魔力のない武人
動きを何度か合わせたところで、訓練場の端から低い声が飛んだ。
「その狼より先に、お前の方を直した方がいいんじゃないか」
ユアンが振り返ると、声の主は訓練場の柵にもたれていた。年はユアンより少し若く、23歳ほどに見える。身長は182センチほどで、肩幅は広いが大柄というより引き締まっており、暗緑色の短髪は前髪まで短く切られていた。鋭い目つきと無駄のない立ち姿のせいで近寄りがたい印象があるが、派手な鎧は着ていない。黒褐色の軽装防具には魔獣素材らしい灰色の板が要所だけ縫い込まれ、背には幅広の片刃剣を背負っていた。
ユアンは顔を知っていた。
「ガルド・ヴァイス」
「知ってるのか」
「B級なら顔くらいは」
ガルドは柵から身体を離した。
「俺もお前は知ってる。灰鐘から生きて帰ったD級」
「覚え方が嫌だな」
「事実だろ」
ルゥがガルドを見上げる。
「お前、魔力がほとんどないな」
ユアンも改めて見る。確かに、魔術師どころか一般的な傭兵より魔力の気配が薄い。
ガルドは気にした様子もなかった。
「生まれつきだ」
「それでB級?」
ユアンが聞く。
「魔力が少ないと剣を振れないのか」
「いや」
「なら問題ない」
答えは簡単だった。
ガルドは訓練場の中央を見る。
「さっきから見てた。狼との連携を試してるんだろ」
「狼だと分かるのか」
ルゥがすぐ反応する。
ガルドは銀灰色の身体を見る。
「どう見ても狼だ」
ルゥの尾がわずかに上がった。
「こいつは分かっている」
ユアンは初めて見る反応に少し驚いた。
「それで、俺のどこを直せって?」
「選ぶのが遅い」
「何を」
「動き」
ガルドは木製の模擬剣を1本取った。
「速く動ける。気配を薄くもできる。身体を固くもできる。狼も妙な動きをする。でも、お前は何をするか決める前に相手を見すぎる」
ユアンの眉が動いた。
ガルドは指輪の仕組みを知らない。見たのは今朝の短い訓練だけだ。それでも表面に出る癖までは拾っている。
「見るのは悪いことか」
「悪くない。見終わるまで止まるのが悪い」
「止まってない」
「じゃあ試すか」
ガルドが木剣を肩へ置いた。
ルゥが嬉しそうに前へ出る。
「俺も入る」
「2対1でいいのか?」
「構わん」
ガルドの返事に迷いがない。
ユアンは少し考え、指輪の状態を確認した。すぐ使えるのは《瞬駆》《気配希薄》《硬化》の3つだ。訓練用としては十分だった。
「寸止め?」
「骨が折れない程度」
「基準が怖いな」
ガルドは答えず、模擬剣を下げた。
合図もなかった。
次の瞬間には踏み込んでいた。
速いわけではない。少なくとも《瞬駆》ほどではない。それなのに間合いへ入るまでが異様に短く感じた。
ユアンは《瞬駆》を使って右へ外れる。
木剣が元いた場所を通った。
ルゥが反対側から飛び込む。
ガルドは振り向かない。半歩だけ前へ進み、ルゥの噛みつきが届く距離から外れた。
「逃げるな!」
ルゥが追う。
ユアンはその動きを利用し、ガルドの視線がルゥへ向いた瞬間に《気配希薄》を使った。存在感を薄め、背後へ回る。
だがガルドの木剣は、ユアンが踏み込もうとした場所へ先に置かれていた。
足を止める。
「何で分かった」
「分かってない」
ガルドが言う。
「お前が消えたから、攻撃できる場所を潰しただけだ」
木剣が横へ振られる。
ユアンは腕だけ《硬化》して受けた。
衝撃は軽い。訓練用だからガルドも力を抑えている。
それでも、硬くした瞬間に肘の動きが鈍った。
ガルドの柄頭が胸へ入る。
「ぐっ」
ユアンが下がる。
ルゥが横から加速した。
《瞬駆》だった。
ユアンも同じ力を使おうとして、発動しない。
ほんの短い遅れが生まれ、ガルドはその瞬間だけユアンを見た。
「今、止まったな」
ルゥの突進を木剣の腹で逸らし、ガルドはユアンへ向き直る。
ユアンは普通に踏み込んだが遅く、木剣の先が喉元へ止まる。
「終わり」
ルゥが唸る。
「まだ俺がいる」
「お前だけ続けてもいいぞ」
「やる」
「待て」
ユアンが止めた。
ルゥが不満そうに振り返る。
「負けたままだぞ」
「だから考える」
「それが遅いと言われたのではないか」
ガルドがわずかに口元を動かした。
「狼の方が話が早い」
「だろう」
「調子に乗るな」
ユアンは喉元をさすった。
「もう1回」
「何を変える」
「先に決める」
今度は開始前に役割を決めた。ルゥが正面から圧をかけ、ユアンは《気配希薄》で側面へ回る。《瞬駆》はユアンが最後の接近に使う。少なくとも最初の動きは迷わない。
ガルドが構えると、ルゥが合図と同時に走った。ユアンも横へ動き、視線が切れた瞬間に《気配希薄》を使う。さっきより迷いが少ない。
ガルドはルゥへ木剣を向けたまま、左足だけ少し引く。
その位置が嫌だった。
