契約精霊
パナリアへ戻った翌朝、ユアンはノア、シキナ、ルゥを連れて傭兵・冒険者組合の支部長室へ入った。机の向こうではバルドが書類を読み、ミレナが壁際の棚から翡翠樹洞の旧地図を引き出している。銀灰色の狼が最後に入室すると、バルドは書類から顔を上げ、そのまま数秒黙った。
「何だ、それは」
ルゥの耳が動いた。
「それとは何だ」
「喋るのか」
「狼だからな」
「狼は普通喋らねえ」
「俺は普通ではない」
バルドがユアンを見る。
「説明しろ」
ユアンは用意していた範囲だけを話した。灰鐘坑道で拾った古い指輪が魔導具らしいこと、その指輪から翡翠樹洞でルゥが現れたこと、ルゥ自身にも記憶がほとんどなく、今のところ敵意はないことまでだ。核を指輪へ吸収させれば魔獣の能力を使えることには触れない。
バルドは最後まで遮らずに聞いた。
「つまり、お前にも何だか分からん」
「そうなる」
「そいつにも?」
「俺には名前がある」
ルゥが割り込む。
「ルゥだ」
「じゃあルゥ。お前は何者だ」
「高貴な狼霊だ」
ユアンが横から言う。
「そこは本人の希望がかなり入ってる」
「余計なことを言うな」
ミレナが口元を押さえた。笑ったのを隠したらしい。
バルドは眉間を揉む。
「灰鐘で得体の知れねえ魔獣に追われて、次は得体の知れねえ指輪から狼か。お前は妙なものに好かれるな」
「俺に言われても困る」
「俺も好いてはいないぞ」
「お前まで否定するな」
ノアが横で肩を震わせている。
シキナだけは平然としていた。
「翡翠樹洞の報告を先にする?」
バルドが息を吐いた。
「そうしてくれ。そっちの方がまだ仕事の話だ」
ミレナが地図を机へ広げる。ユアンは確認した痕跡を順に説明した。上層近くまで移動していた影猫、その胃から出た洞棘鼠の骨、通常なら深い場所にいる獲物が上へ動いている可能性、同じ方向へ移動していた2頭の鋼角熊、足裏や毛に付着していた赤茶色の鉱粉と白い結晶、帰路でまとまって現れた複数の影猫までだ。
「原因は?」
バルドが聞く。
「分からない」
「追われて上がってきた可能性は?」
「ある。でも餌場や地形が変わっただけかもしれない。今の情報じゃ決められない」
「深層に強い何かがいる可能性は?」
「それもある。でも見てない」
バルドが頷いた。
「それでいい」
ノアが少し意外そうにする。
「もっと踏み込めって言われると思った」
「見てもいねえもんを見た顔で報告する方が困る。異常がある。原因は不明。なら次の調査理由には十分だ」
ミレナも記録用紙へそう書き込んだ。
大型個体から回収した試料は別の調査班へ回され、翡翠樹洞の中層より下については当面、B級以上を含む隊で追加調査を行うことになった。ユアンたちには休養命令が出る。
「で」
バルドの目が再びルゥへ向いた。
「こいつを町でどう扱う」
「狼型契約精霊」
ノアが即答した。
「契約してないぞ」
ルゥが言う。
「黙っててくれ」
「なぜだ」
ミレナが書類を1枚取り出した。
「契約精霊というのは、必ずしも契約書があるという意味ではありません。召喚術師や精霊術師に随伴する意思ある精霊を、組合上まとめてそう扱うことがあります」
「俺は召喚もされていない」
「ですので、正確には契約精霊相当の随伴精霊として仮登録します」
ルゥが難しい顔をする。
「狼型は付くのか」
「備考に書きます」
「なら許す」
ミレナは最後に、ルゥを町の外へ連れ出す時も仮登録札を携帯するよう念を押した。召喚術で出し入れできる精霊と違い、ルゥは常に実体を伴って歩くため、衛兵から見れば大型の狼を連れ歩くのと変わらない。
「門で止められたら、この札を見せてください」
「俺が自分で見せるのか」
ルゥが前脚を見る。
「ユアンさんが見せてください」
「だそうだ」
「不便な制度だ」
「お前が喋る方が制度の想定外なんだよ」
バルドが机を叩いた。
「お前が許す側じゃねえ」
登録には最低限の確認が必要だった。人の言葉を理解すること、ユアンの指示に全く従わないわけではないこと、町中で無差別に襲撃する性質がないことを確かめる。最後の項目でルゥが不満そうにした。
「俺は獣ではない」
「だから確認するんだ」
バルドが返す。
「人間だって町で暴れりゃ捕まる。お前だけ特別扱いはしねえ」
ルゥは少し考え、鼻を鳴らした。
「筋は通っている」
ユアンは思わずバルドを見る。
「気に入られたな」
「いらん」
ミレナが仮登録札を作る間、バルドはユアンの右手へ目を向けた。
「その指輪、本当に危険はねえんだな」
「分からない」
「即答するところじゃねえ」
「分からないものを安全だって言う方がまずいだろ」
バルドは睨んだが、最後にはため息をついた。
「町の中で何か起きたら、最初に俺へ持ってこい。隠して手遅れになるのが最も面倒だ」
