滑空
黒鉄工房で剣を改修してから5日後、ユアンはガルドと一緒にパナリア北西の断崖地帯へ向かった。
依頼は、崖沿いの街道を通る荷運び隊を襲っているC級《滑空トカゲ》の討伐だった。滑空トカゲは翼を持たない代わりに、前脚から胴体へ薄い膜を張り、高所から滑るように移動する。崖から崖へ渡るため、地上だけを見ていると突然頭上から襲われる厄介な魔獣だった。
同行はユアン、ルゥ、ガルドの3人だけだ。
崖道を歩きながらガルドが聞く。
「今日はノアもシキナもいないんだな」
「2人とも別の仕事だ」
「なら障壁もA級もなし」
「最初からその予定だろ」
ガルドは肩へ担いだ片刃剣を軽く持ち直した。
ユアンは指輪の状態を確認する。探索中は《瞬駆》《暗視》《気配希薄》をすぐ使える状態にしていた。滑空トカゲは崖壁の裂け目へ潜むことが多く、日陰の洞穴を確認するには《暗視》が役に立つ。《振動感知》は滑空中の相手にはほとんど意味がない。
《電流》は休ませている。断崖で腕や脚が痙攣すれば、魔獣より先に自分が死ぬ。ガルドはまだ、その能力の存在自体を知らない。
ルゥが先を歩きながら鼻を動かした。
「獣臭い」
「方向は?」
「上」
3人が見上げる。
黒い岩壁の途中に細い裂け目があり、その周囲だけ白い糞跡が残っていた。
ガルドが地面へしゃがむ。
「荷馬車の骨じゃないな」
裂け目の下には小型獣の骨が散っている。
ユアンは1本拾って見る。
「山羊系。まだ新しい」
「巣か?」
「可能性はある」
ガルドはすぐ登ろうとしなかった。
「上から見られてる前提で行くぞ」
ユアンは頷く。
2人で左右に分かれ、ルゥを少し後ろへ置く。裂け目へ近づくにつれて影が濃くなる。
ユアンは《暗視》を使った。
暗がりの中に岩肌の輪郭が浮かぶ。
何もいない。
ただし、奥の壁に新しい爪痕があった。
「今はいない」
「なら周回してる」
ガルドが空を見る。
「戻る場所がここなら、待つ手もある」
「でも街道をまた襲うかもしれない」
「じゃあ先に見つける」
崖沿いをさらに進む。
しばらくして、ルゥが低く唸った。
「来る」
ユアンが振り向く。
風の音が変わった。
滑空トカゲは声も立てず、上の岩棚から飛び出していた。全長は4メートル近く、灰青色の鱗に覆われた細長い身体を持ち、前脚から脇腹まで半透明の膜が張っている。尾は身体と同じくらい長く、空中で左右へ振って姿勢を変えていた。
「伏せろ!」
ガルドが叫ぶ。
滑空トカゲが頭上を滑る。
前脚の爪が岩へ触れ、火花が散った。
ユアンは剣を抜く。
滑空トカゲはそのまま下の岩棚へ着地し、すぐ次の崖へ向かって走る。
「追うぞ」
ガルドが先に動く。
ユアンとルゥも続く。
直線で追っても距離は縮まらない。滑空トカゲは斜面を走って再び飛び出し、低い谷を越えた。
ユアンは滑空中の尾を見る。角度が変わるたび進路もわずかに変化している。
「飛んでるんじゃない。落ちながら進んでる」
ガルドが頷く。
「なら低い場所からは上がれない」
次に滑空するには、また斜面を登る必要がある。
「着地点を追うんじゃなく、登り口を塞ぐ」
ガルドがユアンを見る。
「どこ」
ユアンは右手の細い尾根を指した。
「あそこを登る。次に飛ぶなら、あの岩棚まで上がるはずだ」
「外したら?」
「走る」
「分かりやすい」
3人は左右に分かれた。
ガルドが谷側から滑空トカゲを追い、ユアンとルゥは尾根を回る。
途中でユアンは岩陰へ入った。
「少し待って」
ガルドが遠くから振り返る。
「何してる」
「準備」
「長いな」
「俺もそう思う」
ユアンは《暗視》を休ませ、《硬化》をすぐ使える状態へ切り替えた。これで《瞬駆》《気配希薄》《硬化》の3つとなり、崖上の接近戦にはこちらの方がいい。
ガルドは何も聞かず、切り替えが終わるまで周囲を見ていた。
「終わった」
