生き残る計算
北街道でダリオ・グレンの一行と顔を合わせたのは、昼を少し過ぎた頃だった。
ユアンとノアは商人2人の護衛でパナリアへ戻る途中だった。反対側から来たダリオたちも同じ街道を使っており、荷車の脇で1度足を止めた。
「久しぶり」
ダリオが穏やかに手を上げた。
相変わらず人当たりのいい笑顔だった。細身の身体に軽い革鎧を着け、腰には細剣と投擲用の短刃が並んでいる。
「そっちは護衛?」
「ああ」
「こっちも似たようなものだよ。あと2時間くらいは同じ道かな」
ダリオは上位B級だった。
模擬戦では、ユアンが何をしようとしても半歩先へ動かれた。力で押すのではなく、危険になる前に位置を変える。相手に有利な形を作らせない。
ユアンはその戦い方を覚えていた。
「一緒に行く?」
ダリオが聞く。
「依頼人がいいなら」
双方の商人に異論はなかった。
人数が多い方が安全だ。
しばらくは何事もなく進んだ。
街道の左には低い森、右には緩い斜面が続いている。
異変に最初に気づいたのはダリオだった。
「止まって」
声は穏やかなままだった。
全員が止まる。
ダリオが前方を見る。
「鳥がいない」
ユアンも森へ視線を向けた。
確かに静かだった。
次に、斜面の下から荷車が1台見えた。
横倒しになっている。
車輪が外れ、積み荷の木箱が周囲へ散らばっていた。
その近くで何かが動く。
灰色の獣が3頭いた。
《裂耳犬》だった。
D級下位。夜爪猟犬より大きく、耳の後ろに骨の突起を持つ。群れで獲物を追い、1頭が正面を引きつける間に別の個体が側面へ回る。
「人がいる」
ノアが言った。
荷車の脇に男が2人倒れている。
1人は動いている。
もう1人は見えにくい。
ダリオは即座に指示を出した。
「俺たちが前。盾2人は後ろを守って。依頼人は下がらせる。荷は捨てる」
商人の1人が顔を上げた。
「うちの荷じゃないぞ」
「だから捨てます」
「いや、あの荷車の人間を」
「人だけ回収します。箱は見ません」
迷いがなかった。
ユアンも反対しなかった。
今守るべきなのは人間だ。
積み荷まで回収しようとすれば、時間が増える。
ダリオたちが前へ出る。
裂耳犬の1頭が低く唸った。
残り2頭が左右へ広がる。
「来るよ」
ダリオが短刃を投げた。
先頭の魔獣が顔を逸らす。
その瞬間に間合いへ入る。
細剣が前脚の内側を切った。
深追いしない。
すぐに戻る。
別の裂耳犬が側面へ回ろうとするが、ダリオはすでに位置を変えていた。
「ノア、右」
ユアンが言う。
「分かった」
障壁が出る。
右側の裂耳犬が進路を変える。
ユアンは左から来た個体へ剣を向ける。
《暗視》は必要ない。《振動感知》も柔らかい土では拾いにくい。
《瞬駆》と《硬皮》を前へ出している。
裂耳犬が飛びかかる。
ユアンは直前まで待った。
弱い《瞬駆》で半身だけ外へ逃がす。
肩を掠めた爪を《硬皮》で受ける。
痛みはあるが皮膚は裂けない。
そのまま剣を腹へ入れる。
魔獣が転がった。
仕留めるより先に、ノアが叫ぶ。
「人を先に!」
ダリオも同じ判断だった。
「負傷者を運ぶ。魔獣は追い払えばいい」
倒れていた男の1人は意識があった。
額から血を流しているが、自力で立てる。
もう1人は荷車の陰にいた。
ユアンからは脚だけが見えた。
「こっちもいる」
近づこうとした時、森の奥で別の鳴き声がした。
1頭ではない。
ダリオの顔から笑みが消える。
「増える。撤退」
「でも、もう1人」
ノアが言う。
ダリオは荷車と森の距離を見る。
「戻ると全体の危険が上がる」
声に冷たさはなかった。
事実を言っているだけだった。
「動ける負傷者を連れて、街道を戻る。あの人には悪いけど、今は切る」
ユアンは荷車を見る。
倒れている人間まで約35歩。
森から聞こえた声は2頭以上。
今いる裂耳犬3頭のうち、1頭は負傷している。
ノアの障壁なら正面を数秒止められる。
《瞬駆》なら往復を短くできる。
ただし倒れている男を抱えれば帰りは使いにくい。
斜面の下に溝がある。
そこを使えば、1方向だけ魔獣の接近を遅らせられる。
ダリオがユアンを見る。
「助けたいなら、助けられる根拠を出して」
ユアンはすぐに答えなかった。
もう1度距離を測る。
「ノアの障壁で右を止める。俺が《瞬駆》で荷車まで行く。帰りは溝沿い。裂耳犬が回り込むならダリオが左を牽制」
「時間は?」
「30秒」
「失敗したら?」
「俺を置いて出てくれ」
ノアが嫌な顔をする。
「おい」
「全員残る方が危ない」
ダリオはユアンを見たまま2秒ほど黙った。
「分かった。30秒。越えたら置いていく」
「了解」
「俺は了解してないけど!」
ノアが言う。
ダリオがノアを見る。
「障壁を出せる?」
「出すよ! 出すけど!」
「なら始めよう」
ダリオの短刃が飛ぶ。
