振動
組合の受付前で、女がミレナと揉めていた。
「だから壊したんじゃなくて、壊れかけてたところに雷が流れただけ!」
「フィアさん、結果として水門が壊れています」
「それは順番の問題でしょ。先に古かったの!」
「古かったとしても、雷を流した事実は変わりません」
ユアンは依頼票を持ったまま足を止めた。
小柄な女だった。明るい栗色の髪を短く切り、琥珀色の瞳を大きく見開いている。軽い旅装の上に短い外套を羽織り、腰には杖ではなく細身の魔導器を吊っていた。見た目だけなら20歳前後にしか見えない。
ノアが横で小声を出す。
「フィア・レイゼン」
「知り合い?」
「一方的に有名」
「何で?」
「A級だから」
ユアンはもう1度女を見る。
その声が聞こえたらしい。
フィアがこちらを向いた。
視線がユアンの認識票で止まる。
「D級?」
「そうだけど」
「何でそんな顔で見てるの?」
「先に見たのはそっちだろ」
フィアが少し眉を寄せる。
ミレナがため息をついた。
「フィアさん、弁償額の確認がまだです」
「あ、逃げないってば」
フィアはユアンから興味を失ったように受付へ戻った。
ノアが笑いを堪えている。
「何だ」
「初対面で相性悪そうだなって」
「会話3往復で決めるな」
2人は組合を出た。
今回の依頼先は南東区の旧排水路だった。
雨季の増水を逃がすために造られた地下水路で、今は一部しか使われていない。点検へ入った作業員がD級《震尾蜥蜴》に追い返され、排水路の奥が確認できなくなっている。
「さっきの子、本当にA級?」
歩きながらユアンが聞いた。
「雷術だけなら王都でも有名らしいぞ」
「あれで?」
「本人に言うなよ」
「言わない」
排水路の入口へ着く。
中は湿っていた。
浅い水が石床の中央を流れ、壁には苔が広がっている。
ユアンは魔導灯を消し、《暗視》を使った。
ノアは灯りを残す。
「俺だけ点けてると目印にならない?」
「消して歩ける?」
「無理」
「なら点けとけ」
「優しさがない」
2人は奥へ進んだ。
しばらくすると、水面へ小さな波紋が広がった。
音はない。
ユアンが止まる。
次の瞬間、足裏へ低い震えが届いた。
ドン、と石床の奥で何かが叩かれる。
「いるな」
ノアが盾を構える。
《震尾蜥蜴》は全長3メートルほどの灰褐色の魔獣だった。太い尾を床へ打ちつけ、その振動から周囲の生き物の位置を探る。視力そのものは強くないが、洞窟や地下では厄介だ。
曲がり角から平たい頭が現れた。
背には短い棘が並んでいる。
ノアの魔導灯では頭しか見えない。だが《暗視》を使っているユアンには、曲がり角の奥で太い尾が床へ沿うように動くところまで見えた。
震尾蜥蜴が尾を持ち上げる。
その直前、水面へ細い波が走った。
「尾で探ってる」
「見えるの?」
「お前の灯りより奥まで」
「便利になったな」
「まだ敵は減らないけどな」
ユアンは小石を拾い、右側の水路へ投げる。
石が床へ当たって跳ねた。
魔獣が即座にそちらを向く。
「拾ってる」
ユアンが言う。
ノアが左から障壁を出す。
震尾蜥蜴が反応し、頭を振った。
ユアンは前へ出る。
相手の横へ回り、剣を振るため足を踏み込んだ。
その瞬間、魔獣の頭がこちらへ向いた。
「速い」
大口が迫る。
ユアンは剣を横にして牙を受けた。
腕へ衝撃が走る。
ノアの障壁が脇から割り込み、魔獣を押し戻した。
「小石は効いたのに!」
「踏んだ時だ」
「何が?」
震尾蜥蜴が尾を床へ叩く。
石床を震えが走った。
ユアンは自分の靴を見る。
「音じゃない。床だ」
「振動?」
「ああ」
震尾蜥蜴がまた突っ込んでくる。
ユアンとノアは左右へ分かれた。
魔獣は迷わずユアンを追う。
足音を拾っている。
「ノア!」
「何!」
「障壁を床から浮かせて出せるか?」
「できる!」
理由を聞かなかった。
薄青い障壁が床から拳1つ分ほど浮いた位置へ斜めに現れる。
ユアンはその上へ片足を乗せた。
震尾蜥蜴が尾を叩く。
ユアンは障壁を蹴った。
《瞬駆》を使う。
身体が横へ走る。
床を蹴っていない。
着地する直前まで振動が伝わらない。
震尾蜥蜴の顔が遅れて動いた。
「いける」
ユアンは側面へ着地し、脇腹へ剣を入れた。
浅いが血が出る。
魔獣が尾を振り回した。
距離が近い。
避け切れない。
ユアンは前腕へ《硬皮》を集中する。
尾の先が腕を掠めた。
鈍い衝撃が骨まで抜ける。
身体がよろめいた。
袖は裂けたが、皮膚は切れていない。
「痛っ」
「何してんだ!」
ノアが叫ぶ。