「次から戦う前にやれ」
「そのつもりだった」
「言い訳も遅い」
ユアンは返事をせず走った。
予想通り、滑空トカゲが谷底から斜面を登り始める。
ガルドが下から片刃剣を振り、進路を左へ限定した。
滑空トカゲは斜面を蹴り、尾根の上へ飛び出す。
そこにユアンとルゥがいた。
ルゥが正面へ走る。
滑空トカゲは止まらない。
前脚を広げる。
また滑空するつもりだ。
「右を塞げ!」
ユアンが叫ぶ。
ルゥが右へ回る。
滑空トカゲは左へ身体を捻った。
ユアンは《気配希薄》を使い、岩陰へ消えるように回り込む。
魔獣の視線がルゥへ向いた。
その間に《瞬駆》で距離を詰める。
剣を膜の付け根へ振る。
浅い。
薄い膜そのものは切れたが、根元の腱は硬い。
滑空トカゲが尾を振った。
ユアンは腕へ《硬化》を集中して受ける。
衝撃で身体が横へ流れた。
崖際まで3歩。
危ない。
「下がれ!」
ガルドの声が飛ぶ。
ユアンは追撃せず、内側へ戻る。
滑空トカゲは切れた膜を広げた。
左右の張りが違う。
そのまま崖から飛び出す。
「落ちるぞ」
ルゥが言う。
「いや」
ユアンは尾を見る。
滑空トカゲは左へ大きく傾きながらも、尾を反対へ振って姿勢を戻した。
「まだ滑れる」
ただし距離は短い。
下の岩棚へ着地する。
ガルドが先回りしていた。
片刃剣が地面へ叩き込まれ、滑空トカゲの進路を変える。
「上へ戻すな!」
「分かってる!」
ユアンとルゥが斜面を下る。
滑空トカゲはガルドへ噛みつく。
ガルドは正面から受けない。半歩ずつ位置を変え、魔獣を崖壁側へ追い込んでいく。
派手な技はない。
だが滑空トカゲが走り出せる直線を少しずつ消していた。
ユアンは前回の模擬戦を思い出す。
相手が動いてから選ぶのでは遅い。
自分が何をするか先に決める。
「ルゥ、正面で吠えろ。飛び込むな」
「なぜだ」
「俺が左へ入る」
「分かった」
返事が早かった。
ルゥが正面へ出て牙を見せる。
滑空トカゲが首を向ける。
ユアンは左へ走り、岩の陰で1度視線を切った。《気配希薄》を使う。
ガルドが右側を潰している。
逃げ道は中央しかない。
滑空トカゲが前へ出た。
ユアンはそこで待っていた。
《瞬駆》で懐へ入り、さっき傷つけた膜の根元へ剣を入れる。
今度は腱まで切れた。
滑空トカゲが大きく崩れる。
滑空膜が片側だけ垂れ下がった。
「もう飛べない!」
ガルドが叫ぶ。
滑空トカゲがユアンへ爪を振る。
左肩だけ《硬化》する。
爪を受け流す。
完全には止めず、身体を回して衝撃を逃がす。
そのまま首の横へ回る。
解体で知っている位置へ刃を入れる。
だが浅い。
鱗が硬い。
滑空トカゲが暴れる。
ガルドの片刃剣が反対側から地面へ刺さり、魔獣の身体を壁際へ押し戻した。
「今だ」
ユアンは同じ場所へ剣をもう1度入れた。
今度は深い。
刃を寝かせ、首の奥へ押し込む。
滑空トカゲの力が抜けていく。
ユアンは動かなくなるまで離れなかった。
討伐証票が光る。
そこで剣を抜いた。
ルゥが身体を震わせ、鱗の粉を落とす。
「俺の出番が少ない」
「吠えただろ」
「犬の仕事みたいに言うな!」
「狼の仕事だった」
「ならいい」
ガルドが死体へしゃがみ、残った滑空膜を広げた。
「片側は使える。軽装防具や滑空具の素材になるし、高いぞ」
ユアンは死体を見る。
処分権は契約上、主討伐者であるユアンにある。ガルドは固定報酬だ。
右手を伸ばしかけて止める。
ガルドが気づいた。
「何で迷ってる」
「素材にするか、核にするか」
「核?」
「俺の固有スキル」
ガルドは少し考えた。
「魔獣を石にして、死体を消すやつか」
「知ってた?」
「組合登録されてるだろ。使い道がないって話も」
ユアンは黙る。
ガルドが膜を指で弾いた。
「これを捨ててまで作る理由があるのか」
「ある」
「なら作ればいい」
