第十五話 違法?
『──カシャカシャ、パシャパシャパシャッ!』
狂ったようなシャッター音が町役場の大会議室に響き渡り、無数の強烈なフラッシュが、壇上の幹部たちを青白く照らし出していた。
ずらりと並んだマイクの前には、息の詰まるような緊張感が漂っている。知床のヒグマによる市街地襲撃、そしてその捕殺の結末をめぐるこの緊急記者会見は、全国のメディアが生中継で繋いでいた。
「今回の、人を襲ったヒグマに関しては、当町の鳥獣被害対策実施隊が本日未明、針葉樹林内にて駆除に成功いたしました。危機は正式に解除されたことをご報告いたします」
壇上で発言する農林水産課の課長は、強張った面持ちでマイクに向かって厳かに宣告した。
「──それでは、これより記者の皆様からの質疑応答へと移らせていただきます。ご質問のある方は、挙手をお願いいたします」
司会進行の職員がそう告げた瞬間、大会議室の空気が一変した。
『はい!』『テレビ関東です!』『相模隊長に質問です!』
一斉に突き上げられた無数の手。全国から集まった記者たちの鋭い視線が、壇上の課長、そしてその隣に立つ相模へと容赦なく浴びせられた。
「──では、そちらの中央の記者の方、どうぞ」
「EBSの草薙です。今回の知床ヒグマの市街地侵入を受け、農林水産課としては、今後このようなヒグマによる被害の再発を防ぐために、具体的にどのような再発防止策をお考えでしょうか?」
「……現在稼働中の防護フェンス、および電柵の目視巡検を従来の週二回から日次へと強化し、さらに猟友会の協力を仰ぎつつ、出没予測エリアへの不定期なパトロールの実施、および要員の配置計画を進めております。これら一連の安全対策の拡充により──」
その時、記者席にいる北海新聞の五十嵐は親指の爪を噛みながら、次の挙手の機会を待っていた。スクープを握る彼女は、この会見を通じて、壇上の公務員たちをじっくりと問い詰めるつもりだった。
「──それでは次の方……」
司会進行の職員の声が響き終わると同時に、最前列に座る五十嵐もタイミングを見計らい、電光石火の速さで手を挙げた。
「はい、どうぞ」
「夜日新聞の八神です」
なのに、指名されたのは五十嵐の後ろに座っていた記者だった。
「今回の獣害事件につきまして、遭遇してしまった被害者の方に対して、具体的にどのような補償措置をお考えでしょうか?」
「補償に関しましては、現在──」
課長は喉を鳴らし、再びお役所言葉の防壁を築き始めた。
「……当町の有害鳥獣被害対策規定に基づき、負傷された住民の方々には速やかに行政からの『見舞金』を支給する運びとなっております。また、農地や家畜への被害に関しましては、道庁および関係機関と連携し、農業共済の適用を最優先で処理するよう手配いたしました。今後の電柵設置費用に対する補助金の拡充も含め、制度の枠組みの中で最大限の救済措置を講じる所存です」
会見が終盤を迎えようとしているのを目の当たりにし、五十嵐は再び親指の爪を噛み、「切り札」を繰り出す腹をくくった。
「──それをもちまして、本日の緊急記者会見を終了とさせていただきます。お集まりいただき、ありがとうございました」
まだ質問を続けようとする記者たちが一斉に騒ぎ出し、大会議室が雑音に包まれたまさにその時。
『──キィィィィィィーーーーンッ!!』
突如として、刺すようなノイズがその場に響き渡り、会場は一時的な静寂に包まれた。すべての人の視線が、拡声器を手にする五十嵐へと注がれる。
『北海新聞の五十嵐です。独自の取材によりますと──』
しかし、五十嵐が本題を口にするより早く、記者会見を仕切っていた司会の職員が慌ててその声を遮った。
「申し訳ございません! 本日の記者会見はすでに終了しております!」
「構いません。どうぞ」
緊迫した会場に響いたのは、農林水産課の課長の重々しい声だった。彼は決して背を向けて逃げる道を選ばず、真っ正面からその挑戦を受け止めるべく、再びマイクに向き直った。
会場中の記者から射るような鋭い視線を浴びせられても、五十嵐はその敵意を爪の先ほども気にする様子はなかった。
『北海新聞の──キィィィィィィ……』
五十嵐がそのまま話を続けようとしたその時、壇上の農林水産課の課長は手振りで彼女を制し、これ以上メガホンを使わないよう促した。そして、司会進行の職員に向かってこう告げた。
「あの記者にマイクを」
マイクを受け取った五十嵐は、単刀直入に問い詰めた。
「独自の内部告発によりますと、昨夜の作戦中、対策隊が立ち入り制限のある『エゾオオカミ保護区』へ違法に侵入し、さらには猟友会の隊員が、絶滅危惧類であるエゾオオカミを誤射したとの確かな情報があります。
現在、その負傷した個体を野生動物保護センター内に秘密裏に隠匿しているとのことですが、これは町役場による組織的な隠蔽であり、重大な法令違反にあたるのではないですか!?」
記者の追問に対し、相模は責任を取ることを決意し、己の疎漏を白日の下に晒そうとした。しかし、前へ出ようとしたその時、隣の課長の腕で腹を遮られ、その一歩を強引に止められた。
