第9話 「あれはあれで、良いところもあるんですよ」衛士・文による太子・燕景(ご主君)へ渾身の配慮
まだ陽が高い時間帯、太子である燕景は上等の白馬を駆けさせて、桃花の邸宅に訪れる。
軽やかに馬から飛び降り、太子らしく高価な着物の乱れを正しながら、意気揚々と声を上げた。
「ごほん。……はっはっは、桃花よ、息災か! 体調など崩しては、医者の不養生というものだぞ! どれ、余が一つ労って――」
「いらっしゃいませゴキゲンヨウ、とっととお帰りくださいまし♡」
「なぜ貴様に追い返されねばならんのじゃトラ公……!」
「ここが我とタオファの家だからに決まっているであろうがヒト公……!」
顔を見せあった瞬間に睨み合って火花を散らす、白(※人化中)と燕景のやり取りは定番となってきたし、あるいは仲が良いのではないだろうか。
桃花は桃花で太子の来訪に慌てもせず、穏やかに、かつ軽めに対応する。
「あら燕景さま、いらっしゃいませ。本日は何用でしょう?」
「! おお桃花よ、相も変わらず桃の花の精が如き麗しさよ! いや、以前にも増して輝きが増しておるようではないか……これも心労から回復したおかげかのう、うんうん!」
「恐縮ですが、まさかそれが御用件でしょうか? お暇なのですか? ……というか最近、顔を見せすぎではありませんか? ここは都でもないのに……太子としてのご政務は、大丈夫なのでしょうか? 今の王さまのお世継ぎでしょうに、あまりふらふらしていると、民衆も心配してしまうのでは?」
あけすけな称賛は軽めに受け流した桃花が、かなり強めの正論を突き付ける。燕景は戸惑いながらも、堂々と胸を張って答えた。
「ふ、ふはは……い、いや、心配してくれるとは嬉しいが、なに、安心せよ! 余は太子といっても、王である父は……ほら、まだ桃花が都で仕事しておった頃、錬丹術の薬で病を治癒してくれたであろう? あれから元気一杯で〝百歳までは退位せんぞ!〟と意気込んでおるからな。父は今年で四十ゆえ、本気で言葉通りになるなら……余が即位する頃には、余もおじいちゃんよ。はっはっは」
「あ、ああ、それは。その、ええと……私、何だか申し訳ないことを……?」
「ああ、いやいや! まあ余が王座につく頃という云々は置いておくとして……何せ宮中の上医でさえ〝不治〟と見なした病を、きみだけは見放さず治療してくれたのだから。子としては、桃花には心から、感謝しかないのだ。まあまあ、余が王になる日は遠ざかったが……ハッ!? ……嗚呼、太子たる身でありながら国に長く尽くせぬ不甲斐なさ、この心の渇き……桃花が癒してくれぬか――」
「いいえ~、私などには分不相応なので、ご遠慮します~。……あと国に尽くすを本懐とするなら、こんな所に顔を出さずお仕事に励んでくださいってば……」
「ぬわあああ正論が辛い! 太子を相手にこうもはっきりお断りできるなどと! うっ、ウウッ……そんなところも好い!」
桃花の注意は割と真面目だが、当の太子本人の反応を見る限り、代わり映えはなさそうだ。ただ人化したままの白は、主人の援護とばかりに燕景を詰めた。
「ふん、タオファはこの家で我と共に、悠々と時を過ごすのだ。貴様などに無駄な時を費やすはずがあるまい。邪魔者は早々にお引き取り頂こうか」
「……ハッ。桃花ほどの能力があって、このような辺鄙な場所で収まるはずがあるまい。この太子たる余の下、宮廷の中枢で才を揮うことこそ、真に相応しいというものよ。邪魔者は貴様じゃさっさと山に帰れトラ公」
「は? タオファの能力の高さについては否定せんが、国如きに収まる小さな器と勘違いしておるのか? 貴様と同じに考えるでない。もはやタオファは神域に至る器、神獣たる我と共にあるが最も自然よ。卑小な価値観で語るなおまえこそ国に帰るんだなヒト公」
「は??」
「は??」
「「………」」
今また、〝ギャーギャー〟〝ガオガオ〟と戦いの鐘が鳴る――!