ユアンは少し意外に思った。
「聞かないのか」
「聞いてほしいのか?」
「いや」
「なら聞かん」
ガルドは立ち上がる。
「お前の処分権だ」
その態度が、かえってユアンを迷わせた。素材の価値を知っているからこそ、捨てる理由があるなら本人が決めるつもりなのだろう。
「ガルド」
「何」
「誰にも言うな」
ガルドが眉を上げる。
「内容を聞いてから決める、って言ったら?」
「話さない」
「なら言わん」
即答だった。
ユアンは右手の指輪を見せる。
「俺が作った核を、この指輪が吸収する」
ガルドの目が黒銀の輪へ向く。
「それで?」
「吸わせると、その魔獣に由来する能力を1つ使えるようになる」
ガルドはしばらく黙った。
それからユアンを見る。
「模擬戦の速さも?」
「《瞬駆》」
「気配が薄くなるのも?」
「《気配希薄》」
「身体を固くするのも?」
「《硬化》」
「他にもある?」
「ある。でも全部を使えるわけじゃない」
ガルドはそれ以上、能力名を聞かなかった。
「全部別か」
「ああ」
「何が手に入るか、核にする前に分かる?」
「分からない」
ガルドの目が滑空トカゲへ戻る。
「じゃあ、この膜を全部捨てて、何が出るか分からない方を選ぶわけか」
「そうなる」
「博打だな」
「否定はしない」
「能力が増えることと、強くなることは同じじゃないって言っただろ」
「覚えてる」
「それでも?」
ユアンは少し考えた。
「今回は選ぶ」
「理由は?」
「分からないものを増やしたいから、だけじゃない。今まで取ったものがどう繋がるかも見たい。でも、これが正しいかは結果が出ても分からないと思う」
ガルドはほんの少し笑った。
「前よりはましな答えだ」
ユアンは《スキル核作成》を使った。
滑空トカゲの身体が淡い粒子へ変わる。鱗も骨も、残っていた滑空膜もすべて消え、透明な核だけが残った。
ガルドは最後まで見ていた。
「本当に全部消えるんだな」
「だから迷う」
ユアンは核を指輪へ近づける。
光が吸い込まれる。
頭の奥へ新しい感覚が流れ込み、それが《滑空》だと分かった。
「何だった」
「《滑空》」
ガルドが崖を見る。
「飛べる?」
「名前だけなら無理そう」
「試すか」
安全な場所まで移動し、ユアンは《気配希薄》を休ませ、《滑空》をすぐ使える状態へ切り替えた。《瞬駆》《硬化》《滑空》の3つになる。
最初は高さ2メートルほどの岩から試す。
飛び降りた瞬間、身体の周囲に見えない膜が広がるような感覚がした。
落下が緩くなる。
前へ進む。
だが上には行かない。
そのまま数メートル先へ着地した。
ルゥが言う。
「飛べてないぞ」
「滑ってるんだよ」
ガルドも頷く。
「名前の通りだな」
「もう少し高いところなら距離が出そう」
「先に低いところで姿勢を覚えろ」
ガルドはすぐ止めた。
何度か試すと、左右へは曲がれるが、風に大きく影響され、上昇はほとんどできないと分かった。ユアンは次に《瞬駆》との接続を考えた。
着地直前、《滑空》を切って《瞬駆》を使う。
身体が前へ弾かれた。
着地の衝撃と加速が重なり、膝に強い痛みが走る。
「痛っ」
ガルドが呆れた顔をする。
「今ので分かっただろ」
「ああ。直接繋ぐと脚がきつい」
「膜を残して防具にした方が良かったかもな」
「まだ判断早いだろ」
「比較できなきゃ選択にならん」
ルゥが高い岩を見上げる。
「俺ならもっと上手く飛ぶ」
「飛ぶんじゃなくて滑る」
「細かい!」
ユアンは膝をさすりながら立ち上がった。
ガルドが横から言う。
「変な動きがまた増えたな」
「強くなった?」
「選べることが増えた」
「同じじゃない?」
「違う」
ガルドは少し間を置く。
「でも、前より迷わなくなった」
ユアンは少しだけ笑った。
崖下から吹き上がる風が、3人の服と銀灰色の毛を揺らしていた。




