた気がした。

入口は山肌を切り取ったような巨大な縦穴の底にあり、古い石門の周囲を黒鉄色の柱が支えていた。柱はどれも人の胴ほど太く、表面には意味の分からない細い溝が走っている。上から垂れた根や鍾乳石がその間へ入り込み、人工物なのか自然洞窟なのか、境目が分からなくなっていた。

中へ入ると、空気が急に冷える。

「懐かしい」

ルゥが言った。

ユアンは足を止める。

「何が?」

ルゥも黒い柱を見上げる。

「分からん」

「毎回それだな」

「思い出せないものは仕方ない」

「せめて何が懐かしいかくらい」

「匂いだ」

ルゥが鼻を動かす。

「金属と石と、古い魔力の匂い」

ユアンには普通の湿った地下の匂いしか分からなかった。

上層は静かだった。

静かすぎる。

普通なら足音を立てれば、岩陰から小型魔獣が逃げる気配くらいはある。ところが、しばらく歩いても鳴き声すら聞こえない。

ガルドが地面へしゃがんだ。

「足跡はある」

ユアンも隣へ座る。細い爪痕が何本も同じ方向へ伸びていた。

「古い。2日か3日前」

「全部、出口側か」

「そう見える」

さらに進むと、小型魔獣の死骸が見つかった。灰色の体毛を持つ洞鼠で、胴体が不自然に潰れている。

死骸は1体だけではなかった。少し先の岩陰にも2体あり、どれも食べられた形跡がない。ユアンは位置を記録し、死後の時間を大まかに見積もった。新しいものと古いものが混じっている。1度だけ大型種が通ったのではなく、何度か同じ経路を使っている可能性がある。

「血の乾き方が違う」

シキナがしゃがむ。

「時間が別?」

「ああ。こっちは昨日くらい。向こうはもう少し古い」

ガルドが通路幅を測るように左右を見る。

「同じ大型種か?」

「足跡が残ってないから分からない。でも踏み方は似てる」

ユアンは自分の言葉に注意した。似ていることと、同じであることは違う。調査ではその差を曖昧にしたくなかった。

ユアンは手袋をはめ、死骸を裏返した。

「食われてない」

ガルドが聞く。

「縄張り争い?」

「それなら噛み傷や爪痕が残る。これは踏まれた」

「大きいのが通った?」

「たぶん」

ユアンは潰れ方を見る。肋骨が片側からまとめて折れ、内臓が押し出されている。大型魔獣が急いで通過した時に、避けきれなかったように見える。

シキナが周囲を見る。

「逃げてた?」

「可能性はある。でもこれだけじゃ決められない」

答えながら、自分でも少し安心した。以前なら、推測が形になった瞬間にそれを答えだと思いたくなったかもしれない。今は分からないものを分からないまま持って帰る方が、よほど大事だと分かる。

中層へ降りる階段では、さらに大きな足跡が見つかった。3本指で、深さはユアンの親指ほどある。

「C級以上」

ガルドが言う。

「たぶん」

ユアンは足跡の縁に触れる。

「新しい。半日も経ってない」

シキナが《暮断》へ手を置く。

「隊列変える。私が前。ユアンとルゥが中央。ガルドが後ろ」

誰も逆らわない。


中層へ入ると、黒鉄の柱が増えた。壁の一部が自然岩ではなく、黒い金属板で覆われている。古代施設の残骸らしいが、ほとんどは錆びずに残っていた。

中層入口には古い避難標識が打たれていたが、その脇の壁には新しい擦り傷が何本も残っている。ユアンは高さを測った。地面から2メートルを超える位置にも傷があり、小型種のものではない。

「入口近くまで大型が来てる」

「人の匂いを追った可能性は?」

シキナが聞く。

「ある。でも傷は奥から外へ向かってる。入ってきたより、出ようとして擦ったように見える」

口にしてから、ユアンはその光景を想像した。大きな魔獣が狭い通路を急いで上へ抜けようとする。理由が分からないからこそ、その姿が妙に生々しかった。

ユアンはその表面を見ながら歩く。

「始原文明って、どれくらい前なんだっけ」

「3000年以上」

ガルドが答える。

「それでこれだけ残るのか」

「だから研究者が欲しがる」

ルゥが壁へ鼻を近づける。

「道だった」

ユアンが見る。

「何が?」

ルゥはしばらく黙った。

「分からん」

「またか」

「だが、これは壁ではなかった気がする」

「扉?」

「それも違う」

シキナが振り返る。

「無理に思い出させない方がいい」

「分かってる」

ルゥは不満そうに鼻を鳴らしたが、歩き出した。

中層の第2観測点に着く頃には、違和感は確信に変わっていた。本来なら洞鼠や甲虫型魔獣が多い区画なのに、小型種がほとんどいない。代わりに壁には大型の爪痕があり、床には黒い毛が落ちていた。

ユアンが毛を拾う。

「鋼角熊じゃない」

「何の毛?」

シキナが聞く。

「分からない。太いけど中空じゃない。熊系より硬い」

ガルドが受け取って指で曲げる。

「下層の黒鉄オオザルに似てる」

ユアンは顔を上げた。

「ここまで上がる?」

「普通はない」

また1つ、嫌な材料が増えた。

観測点を越えた直後、ルゥの耳が立った。

「上だ」

ユアンは反射的に見上げる。

黒鉄柱の横、天井近くの岩棚で、青白い2つの目が開いた。

羽音は聞こえなかった。

巨大なフクロウが、逆さまに近い角度で岩へ爪を掛けている。体長は1メートルほどだが、畳んだ翼でも人の胴より大きい。灰白色の羽毛には青い斑紋があり、顔の中央には不自然なほど大きな眼が2つ並んでいた。

シキナの声が低くなる。

「霊眼フクロウ」

C級の魔獣だ。

ユアンは剣へ手を伸ばした。

霊眼フクロウの視線が、真っすぐ自分だけを捉えていた。

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