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D級解体士、魔獣の力を喰らう~素材を残すか、力に変えるか~  作者: ふゆ夜熊
指輪の狼

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14/48

影猫

夜明け前から、何かが3人を尾行していた。

姿はほとんど見えず、足音もしない。ユアンが地面から拾えるのは水流と小型魔獣の動きだけで、昨夜から続いている視線の正体までは捉えられなかった。

「気持ち悪いな」

ノアが声を落とす。

「昨日のやつ?」

「ああ」

ユアンは頭上へ視線を向けた。翡翠樹洞の中層近くでは、巨大な根が天井から天井へ橋のように伸びている。地面を踏まずに移動しているなら、《振動感知》が役に立たないのも当然だった。

シキナも上を見る。

「地面じゃないね」

「たぶん」

ユアンは《暗視》へ意識を向けた。緑色の魔晶光が薄れ、代わりに根の輪郭が鮮明になる。右上で長い尾のような影が動き、すぐに根の裏へ消えた。

「いた」

剣へ手を伸ばす。

シキナは《暮断》を抜かず、少し後ろへ下がった。

「任せる」

「何で」

「今の3人なら対応できると思う。危なくなったら入る」

ノアが嫌そうな顔をした。

「俺も数に入ってるよな?」

「もちろん」

「もう少し安心できる言い方して」

ユアンはノアを少し後ろへ置き、自分は根の多い側へ立つ。

黒い影が左へ移った。

速い。

「来る」

シキナが言う。

ほぼ同時に影が落ちてきた。

《影猫》だった。大型犬ほどの身体を黒灰色の毛で覆い、細長い四肢の先には湾曲した爪が伸びている。顔の両脇には柔らかな長毛があり、着地寸前まで空気を切る音すらほとんど立てない。

狙いはノアだった。

「やっぱり俺か!」

薄青い障壁が展開する。

影猫は前脚を膜へ当てたが、そのまま着地せず、障壁そのものを蹴って横の根へ飛び移った。

ユアンは追わない。

目で追えば間に合わない。

次に飛べる場所を見る。

影猫が乗った根は先端ほど細く、体重を受けてわずかに沈んでいる。そこから届くのは左の岩棚か、正面の垂れ根くらいだった。

枝が揺れる。

「ノア、左を狭めろ!」

「了解!」

障壁が岩棚側へ斜めに出る。

影猫が跳び出した瞬間、逃げ道が1つ潰れた。空中で身体を捻り、垂れ根へ向かう。

ユアンは《瞬駆》を弱く使って2歩分だけ距離を詰めた。改修した靴で着地し、重心が戻ってから剣を振る。

刃が肩口を裂いた。

影猫が甲高い声を上げ、根の裏へ消える。

「当たった?」

「浅い」

《暗視》の中では、根の上へ落ちた血の跡がはっきり見えた。

「右へ回ってる」

影猫は同じ動きをしなかった。今度は根から根へ細かく移り、ユアンの視線を切ろうとする。

学習している。

ユアンは魔獣そのものではなく、周囲を見る。

葉が1枚だけ逆方向へ揺れた。

根の表面から粉が落ちる。

「上!」

影猫が真上から落ちてきた。

前脚の爪を剣の腹で受ける。腕へ重い衝撃が走った。

ユアンは柄で顎を押し上げる。

ほんの瞬間だけ影猫の姿勢が崩れた。

「今!」

ノアの障壁が背後へ出る。

逃げ道が消える。

ユアンは首の側面へ刃を入れた。

影猫が横へ逃げようとして障壁へぶつかる。さらに1歩詰め、同じ傷へ刃を滑らせた。

喉が切れる。

影猫は地面を何度か掻いた後、動かなくなった。

討伐証票が淡く光るまで待ってから、ユアンは剣を下ろした。

「終わり」

ノアが息を吐いた。

シキナが近づき、死体へしゃがむ。

「傷、少ないね」

「肩と首だけだ」

ユアンも反対側へ回る。

黒灰色の毛皮はほぼ無傷で、爪もすべて残っている。素材としてならかなり状態がいい。

右手を伸ばしかけたところで、シキナが言った。

「これは残して」

ユアンが顔を上げる。

「調査個体?」

「うん」

シキナは影猫の耳元に生えた長毛を指で確認した。

「上層寄りまで出てきた個体だから、毛、爪、胃の中身を調べたい。調査指定個体は組合管理になる」

ノアが補足する。

「余った素材を売った分も、今回は個人取りじゃなくて調査契約側だな」

「分かってる」

ユアンは手を引いた。

今回の契約では、調査対象と判断された魔獣の死体は組合管理になる。解体後に売却できる余剰素材が出ても、その金は調査費や危険手当へ回される。主討伐者だからといって、ユアンが勝手に処分することはできない。