さて、またしても何も知らない内に当事者となっている桃花だが、特に何か心配することもなく飲み物を淹れ始める。
その時、やはり遅れてきた衛士・文が、肩で息をしながら飛び込んできた。
「ぜえ、ぜえっ……で、ですから、衛士を置いて、単独行動しないでくださいって、燕景様……げほっ、げほっ」
「あら文さん、お疲れ様です。ちょうどこちら淹れましたので、よろしければどうぞ。疲れに効きますよ~」
「はっ、桃花殿! 何と、ありがたく……んっ!? こ、これは……ウオオ体が熱くなって、力が湧き上がってくるようだ! これも錬丹術の力……!?」
「いえ、〝傷寒論〟とかにもある、ただの葛根湯です。……最近ちょっと、熱っぽくなったことがあったので、念のためにと……」
「あ、ああ、そうでしたか、早とちりしてお恥ずかしい……し、しかし熱っぽいとは、よもや風邪など召されて? 心配ですね……」
「いえいえ、他に症状も出ませんし、何でもないと思いますから。それより文さんこそ、いつも、その……大変ですねえ」
「はい!! ……あ、いえ、その」
元気いっぱいな返事をした衛士・文だが、聞こえてはまずいと思ったのか、声を潜める。しかし白との口論に夢中らしい燕景は、気付いていないらしい。
と、そこで話を終えるのもどうかと思ったのか、文は続けた。
「……いえ、燕景様もあれで、そう悪いところばかりではないのです」
「えっ?」
「確かに……基本、人の話は聞かないし、勝手に突っ走っていくし、声は妙にデカいし、体の大きさの割にすぐ拗ねるし、自尊心が高いせいかなかなか機嫌を直さないし、ぶっちゃけ面倒くさい部分が非常に多いのは確かですが……」
「やはり文句のほうが大部分を占めるのでは?」
「で、ですが! あれで結構、良いところもあるんです。現・王様がご壮健ゆえ、他の王族は誤解を恐れず言えば弛んでいる者も多い中……燕景様は国内の安寧を慮り、太子でありながら自ら軍を率い、反乱の鎮圧を行うなど。それはまあ猪突猛進ゆえ、心配は尽きませんが……武勇に秀でた御方ですし、尊敬する者も多いのです。基本的には、真面目な人ですし」
「真面目な割に、最近お仕事を怠けて、ここへ顔を出し過ぎでは……」
「それは本当にシバきた……いえその、あれなんですが……と、とにかく!」
精一杯に主人の名誉挽回を図る文は衛士の鑑だが、続く言葉は真に迫っていた。
「燕景様は、血筋や身分で人を判断しません。今は衛士となった自分も、元は庶民の身であったにもかかわらず、真面目に仕事に取り組んでいたのを評価され、取り立ててもらったのです。だから自分は本当に、感謝しているのです……人の話は聞いてくれませんが」
「そう……そうだったのですね。いえ、思えば私も、本来なら怪しまれて当然の〝錬丹術師〟でありながら、気兼ねなく接してくださいます。在野の薬師や医師など、身分が低いというのに……人の話は聞いてくださいませんが」
古代からこの時世に至るまで、中華において医師などの地位は驚くほどに低かった。占い師や祈祷師と同列の扱いも、しばしば見受けられる。
歴史上初の〝錬丹術師〟ともなれば、それこそ胡乱な目で見られるのが当然だったが――桃花との初対面を除けば、それ以降は確かに身分による差別はされなかった。
ちなみに出会った当時の様子は、次のようなものである。
*初対面時
『ええい錬丹術師とは何とも怪しげ、呪術師か何かではないか!? えっうそ可愛い……ハッよもや妖か何かか!? おのれ病に臥せった父王にとどめを刺しに来たか! 余の目の黒いうちは、妙な真似を出来ると思わぬことだ……一切、そらもう一切、目を離さぬからな!!』
*治療完了後
『桃花ァァァ! きみのおかげで父は救われた、感謝する! 嗚呼その手腕たるや医の神・神農の如し、美しさたるや月の女神・嫦娥の如し! えっ〝美しさ関係ないのでは〟って? はっはっは何と謙虚な! 良い良い、きみを讃える詩を創って都で流行らせようぞ!』
「……本当、全く話を聞いてくれませんでしたよね。まあ私も最初の頃は嫌われていたようですが、正直で悪い人ではないのだろうなあ、と思っていましたし」
「自分が傍から見ていた分では、実のところ態度はそんなに変わっていないのですが……まあ仰る通り、悪い人ではないのです。身分によらず分け隔てなく接してくださるのも、本当ですし」
実際、桃花は遠慮していたにもかかわらず、本当に〝国一番の錬丹術師・爆誕!〟といった詩を都で流行らせてしまったし。
あるいは都に住みづらくなった一因では……と思いつつ〝燕景は悪い人ではない〟というのは共通の考えの文と桃花が、またも気の合う結論を出す。
「とはいえ……庶民の自分なんかにしてみれば、太子様が気兼ねなく接してくるって、割と重圧キツいんですけどね~! 向こうは良くても、こっちは結局、気を遣うしかないですし!」
「あっわかります~! 冗談とはいえ口説くようなこと言われてしまうと、私もさすがに強くは言えませんし、薬をかけて撃退する訳にもいかないので、困るのですよねえ……そもそも身分違いも甚だしいですし、普通にお喋りするだけでも肩が凝る、といいますか」
「桃花殿、燕景様に対しても、割と強めに喋っているような気もしますが……そ、それにしても、桃花殿は平凡な者のほうが落ち着かれるのでしょうか? ……よ、よければ今度、自分と食事にでも――」
『……主人を差し置いて楽しそうではないか、文~~~?』
「うわぁぁぁぁぁ身分差!!」
畏怖する部分を叫び声で表した衛士・文に、燕景が血走った眼と低い声で詰める。
「まあ大変」と言葉だけは慌てる桃花に、こちらはこちらで白が寄り添った。
「……その、タオファは、平凡ほうが好みだったりするのだろうか……?」
「あら、私はパイが一番よ?」
「!! な、なんと……タオファ――!」
「だって、もふもふしているのだもの――好みどころじゃないわっ。パイのもふもふは、最高ッ……愛とさえ呼べるわ――!」
「グオーンッ!? くっ……よ、よいのだ、我は……タオファが良ければ、それで良いのだ! ええーい、モフモフは任せろ――!」
結局、桃花の姿勢だけは、一切ぶれることがないらしい。
…………。
さて、この周辺でも何やら〝変なお宅〟と噂される、桃花と白の住まう邸宅だが、そこで賑やかに騒ぐ面々を物陰から見つめる、怪しい影が一つ。
『……都から去ったかと思えば、まさか本当にこのような田舎へ移り住んでおるとは。じゃが、ようやく見つけたぞ、錬丹術師よ……くっくっく、自身の貴重さも理解せず、何とも浅はかで不用心なことよ』
晴天の空に、いかにも不穏な含み笑いに誘われたのか、暗雲が立ち込めるのだった。




