15話.電話
目を開ける。
見慣れた天井だった。
静かな部屋。
聞こえるのは冷蔵庫の音だけ。
戻ってきた。
現代だ。
何度経験しても慣れない。
昨日まで小学生だった。
いや、昨日という感覚ではない。
何か月も五年生として過ごしていた。
土日は野球。
平日は学校。
仲間と笑い。
ライバルとキャッチボールをして。
その毎日が突然終わった。
俺はゆっくり起き上がる。
机の上のタバコを一本取る。
ライターで火をつける。
煙を吸い込む。
そして静かに吐き出した。
「……戻ってきたんだな」
煙が部屋に溶けていく。
五年生の身体では絶対に吸えなかったもの。
数か月ぶりのはずなのに、不思議と落ち着いた。
だけど心は落ち着かなかった。
ライバル。
あいつのことばかり考えていた。
親父は言った。
『ああいう子がプロになるんだろうな』
俺もそう思った。
今でもそう思っている。
誰よりも野球を考えていた。
誰よりも努力していた。
誰よりも上手かった。
なのに未来ではプロじゃない。
草野球をしていた。
どうしてだ。
その答えを聞くために俺はフォアボールを選んだ。
数日が過ぎた。
仕事へ行き。
帰って寝る。
また仕事へ行く。
身体はいつもの生活に戻った。
だが頭の中だけは違う。
機械を動かしていても。
昼休みに飯を食っていても。
車を運転していても。
気付けばライバルのことを考えていた。
どうやって聞こう。
そればかりだった。
でも、一つ問題がある。
連絡先だ。
前の記憶では、俺はライバルの連絡先を知らない。
草野球でたまたま顔を合わせた。
挨拶をした。
敬遠された。
その程度だった。
電話をする仲でもない。
共通の知り合いに聞くか。
草野球の大会で会うまで待つか。
いや。
仮に連絡先を知ったとしても、いきなり連絡して、
「なんでプロになれなかった?」
なんて聞けるわけがない。
そんなことを聞かれたら、相手だって困る。
「どうするかな……」
考えても答えは出なかった。
金曜日。
定時のチャイムが鳴る。
現場の機械が止まり、一気に静かになる。
「お疲れー。」
「お疲れ様です。」
いつもの挨拶を交わし、更衣室へ向かう。
ロッカーを開け、スマホを手に取った、その時だった。
ブルブルッ。
着信。
画面を見る。
表示された名前に思わず息が止まる。
ライバル。
「……え?」
一瞬、見間違いかと思った。
スマホを持ち直す。
もう一度見る。
間違いない。
ライバルだった。
俺は数秒固まったまま画面を見つめる。
なんで。
向こうから?
着信は鳴り続ける。
俺は慌てて通話ボタンを押した。
「…もしもし」
『おう』
聞き慣れた声。
だけど大人の声だった。
『仕事終わった?』
「今終わった」
『ちょうどよかった』
少し笑いながら続ける。
『今日これから暇?』
「まあ」
『じゃあ飲み行こうぜ』
あまりにも突然だった。
だけど俺に断る理由はない。
むしろ願ってもない話だった。
「いいよ」
『駅前のいつもの店な』
「いつもの…?」
『なんだよ?わすれたのか?駅前のコンビニの横のとこだよ』
「あ、あぁ!あそこか」
『コンビニで待ち合わせな』
「了解」
電話はすぐ切れた。
スマホを見つめる。
……待て。
俺はゆっくり連絡先アプリを開いた。
ライバルの名前。
登録されている。
電話番号も。
恐る恐るトーク画面を開く。
「……」
そこには俺の知らない会話が並んでいた。
『日曜よろしく。』
『今日はありがとう。』
『また飲もう。』
去年。
一昨年。
普通にやり取りしている。
飲みに行った形跡まである。
俺の知らない記憶だった。
「ははっ、そういうことか……」
思わず笑ってしまう。
過去が変われば、未来も変わる。
あの日キャッチボールをしただけだ。
頭では分かっていた。
でも、こうして目の当たりにすると実感する。
俺の知っている未来じゃない。
俺の知らない未来が始まっている。
スマホをポケットへしまう。
ライバルの方から誘ってきた。
こんな都合のいい話があるだろうか。
聞きたいことは決まっている。
中学。
高校。
そして──なぜプロになれなかったのか。
俺は作業着のまま更衣室を出た。
夕暮れの空を見上げながら、駅へ向かって歩き始めた。
その答えを、今日聞くために。