逆に、調査対象とは無関係の偶発魔獣については、通常の依頼と同じく主討伐者に処分権がある。

その線引きは出発前に確認していた。

シキナは解体刀を持つユアンを見る。

「お願いできる?」

「ああ」

腹側から刃を入れる。

皮を傷めないように開き、胃を外す。中には小型獣の骨と毛が残っていた。

ユアンは骨を洗い、形を見る。

「これ、岩鼠じゃないな」

ノアが覗き込む。

「何?」

「洞棘鼠だと思う」

シキナの目が少し細くなる。

「中層より下にいるやつ?」

「ああ。少なくともこの辺では見ない」

胃の中身が新しいなら、この影猫自身がもっと深い場所から上がってきたか、深層側の獲物がここまで上がってきた可能性がある。

シキナが小袋へ骨を入れる。

「持って帰る」

影猫の毛皮、爪、長毛、胃内容物を調査試料としてまとめ、残った肉や骨も回収札をつけて近くの保管地点へ運ぶ。

調査としては十分な成果だった。

「最初の1頭から当たり引いたな」

ノアが言う。

「当たりかどうかは帰って調べてからだ」

ユアンが答える。

シキナは少しだけ笑った。

「そこは慎重なんだ」

「そこ“は”って何だ」


さらに中層側へ進む。

巨大樹根が複雑に絡み合う区画で、シキナが先に細い根橋を渡った。ユアン、ノアの順で続こうとした時、足元で乾いた音がした。

「止まれ!」

ユアンが叫ぶ。

根橋の中央に亀裂が走る。

次の瞬間、古い根が大きく折れ、橋の中央部分が下へ崩れ落ちた。

シキナはすでに反対側へ渡り切っている。

ユアンとノアは手前側に残った。

下を覗くと、10メートル以上の空間があり、折れた根が何本も重なっている。

「飛べる?」

ノアが聞く。

「お前を置いてなら」

「却下」

反対側からシキナが声をかける。

「無理に渡らないで」

「回り道ある?」

「昨日の地図だと下の通路から合流できる。20分くらい」

ユアンは周囲を見る。

「そっちも1人になるぞ」

「私なら大丈夫」

「それ言われると反論しにくいな」

シキナは根橋の向こう側から退路を確認する。

「合流標識3番で待つ。30分経って来なければ私から戻る」

「分かった」

「無茶しないで」

ユアンが眉を上げる。

「どっちが言ってる」

「ユアンに」

シキナはそれだけ言って先へ消えた。

ノアが横で笑う。

「信用ないな」

「お前に言われたくない」

2人は迂回路へ入った。

細い坂道を下り、古い水路跡のような通路を進む。シキナから離れたことで、周囲の音が急に少なく感じた。

「こういう時だけ2人になると、昔に戻った感じするな」

ノアが言う。

「昨日までずっと組んでただろ」

「シキナがいるのといないのじゃ違う」

「何が」

「安心感」

「俺じゃ足りない?」

「そういう意味じゃない」

「じゃあどういう意味だ」

「A級が後ろにいる安心感は別枠だろ」

それはユアンも否定できなかった。

曲がり角を抜けた時、頭上で根がわずかに沈んだ。

ユアンが止まる。

ノアも盾へ手を伸ばした。

「また?」

「たぶん」

《暗視》を使う。

左上の根に黒い影がいる。

先ほどの個体より小さい。

若い影猫だった。

「1頭目の仲間?」

「分からない」

影猫がこちらを見た。

逃げない。

むしろ身体を低くする。

「来るぞ」

今度はユアンを狙った。

根から跳び下り、正面へ爪を出す。

ユアンは《瞬駆》を使わず横へ避けた。若い分、1頭目より動きは単純だった。

ノアの障壁が退路を塞ぐ。

影猫が根へ戻ろうとしたところへ剣を入れる。

浅い。

魔獣が振り向き、爪を振る。

ユアンは後ろへ下がる。

狭い通路なので、速度を上げすぎれば壁へぶつかる。

「右へ追う」

ノアが言う。

障壁が左へ出る。

影猫が右へ逃げる。

ユアンはその先へ《瞬駆》で入った。

着地。

剣を首の下へ突き入れる。

影猫が暴れ、ユアンの肩へ爪を伸ばした。

半歩だけ外す。

刃を抜かず、角度を変える。

魔獣の力が抜けた。

しばらく待ってから討伐証票を確認する。

ノアが影猫を見る。

「どうする?」

ユアンも死体を見る。

毛皮は使える。

1頭目ほど綺麗ではないが、それでも売れば金になる。