ユアンが《瞬駆》で入りたい場所に、ちょうど剣を振れる空間が残されている。
別の角度を探す。
そこで迷った。
ガルドがルゥの突進を受け流し、そのまま身体を回す。
木剣がユアンの脇腹へ当たった。
「また止まった」
「分かってる」
「分かってる顔をしてから動くな」
ユアンは距離を取る。
ルゥが叫ぶ。
「俺が右へ追う!」
今度は言葉が来た。
ユアンは考える前に左へ入った。
ガルドがルゥを避ける。
その進路へユアンが《瞬駆》で詰める。
初めて木剣が届いた。
ガルドの肩へ当たる寸前で止める。
「取った」
「まだだ」
ガルドの左手がユアンの手首を掴んだ。
引かれる。
重心が浮く。
ユアンは《硬化》する暇もなく地面へ転がされた。
背中を打つ。
次の瞬間、木剣が胸へ突きつけられている。
「今のは良かった」
「負けてるけど」
「良かったことと勝ったことは別だ」
ルゥが不満そうに地面を掻く。
「もう1回」
「今日はやめとけ」
ガルドが言う。
「何でだ」
「お前ら、勝つまで続けるだろ」
ユアンとルゥが黙る。
ガルドは木剣を戻した。
「技が多いのは悪くない。ただ、選択肢が増えるほど決める時間も増える」
「使えるものを増やすのが弱くなる理由にはならないだろ」
「増やすだけならな」
ガルドは訓練場の地面へ線を引いた。
「この距離なら何を使う。狭い場所なら何を捨てる。相手が速いなら何を残す。戦い始めてから全部考えてると、考えてる間に殴られる」
ユアンは鋼角熊戦を思い出した。《振動感知》から《気配希薄》へ切り替える時間をノアに稼いでもらった。あれは必要な変更だったが、毎回誰かが待ってくれるわけではない。
「お前はどうしてる」
「持ってるものが少ない」
ガルドは自分の胸を親指で示した。
「魔力が少ない。派手な魔法も使えない。だから最初から距離と足と武器で考える」
背負っていた片刃剣を抜く。
模擬剣と違い、黒みを帯びた刀身の根元には複数の素材が組み合わされている。金属だけではない。灰色の獣骨らしい補強材と、濃褐色の腱を編んだ柄巻きが見えた。
「魔獣素材?」
「そうだ。硬さ、粘り、重さ、魔力の通り方は素材で変わる。でも武器が勝手に戦ってくれるわけじゃない」
「自分で作った?」
「設計は俺。鍛造は工房」
ユアンは刀身を見る。
「詳しいんだな」
「魔力がない分、使えるものは覚えた」
その言い方に、自嘲はなかった。
ユアンは少しだけ納得した。ガルドが自分を見ていた理由も、能力の多さを素直に羨ましがらない理由も分かる。
ユアンは以前、ヴァイスという姓を聞いたことがあった。王都で魔装武器を扱う名家の名前だ。
「ヴァイス家って、あのヴァイス?」
ガルドの目が少しだけ冷えた。
「家の話はいい」
短い返事で十分だった。聞かれたくないことくらいは分かる。
「悪い」
「別に。俺が魔力に恵まれなかった。それだけだ」
それだけと言いながら、握った手には古い傷が何本も走っていた。魔力の代わりに身体と武器を使えるようになるまで、何度も同じ動きを繰り返してきた痕跡に見えた。
ユアンは追及しなかった。
ガルドもユアンの変わった能力がどこから来たのかを聞かなかった。
互いに聞かない理由は違う。それでも、今はそれで十分だった。
「能力が多いのは羨ましくない?」
「羨ましい」
即答だった。
ユアンが目を瞬く。
「そこは否定しないんだな」
「使えるなら欲しい。でも、ないものを数えても増えない」
ガルドは剣を鞘へ戻した。
「お前はあるものが多い。なら選べ」
ルゥが鼻を鳴らす。
「なら俺が全部使えばいい」
「お前も同じだ」
ガルドが言う。
「突っ込む前に、主が何をしようとしてるか見ろ」
「俺に説教するな」
「さっき2回同じところへ突っ込んだ」
ルゥが黙った。
ユアンは思わず笑う。
「効いてるな」
「お前もだ」
「分かってる」
ガルドは訓練場の出口へ向かいながら片手を上げた。
「次に会うまでに、迷う時間を減らしとけ」
「またやるのか」
「勝ちたいんだろ」
ユアンは地面についた土を払い、ルゥを見る。
ルゥもこちらを見る。
「次は勝つ」
「意見が合ったな」
「最初からそう言っている」
ガルドの背中が訓練場を出ていく。
ユアンは右手の指輪へ視線を落とした。
能力が増えれば、そのまま強くなると思っていたわけではない。それでも、増えた選択肢を持っているだけで満足していた部分はあったのかもしれない。
ルゥが横から言う。
「で、どうする」
ユアンは剣を構え直した。
「もう1回、最初からだ。今度は使うものを決めてから動く」
「相手は?」
「木人」
「弱い」
「文句言うな」
「ガルドを呼び戻せ」
「休ませろ」
ルゥは不満そうだったが、ユアンが走り出すとすぐ横へ並んだ。今度は2人とも、動いてから考えるのではなく、動く前に互いの役割を口にした。




