銀色の狼
銀色の狼は、しばらくシキナを睨んでいた。
「もう1度言う。狼だ」
「分かった」
シキナは真顔で頷く。
「大きさが犬くらいだったから」
「大きさで決めるな!」
ノアが顔を背けて笑い、ユアンも口元を緩めた。
「何がおかしい!」
「いや。出てきた直後にそこ気にするんだなと思って」
「重要だ」
狼は不満そうに鼻を鳴らし、焚き火の前へ座った。
ユアンも向かいへしゃがむ。
「名前は?」
「ルゥ」
「他に覚えてることは?」
ルゥは答えようとして、少し黙った。
「少ない。俺はルゥだ。この器を守っていた。開放がある。長く待っていた。それくらいだ」
ユアンが右手を見せる。
「器って指輪?」
「そうだ」
「何のため?」
「力を宿す」
「誰が作った?」
「知らん」
「何年眠ってた?」
「知らん」
「誰を待ってた?」
「知らん!」
ノアが笑う。
「ユアンと似てるな」
「どこが」
「分からない時にちゃんと分からないって言うところ」
「それだけで似てる扱いするな」
「俺も似ていない!」
ユアンとルゥの声が重なった。
シキナがわずかに笑う。
ノアがルゥを横から眺める。
「ところで、精霊ってことでいいのか?」
「知らん」
「またか」
「魔獣ではない。それは分かる」
「じゃあ魔族とか獣人でもない?」
「見れば分かるだろう」
「見た目だけなら狼の魔獣にも見える」
ルゥが露骨に嫌そうな顔をした。
「俺をそこらの獣と一緒にするな」
ユアンはルゥの身体を見る。
銀色の毛は風に揺れ、前脚が地面を踏めば土が沈む。光から生まれた直後とは思えないほど実体がある。
「怪我したらどうなる?」
「知らん」
「食事は?」
「知らん」
「眠る?」
「知らん!」
ノアが肩を震わせる。
「質問するたび弱くなっていくな」
「記憶がないだけだ! 俺が弱いわけではない!」
「戦える?」
ルゥは胸を張った。
「当然だ」
「どうやって?」
数秒、沈黙が落ちる。
「……身体が覚えている」
ユアンは額へ手を当てた。
「明日まで勝手に試すなよ」
「なぜだ」
「何が起きるか分からない」
「臆病だな」
「生き残るには便利だぞ」
ルゥは不満そうだったが、それ以上は言わなかった。
ユアンは少し間を置いてから聞いた。
「《スキル核作成》って知ってるか」
ルゥの耳が動く。
「何だそれは」
「魔獣を核へ変える俺の固有スキルだ」
「知らん。ただ、さっき器へ入った石に似たものは知っている気がする」
「同じ?」
「分からん。力をまとめて持たせるものだった気がする。それ以上は出てこない」
始原文明という呼び方を出しても、ルゥはその言葉を知らなかった。記憶から年代や文明の正体を引き出すのは難しそうだった。
「お前自身は、この指輪の中にいたのか?」
ユアンが聞く。
「いた、という言い方が正しいかは分からん。眠っていた感覚はある」
「身体は?」
「今のこれは、昔と同じかどうかも分からん」
ノアがルゥの前脚を見る。
「触れる?」
「勝手に触るな」
「聞いただけだよ」
ルゥは前脚で地面を掻いた。爪が土を削る。幻のように見えても、少なくとも今は物理的に存在している。
ユアンは指輪へ意識を向けた。
その先にルゥがいる感覚が確かにある。
「俺からどれくらい離れられる?」
「知らん」
「指輪を外したら?」
「知らん」
「他人が持ったら?」
ルゥは少しだけ考えた。
「今は、お前に繋がっている。他の者が持っても同じようには使えないと思う」
「思う?」
「記憶がないのに断言させるな!」
ノアが笑う。
「そこは本当に似てるな」
「似てない」
「似ていない!」
また声が重なった。
しばらく質問した後、ユアンはシキナを見る。
彼女はルゥではなく、ユアンの右手にある指輪を見ている。
「さっきの指輪」
シキナが言う。
「灰鐘坑道で拾ったもの?」
ユアンは少し驚いた。
「何でそう思う」
「灰鐘から帰ってから、ユアンの動きが変わった。今、その指輪が光って、そこからこの狼が出てきた。だったら一番可能性が高い」
答えを知っているわけではない。
見たものをつないでいるだけだ。
ユアンは右手を見る。
ここまで見られた以上、誤魔化しても仕方がない。
「そうだ。灰鐘坑道の隠し部屋で拾った」
シキナは黙って続きを待つ。
「あの時、たまたま持ってた跳脚兎の核がこれに触れた。核が吸い込まれて、それから《瞬駆》が使えるようになった」
「《瞬駆》?」
「俺が急に速く動いてたやつだ」
「あれに名前があるんだ」
「ああ。その後も試した。俺が作った核を吸わせると、魔獣に由来する能力を1つ使える」
シキナの視線がわずかに鋭くなる。
「昨日、急に見失いやすくなったのも?」
「別行動中に倒した影猫を核にした。《気配希薄》って能力だった」
シキナはそこで初めて、少しだけ目を見開いた。