「こいつは調査指定じゃないよな」

「今のところは」

ノアが契約内容を思い出すように言う。

「1頭目で影猫の試料は取ってる。こいつに外から分かる異常もない。偶発個体扱いなら主討伐者の処分権だ」

「お前の取り分は?」

「俺は今回、支援報酬と危険手当が固定。素材分配には入ってない」

ユアンは影猫の毛皮へ手を置いた。

「なら核にする」

ノアが顔をしかめる。

「毛皮、結構するぞ」

「分かってる」

「本当に?」

「前にも同じこと言っただろ」

ノアが眉を上げる。

「今、変な言い方したな」

「気のせいだ」

ユアンは死体の外見を確認する。目立った奇形も傷もない。1頭目で調査用の影猫試料も確保済みだ。

「やる」

《スキル核作成》を使う。

影猫の身体が淡い光へ変わり、毛皮も爪も魔核も消えた。

透明な核だけが残る。

ユアンは周囲を確認した。

シキナはいない。

ノアだけだ。

そのまま指輪へ近づける。

核が吸収され、新しい感覚が頭の奥へ流れ込む。

《気配希薄》。

同時に、これまで前面にあった感覚の1つが奥へ押しやられた。新しい力が加わったことで、すぐ使えるものがまた3つに絞られている。

「何だった?」

「気配を薄くする」

「透明?」

「そこまでは無理そうだ」

ユアンはノアに背を向けてもらい、根の陰へ移る。

新しい力を使う。

「いいぞ」

ノアが振り向く。

1度元の位置を見た後、ユアンを見つけた。

「少し探した」

「正面から見たら?」

「普通」

ユアンが靴を擦る。

「音は?」

「聞こえる」

「匂いも消えないだろうな」

「俺に嗅がせるな」

完全に消える能力ではない。

だが、視線を切った後の位置取りには使えそうだった。

核化から吸収まで終えても10分ほどだった。

2人は急いで合流地点へ向かった。

標識3番では、シキナがすでに待っていた。

「遅かった」

「影猫が1頭出た」

シキナの眉が少し動く。

「また?」

「ああ。若い個体」

「怪我は?」

「ない」

シキナの視線がユアンとノアの荷物へ移る。

「素材は?」

ユアンは少しだけ間を置いた。

「残ってない」

「固有スキル?」

「ああ」

シキナはユアンを見る。

「昨日までほとんど使ってなかったんだよね」

「最近、確認したいことがある」

「何を?」

ユアンは答えなかった。

シキナは数秒待った。

「契約上は問題ない?」

ノアが答える。

「偶発個体で、1頭目の調査試料は確保済み。処分権もユアン」

「ならいい」

それ以上は聞かなかった。

ただし何も気にしていないわけではない。

シキナの視線が、ほんの少し長くユアンへ残った。

翌朝、水場から戻る途中でユアンは新しい力を試した。太い根の陰で1度姿を切り、そのまま存在感を薄くする。

野営地まであと10歩ほどで声がした。

「ユアン」

振り向くとシキナが後ろにいる。

「……いつから分かった?」

「そこ曲がったあたり」

「ほとんど最初じゃないか」

「でも昨日より見失いやすい」

シキナはそれだけ言った。

「何で聞かない?」

ユアンが思わず尋ねる。

「何を?」

「いや」

シキナは少し首を傾げる。

「気にはなるよ」

「なら聞けばいい」

「今の調査に必要?」

ユアンは考える。

「今は、たぶん」

「なら後でいい」

それ以上踏み込んでこない。

その距離の取り方が、ユアンには少しだけ意外だった。

朝食後、3人は中層へ入った。

昨日より大型の足跡が増えている。

ユアンがしゃがみ、2つの足跡を比べた。

「熊系だ」

シキナが隣へ来る。

「大きいね」

「1頭じゃない」

「何で分かる?」

ノアが聞く。

「幅が違う。同じ方向へ進んでる」

シキナの表情が変わった。

「距離を取ろう」

誰も反対しなかった。

だが、動き出すより先に前方の太い根が大きく揺れた。

ほぼ同時に背後で重いものが地面へ降りる。

ノアが振り向いた。

「……2頭?」

シキナの手が《暮断》へ伸びる。

「鋼角熊」

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