「──ご質問の件に関しましては、当町としてもそのような噂や未確認の情報があることは現在、把握しております」
課長は何事もなかったかのように、氷のように冷徹な官僚の顔に戻って答弁を始めた。
「しかしながら、本件は未だ内部調査および事実関係の精査を行っている段階にあります。確固たる科学的証拠、ならびに具体的な調査報告が正式にまとまるまでは、行政機関として現段階でいかなる見解を口にすることはいたしかねます。明確な結果が判明次第、改めて専門の記者会見の場を設け、公式にご報告させていただきます。本日はありがとうございました」
この手ぬるい回答に対し、五十嵐は再び親指の爪を噛んだ。ベテラン記者としての直感が、この件には間違いなく裏があると告げていた。あの内部告発者の告發内容は、すべて真実だったのだ。
*
執務室に戻り、課長が一息つく間もなく、相模は開口一番、こう切り出した。
「課長、なんで俺を止めたんですか」
課長はそのまま自分のデスクに向かうと、手にした上着を椅子の背もたれに気安く投げ出し、淡々と言った。
「相模、もういい。下がっていろ」
「いいえ、下がりません」
相模は眉間に皺を寄せ納得のいかない表情でデスクの前まで歩み寄る。
「課長!」
「まだわからないのか? お前のせいで、私と道庁の連中がどれほど尻拭いをさせられたと思っているんだ!」
「俺は……」
相模の瞳に一瞬、後ろめたさがよぎったが、すぐにまた強い眼差しを向け、言い返した。
「いや、だからこそ、この件は俺が責任を背負うべきなんです」
「愚か者! そんなこと、簡単なわけがない!」
課長は苦渋に満ちた様子で、握り締めた拳をデスクに叩きつけた。
『ドンッ!』
「お前の上司として、私だって、すべての責任をお前に押し付けたい、どれほどそうしたいか! だが……」
言葉が激高するにつれ、課長は胸元を──心臓の辺りを押さえた。その悔しさは、もう隠しようもなかった。
「だが、この件だけは無理なんだよッ!」
課長のそんな痛々しい姿を見て、相模は思わず駆け寄り、その両肘を掴んだ。
「課長、大丈夫ですか!」
何度か荒い息を吐き、少しだけ落ち着きを取り戻した課長は、相模の体を片手で軽く押し戻すと、言葉を続けた。
「いいか、相模。これはエゾオオカミだぞ。明治の絶滅危機から、我が国がすでに莫大な時間と金を投じて、ようやく絶滅危惧Ⅱ類にまで回復させたんだ。道庁の連中が我々にくれた猶予は、わずか四十八時間だ。この期間内に、佐藤先生にあのエゾオオカミを、何が何でも治療しきってもらうんだ。また、外部への情報公表は一切厳禁だ。分かったな?」
課長の、苦渋のなかにあっても的確な指示に、相模は深く感銘を受け、思わず背筋を伸ばして直立不動の姿勢を取ると、大声で応じた。
「はっ、分かりました!」
*
帰宅した五十嵐は、バッグなどの身の回りの品をそこらに放り出すと、そのままパソコンの前に座って関連する法律条文の閲覧を始めた。
しばらくして、画面に「絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律」の文字が映し出される。リンクをクリックすると、画面いっぱいに細かな条文がぎっしりと並んだ。
だが、切れ者の彼女は、猟友会の山田が触れた第九条の条文を瞬時に見つけ出した。
『第九条 国内希少野生動植物種の生きている個体は、捕獲、採取、殺傷又は損傷をしてはならない。ただし、環境省令で定めるやむを得ない事由がある場合は、この限りでない』
「……なるほど、殺傷又は損傷、ね」
画面の白い光に照らされた五十嵐の唇から、冷ややかな呟きが漏れた。
「ただし……」
五十嵐は親指の爪を噛みながら、その後に続くただし書きを読み進めた。
「対策隊の目的は、あくまで人を襲ったヒグマの駆除……つまり、エゾオオカミはその許可の範囲外ってわけね」
山田が違反した条文を確認した五十嵐は、再びマウスをクリックし、今度は役場による隠蔽行為があったと仮定し、それを裁くための関連法規の検索を進めた。
『カチ、カチ……』
「あった」
画面に映し出されたのは、第六十五条の「両罰規定」。
条文を凝視する彼女の脳内では、すでにスクープ記事の構成が組み上がりつつあった。もし役場の隠蔽が事実なら、メディア界を揺るがす特ダネになる。
五十嵐は間髪入れずに地図アプリを開き、周辺にある野生動物救護センターなどの施設を検索し始めた。あのエゾオオカミがそこにいる証拠さえ掴めば、この「地方自治体の不祥事」は、完璧な告発記事として世に出せる。
ついに、彼女は電子地図の片隅、目立たない場所にひっそりと佇む民間施設を特定した。クリックして詳細を開くと、そこには「代表:佐藤」の文字があった。
「見つけた」
目的の情報にたどり着き、五十嵐の口元は抑えきれない高揚感で小さく歪んだ。生まれつき正義感の塊のような彼女は、この不祥事がどこまで燃え広がるかなど興味はなかった。
ただ、何人たりとも法の一線を踏み越えることは許さない──それだけが、彼女のすべてだった。