「影猫、核にしてたんだ」
「ああ」
シキナの反応には納得があったが、最初から知っていた様子はない。
「今日の鋼角熊も?」
「ああ。あの核で《硬化》を得た。前に持ってた《硬皮》はそっちへ取り込まれたらしい」
「他には?」
ここまで話した以上、曖昧にする理由はなかった。
ユアンは《暗視》《振動感知》も含め、現在持っている能力を大まかに説明した。
「全部同時に使える?」
「無理だ。すぐ使えるのは3つだけ」
「入れ替えは?」
「時間がかかる。戦いながらだと危ない」
シキナが昨日の戦闘を思い返すように目を細める。
「熊と戦ってた時、根の裏で止まったのはそれ?」
「そう」
「ノアが何も聞かず前に出たのも?」
ノアが答える。
「7年も組んでると、時間くれって言われれば大体分かる」
「便利だね」
「だろ?」
シキナは少し考えてからユアンを見る。
「1つだけ言っていい?」
「何」
「仕組みを隠してたことはいい。でも、今回みたいな場所で何ができるかまで現場責任者に隠すのは危ない」
ユアンは黙った。
言われてみれば、その通りだった。
シキナがどこまで介入すべきか判断するには、同行者の戦力を知っている必要がある。秘密を守ることと、任務で必要な情報まで伏せることは同じではない。
「悪かった」
「次から仕組みまで話す必要はない。でも一緒に危険な場所へ行くなら、できることとできないことは教えて」
「ああ」
ノアが横で頷く。
「それは俺も賛成」
「お前は知ってただろ」
「だから分かる」
シキナはそれ以上責めなかった。
「ノアは最初から?」
「灰鐘から戻った後から」
「じゃあ私は3人目?」
「そうなる」
短い沈黙が落ちた。
ユアンの方が落ち着かなくなる。
「何で黙ってたかは聞かないのか」
「言いたくなかったからでしょ」
「……まあ」
「今は話した。それでいい」
「秘密にしてくれる?」
「うん」
「そんな簡単に?」
シキナは少し考えた。
「灰鐘で、分からないことを分からないって言った。今日も無理なら逃げてたと思う。だから今は信用する」
「今は?」
「変なことしたら変わる」
「厳しいな」
「普通だと思う」
ユアンは少し笑った。
シキナは焚き火へ視線を落とす。
「もう1つだけ」
「まだあるのか」
「秘密を守るのと、何も聞かないのは違うから」
ユアンは黙って続きを待つ。
「その力を使ったせいで身体がおかしくなったり、判断がおかしくなったりしたら言う。止める時は止める」
「それでも秘密にはする?」
「危険だからって、勝手に他人へ話す理由にはならない」
シキナはそこでユアンを見る。
「でも、誰かを巻き込む危険が出たら話は別。その時は先にユアンへ言う」
一方的に守るとも、一方的に監視するとも言わない。
ユアンはその線引きが気に入った。
「分かった」
「うん」
ノアが横から口を挟む。
「俺よりちゃんとしてるな」
「お前は最初から知ってて黙ってただけだろ」
「親友の秘密を守ったと言ってくれ」
「面白がってただろ」
「半分くらいは」
「半分あるのか」
ルゥが不思議そうに3人を見る。
「人間は秘密1つでよくそんなに話せるな」
ユアンが返す。
「お前の記憶が戻ればもっと話すことになるぞ」
ルゥは嫌そうに耳を伏せた。
「面倒だな」
「俺も今そう思った」
またシキナが小さく笑った。
ノアがわざとらしく咳払いする。
「俺以外に自分から話したの初めてだな」
「見られたからだ」
「それだけ?」
「それだけ」
「本当に?」
「寝ろ」
「まだ見張り前なんだけど」
ルゥが2人を交互に見る。
「仲がいいのか悪いのか分からんな」
「長いだけ」
「7年」
ノアが付け足す。
シキナがルゥへ干し肉を差し出した。
「食べる?」
ルゥは匂いを嗅ぐ。
「毒は?」
「入れてない」
「なぜ俺に食わせたい」
「食べるか気になる」
「実験か!」
「嫌ならいい」
シキナが手を引こうとすると、ルゥは素早く干し肉を咥えた。
数回噛み、飲み込む。
「どう?」
「悪くない」
「もう1枚?」
「……もらおう」
ユアンが呆れる。
「警戒どこ行った」
「食えるものを断る理由はない」
「精霊って腹減るのか?」
「知らん」
ノアが笑う。
「やっぱりユアンに似てる」
「似てない」
「似ていない!」
また声が重なり、今度はシキナがはっきり笑った。
夜が深くなり、ルゥは焚き火のそばへ丸くなった。眠る必要があるのか本人にも分からないらしいが、目を閉じることはできるようだった。
見張りへ立つ前、ユアンは少し離れた場所で指輪を見た。
秘密を話したことへの後悔はなかった。
むしろ、シキナの前で無理に隠し続ける必要がなくなったことで、少しだけ呼吸が楽になっている。
力が増えた時より、そのことの方が不思議だった。