左へ回っていた裂耳犬の鼻先をかすめる。
同時にノアが右へ障壁を張る。
ユアンは走った。
最初の10歩だけ《瞬駆》。
一気に荷車へ近づく。
倒れている男の肩を掴む。
息はある。
右脚から血が出ているが、意識はない。
持ち上げるには重い。
背負う時間が惜しい。
ユアンは腕を脇へ入れ、引きずるように荷車の陰から出した。
森から灰色の影が飛び出す。
追加の裂耳犬だった。
「ユアン、左!」
ダリオの声が飛んだ。
短刃が魔獣の前へ刺さる。
一瞬だけ足が止まった。
ユアンは男を肩へ担いだ。
重心がずれる。
《瞬駆》は使わない。
溝へ入る。
後ろで障壁が割れる音がした。
ノアが次の1枚を出す。
「あと10秒!」
ダリオが叫ぶ。
ユアンは走る。
脚が重い。
負傷者の血が肩へ流れる。
裂耳犬が溝の上から追ってくる。
低い位置まで降りれば、跳びかかる角度が限定される。
ユアンはそこだけ見ていた。
魔獣が跳ぶ。
ノアの光弾が横から当たる。
わずかに軌道がずれた。
ユアンの肩の横を爪が通り過ぎる。
街道へ上がる。
ダリオの仲間が負傷者を受け取った。
「28秒」
ダリオが言った。
ユアンは息を吐く。
「数えてたのか」
「言った以上はね」
そのまま全員で撤退した。
裂耳犬はしばらく追ってきたが、森から離れると戻っていった。
安全な場所まで来てから、ダリオの仲間が負傷者を地面へ寝かせた。
ダリオは自分の外套を丸めて頭の下へ入れ、裂けた脚へ布を巻く。手つきに迷いはなかった。
商人の1人が遠くの荷車を振り返った。
「積み荷は?」
「戻りません」
ダリオが即答する。
「高そうな箱もあったぞ」
「人を連れて帰れば契約は達成です。箱を拾いに戻って誰か死んだら赤字になる」
「徹底してるな」
「だから生きてます」
笑いながら言ったが、負傷者の包帯はきつすぎないよう何度も指で確かめていた。
ユアンはその手元を見た。
切り捨てる判断が早いからといって、人間そのものを軽く見ているわけではない。
ダリオが見ているのは、助けたいかどうかではなく、助けるために何を失うかだった。
安全な場所まで来てから、ノアがユアンの肩を叩く。
「次から先に相談しろ」
「しただろ」
「俺が反対する時間がなかった!」
「時間なかったからな」
「そこを言ってる!」
ダリオが少し笑った。
「俺なら最初から戻らない」
ユアンが見る。
「知ってる」
「全体を危険にするから。でも、あの条件なら選択肢には入る」
「意外だな」
「僕を何だと思ってるの?」
「合理的な人」
「合ってるよ」
ダリオは荷車の方角を見た。
「助けたいだけなら危ない。助けられる形を作れるなら、話は別だ」
ユアンは少しだけ笑った。
「もっと止められると思ってた」
「君が感情だけで戻るって言ったら止めたよ」
「今回は?」
「条件を出した。時間も退路もあった。なら僕が嫌いでも、選択肢から外す理由はない」
ダリオはそこで初めてユアンを正面から見た。
「前の模擬戦より、考えて動くのが速くなったね」
「負けたのは変わらないけどな」
「今やっても僕が勝つよ」
「そこは言い切るんだな」
「事実だから」
ノアが横で笑った。
それ以上は言わなかった。
夕方、ダリオたちと別れた後、ユアンとノアは林の外れで夜爪猟犬1頭に遭遇した。
依頼対象ではない。
群れからはぐれた若い個体らしく、戦闘自体は長引かなかった。
ユアンが仕留める。
死体を見たまま少し黙った。
ノアが嫌な顔をした。
「その顔、何か試す顔だろ」
「1回だけ」
「毛皮あるぞ」
「分かってる」
「俺の取り分は?」
「これは俺が倒した。お前の支援分は今日の護衛報酬から別で出す」
「そこまでしなくていいって」
「俺の確認だからな」
ノアはため息をついた。
「じゃあ飯奢れ」
「それでいいのか」
「高い店」
ユアンは《スキル核作成》を使った。
夜爪猟犬が消え、透明な核が残る。
指輪へ近づける。
何も起きない。
もう1度、触れるほど近づける。
吸収されない。
《暗視》にも変化はない。
「同じだから?」
ノアが聞く。
「たぶん」
「じゃあこの核どうする?」
ユアンは手の中の結晶を見る。
「どうもしない」
「売る?」
「時間が足りない」
生成した核は長く残らない。
以前と同じなら、数日もしないうちに消える。
「毛皮を消して、消える石作ったのか」
「確認はできた」
「高い確認だな」
「飯まで増えた」
「約束したからな」
数日後、確認した時には、革袋の中から夜爪猟犬の核は消えていた。
残ったのは、何も入っていない小袋と、素材を売らなかったという事実だけだった。
それでもユアンは後悔していなかった。
同じものを何度も核にする必要がないと分かったなら、次からは迷わず素材を残せる。
損をしたのは1度で済む。
少なくとも、そう考えれば少しは安かった。