「ああ」
嘘は言っていない。ただし全部も言っていない。
ユアンはその差を自分の中で確認した。シキナは何も補足しなかった。
仮登録札は首輪ではなく、細い革帯へ通して前脚の付け根に巻くことになった。ルゥは最初、露骨に嫌そうな顔をした。
「俺に札を付けるのか」
「町の衛兵が毎回止めるより楽だろ」
ユアンが言う。
「お前も札を付けろ」
「俺は組合証持ってる」
「同じではないか」
「首には巻いてない」
「なら俺も首には巻かん」
結局、左前脚の上へ革帯を固定した。ルゥは数歩歩き、前脚を振り、噛みつこうとしてユアンに止められた。
「気になる」
「慣れろ」
「外したら?」
「門で毎回説明することになる」
「……付けておく」
現実的な不便には弱いらしい。
組合を出る前、ミレナはユアンへ小声で言った。
「登録は暫定です。ルゥさんが危険だという意味ではなく、前例が少ないので」
「分かってる」
「それと、灰鐘坑道由来の魔導具なら、王都側から照会が来る可能性があります」
ユアンの視線がわずかに右手へ落ちた。
「指輪について?」
「見つかった場所だけでも、始原文明系の遺物である可能性は考えられます。ただ、現時点でこちらから詳細鑑定へ回す予定はありません。所有権もユアンさんにあります」
「助かる」
ミレナは少し首を傾げたが、理由までは聞かなかった。
廊下へ出ると、先に歩いていたシキナが足を止めた。
「緊張した?」
「何が」
「指輪の話」
ユアンは少し考えた。
「した」
「顔に出てなかった」
「ならいい」
「でも手、少し握ってた」
右手を見る。無意識に指輪を隠すように拳を握っていた。
「よく見てるな」
「それで連れてきたんでしょ」
翡翠樹洞で言われた言葉を返され、ユアンは苦笑した。
「秘密にしてもらってる側が言うのも変だけど、無理に全部隠そうとすると逆に目立つよ」
「覚えとく」
「うん」
それだけ言ってシキナは先へ歩いた。問い詰めないまま必要なことだけ言うところは、やはり彼女らしかった。
昼過ぎ、仮登録を終えたルゥを連れて赤鹿亭へ戻ると、食堂にいた客の視線が一斉に集まった。銀灰色の毛並みに黒い紋様が走り、青白い目で周囲を見回す狼が珍しくないはずがない。
厨房から出てきた女将が足を止めた。
「犬は部屋に上げないよ」
「狼だ!」
ルゥの声が食堂へ響いた。
数人の客が吹き出す。
ユアンは額を押さえた。
「契約精霊扱いになった。たぶん部屋でも問題ない」
「たぶん?」
女将が眉を上げる。
「床を掘ったりしない?」
「俺を何だと思っている」
「犬」
「狼だ!」
結局、床や家具を傷つけた場合はユアンが弁償する条件で部屋への出入りを認められた。
夕食では別の問題が出た。ルゥは食事を必要とするか本人にも分からないと言いながら、焼いた羊肉が運ばれてくると誰より先に鼻を動かした。
「食べる?」
シキナが聞く。
「必要かどうかを確かめるだけだ」
「昨日も食べてたよね」
「昨日は昨日だ」
肉を1切れ渡すと、ルゥは数回噛んで飲み込み、何も言わず皿を見た。
ノアが笑う。
「必要かどうか、もう1切れ確認する?」
「慎重な検証は重要だ」
「都合いいな」
食事を終えた頃、ノアが組合から届いた小さな依頼札をテーブルへ置いた。
「明日から3日くらい別口だ」
ユアンが札を見る。
「南街道の護衛?」
「商隊じゃなくて採取隊。治癒と障壁が欲しいってさ。C級支援術師を遊ばせとくほど組合も暇じゃないらしい」
「元々お前の仕事だろ」
「そうだけどな」
ノアはルゥを見る。
「俺がいない間、こいつと喧嘩して死ぬなよ」
「俺がなぜ主を殺す」
「主って認めたのか?」
「呼び方の問題だ」
ユアンが水を飲む。
「お前こそ死ぬなよ」
ノアはほんの瞬間だけ目を丸くし、それから笑った。
「おう」
シキナも翌日は別の調査報告で王都側の担当者と会うらしく、毎日同行できるわけではない。考えてみれば当然だった。ノアにもシキナにも自分の仕事がある。
翌朝、ユアンは組合裏の訓練場へルゥを連れ出した。
「今日から、2人でどこまでできるか試す」
ルゥが嬉しそうに牙を見せる。
「ようやく分かったか。あの障壁男に頼ってばかりでは強くならん」
「ノアにはノアの役目がある。それと、お前が勝手に《瞬駆》を使うのはやめろ」
「必要なら使う」
「必要かどうかを決める前に使うから困る」
「遅い方が悪い」
「まず相談しろ」
「戦いながら?」
「できるようにする」
ルゥは少し考えた後、尻尾を1度だけ振った。
「面白そうだ」
ユアンも剣を抜く。
ノアがいないから弱くなる部分は確実にある。障壁も治癒もない。だからこそ、同じ戦い方を続ければいいわけではない。
「行くぞ」
「来い」
2人は役割を決め、同時に動き出した。