「避け切れなかった!」
「それなら先に言え!」
「言う暇なかっただろ!」
震尾蜥蜴がもう1度尾を叩いた。
ユアンは距離を取る。
腕は痺れているが動く。
《硬皮》は役に立った。
だが受け止める力ではない。
「もう1枚」
ユアンが言う。
ノアが今度は聞かずに2枚の障壁を続けて出した。
ユアンは1枚目へ乗る。
震尾蜥蜴がこちらを探る。
2枚目へ移る。
魔獣の頭がわずかに迷った。
ユアンは鉄杭を反対側の壁へ投げた。
石へ当たる。
震尾蜥蜴が振り向いた。
その隙に2枚目を蹴る。
弱い《瞬駆》で踏み込み、負傷させた脇腹へ回る。
剣を同じ傷へ差し込んだ。
今度は深い。
震尾蜥蜴が暴れる。
ユアンは柄を両手で握り、刃を上へ引いた。
血が噴き出す。
ノアが正面へ障壁を出し、魔獣の逃げ道を塞いだ。
「右へ寄せる!」
「分かった!」
震尾蜥蜴が障壁を避けて左へ動く。
ユアンのいる側だった。
最後は剣を首の下へ入れた。
魔獣の身体が大きく震え、床へ沈んだ。
尾が2度動く。
止まった。
しばらく待つ。
討伐証票が反応した。
ユアンは息を吐いた。
「何するか聞かなかったな」
ノアが腕を振りながら言う。
「聞いてる暇なかったろ」
「そうだけど」
「じゃあいい」
ユアンは少し笑った。
7年も組んでいれば、説明してから動く方が遅い時もある。
死体へ触れる。
核化できる。
「素材は?」
ノアが聞く。
「尾が売れる。皮も少し」
「どうする?」
ユアンは迷った。
震尾蜥蜴が使っていた感覚が気になる。
「核にする」
「了解」
2人だけなので隠す必要はない。
《スキル核作成》を使う。
大きな死体が光へ崩れ、透明な核が残った。
それを指輪へ吸収させる。
新しい感覚が入り、得られたのは《振動感知》だと分かった。
名前を理解した直後、別の違和感があった。
《瞬駆》《暗視》《振動感知》は近い。
《硬皮》だけが遠い。
「何?」
ノアが聞く。
「《硬皮》が出てこない」
「消えた?」
ユアンは意識を深く向ける。
ある。
なくなってはいない。
《暗視》を奥へ押し、《硬皮》を前へ出すように集中する。
少し時間がかかったが、感覚が入れ替わった。
「残ってる。3つしかすぐ使えないみたいだ」
「4つ目から選ぶのか」
「ああ」
「戦いながら変えられる?」
ユアンはノアを見た。
「無理そうだ」
「それだけ分かればいいか」
それ以上試さなかった。
帰路、排水路の別の分岐でユアンは《暗視》と《振動感知》を使った。
ノアに隣の通路を歩いてもらう。
壁越しなので姿は見えない。
それでも、石床を伝ってくる弱い振動がある。
「そこ」
壁の向こうを指す。
「もう少し右」
ノアの声が返る。
ユアンは指をずらした。
「ここ」
「当たり」
ノアが戻ってくる。
「見えてた?」
「見えてない」
「じゃあ何で?」
「いるのは分かる」
精度は高くない。
距離も短い。
それでも壁の向こうに人がいるかどうかを判断できるだけで、使い道はある。
地上へ戻ると、ユアンは指輪へ意識を向けた。
《瞬駆》だけではない。
《暗視》も《硬皮》も、普通の核なら消えているはずの時間を越えて残っている。
「やっぱり、入った後は別みたいだな」
ノアが言う。
「ああ」
「ずっと残る?」
「そこまでは分からない」
「またそれか」
「消えるまで永久とは言えないだろ」
「面倒な性格してるな」
「知ってる」
組合へ戻ると、朝の女がまだいた。
フィアは受付脇の椅子へ座り、何枚もの紙を前に不機嫌そうな顔をしている。
「まだいたのか」
ユアンが思わず言った。
フィアが顔を上げた。
「聞こえてるけど?」
「聞こえるように言った」
フィアの視線がユアンの裂けた袖へ落ちた。
「怪我してるじゃない」
「震尾蜥蜴と戦った時に擦っただけだ」
「震尾蜥蜴?」
「そう」
「2人で?」
ノアが胸を張る。
「俺の障壁がかなり働いた」
「そこは否定しない」
フィアは少し意外そうにユアンを見た。
「D級で、あれを2人で片づけたんだ」
「ノアはC級だ」
「細かい」
「大事だろ」
「じゃあD級1人とC級1人で片づけたのね」
フィアは納得したようで、まだ何か聞きたそうでもあった。
だがミレナが受付の奥から顔を上げる。
「フィアさん、弁償確認がまだ1枚残っています」
「今行く!」
フィアはユアンへの興味を途中で切り、受付へ戻った。
ノアが小さく笑う。
「相性悪いって言っただろ」
「まだ決めるな」
ユアンは答えたが、自分でも少しだけ面倒な相手だと思い始めていた。




