第11話 タオファの〝願い〟
「――桃花が行方不明だと!?」
都を西に出る巨大な門の前で、太子・燕景が大声を発する。
その衛士である文は、どこか焦燥した様子で報告した。
「は、はい。桃花殿が一人で都へ向かった、と西の村落の民から話を伺ったのが、つい先日。燕景様が〝これ幸い〟とばかりに付きまと……げふんっ! ええと護衛のためにと、この西門で待ち構えていましたが、門番いわく桃花殿らしき人物は見かけなかった、と。ゆえに桃花殿の行方を手の者に捜させましたが……さっぱりと、足取りが掴めぬというありさまです」
「うむ、決して付きまとう気などではなく、久方ぶりの都は何かと勝手が分からず不便だろうと、余が手ずから案内するつもりであったのに……西門にすら姿を見せておらぬとは。都に何の用事があったかは知らぬが……ハッ!? もしや余にこっそり会うため、人目を忍ぶべく、あえて西門以外から入って……クッ、入れ違いか! こうしてはおれぬ――」
「いえ燕景様、念のため他の門にも確認を走らせましたが、やはり桃花殿らしき御方は見ておらぬと報告が入っております」
「そう……。……いや待て、ならば、よほどおかしいではないか。つまり桃花は、西の村里から都へ至るまでの道中に……消えてしまった、ということになるぞ?」
その言葉に、衛士・文は更に深刻な表情をし、燕景は明確な焦りを言葉に滲ませる。
「桃花よ……きみは今、一体どこにおるというのだ……?」
◆ ◆ ◆
物資を保存するための、倉庫のような広い建物の中、旅装の女人が服の上から縄で縛られていた。
口には布で猿ぐつわをされて喋ることもままならず、壁に背を預けて座り込んでいる。そんな状態にありながら、彼女はぼんやりと思考を巡らせていた。
(うぅん……大変なことになってしまったわ、どうしましょう)
紅から色素が薄まり桃色に近くなった長髪の、可憐な女人――桃花が、幸いにも目隠しされていなかったことで、円らな眼を動かして状況を確認する。
(建物の中は、薄暗い……夜、ではないはずよね。窓から陽が差し込みにくい造りになっている上、何かに遮られている。恐らく、森か竹林か……困ったわ、人里から離れていては助けも呼べないし、隙を見て逃げ出してもすぐに捕まってしまいそう)
〝困ったわ〟とため息を吐く姿は鷹揚で、あまり焦っているようには見えない。そんな桃花に、今回の事件の首謀者たる男が、ご自慢なのかなまずのような長い口髭を指先でいじりつつ、口の端を歪める。
「くっくっく……やれ、隙を窺った甲斐があったわい。まさか一人で都へ向かってこようとは、不用心な。大げさに私軍を動員するまでもなかったわ。か弱い小娘一人、これなら少数の手勢だけでも攫えたかのう、くっくっく」
(……えっ。うそ、まさか、この人、そんな……)
「〝王の病状が思わしくないゆえ、都へ薬を届けるべし〟などと、それが自らをおびき寄せる策謀とは、思いもしなかったのであろうな! とはいえ王族からの要請であるのは真実、拒否も疑いもできまい……わしとて、この国の王族に連なる公子の一人ゆえな! くーっくっくっく!」
(なんか、策謀とやら……全部、喋ってくれるわ……! なんなのかしら、思っていることが声に出ちゃうとか、そういう性質なのかしら……)
「この娘が国一番の錬丹術師とかいう薬師で、王の命すら救った貴重な者というのは都でも周知。この者を手に入れ、稀少な錬丹術の薬を量産させれば、わしが国の実権を握ることも可能! 燕景め、まさかわしがこの娘に目を付けていたとは、知る由もあるまい。このわしを差し置いて、あのような若造が太子などと、決して認めぬ……厭味ったらしく国内を駆けまわり、反乱や賊などを鎮め、浅ましく民の人気取りをする貴様を、すぐに太子の座から引きずりおろしてくれる! くーっくっくっく!」
(どうしましょう、私、ただ縛られて座っているだけなのに、何だか色々な情報を得てしまっている……どこか、他のところで喋ってくれないかしら……)
あるいは抵抗できない桃花と二人だけの状態で、陰謀を巡らす公子とて、気が緩んで口が軽くなっているのかもしれない(擁護)。
実際、いかにもいやらしい笑みを浮かべる公子が口ひげを癖の如くいじりつつ、桃花を舐め回すような目で見ながら言った。
「くくく、しかし惜しいものよ、どこに薬品や刃を仕込んでいるか分からぬゆえ、縛り上げるしかないとはな。何やら劇薬を容赦なくぶっかけてくる、どえらい女子とも聞いておるし……まあ仕方ない。お楽しみはこれからよのぉ~? くっくっく!」
(っ、ばれている……うう、確かに、この手が自由なら……眼球や鼻や耳の孔に、ちょっとしたお薬を全力で流し込むのに……悔しいわっ……!)
「くくっ! いやしかし、人目につかぬ僻地に建てさせた場所ゆえか、ちと冷えるのう……今なにか体の芯から凍えるような心地じゃった次第。まあよい、それすらも、もう少しの辛抱ゆえ……くっくっく」
震えを抑えるような身振りをしつつ、公子は桃花から離れながら、歪んだ笑みに更に深い皺を刻んだ。
「ここは単なる中継地点に過ぎぬ。おまえは今から、わしの領地である北方に築かせた隠し砦へと運び……二度とそこから外へ出しはせぬ! 一生そこで、わしのために錬丹術師としての腕を揮い、薬を作り続けるのじゃ……!」
(! 一生、外へ……出られない?)
「くーっくっくっくー! さあ、今こそわしと共に、輝かしき栄光の巣へ旅立ち……あとせっかくじゃし思う存分、わしと好色遊戯しようぞ――!」
(…………)
王族に連なる公子とは信じられぬほど、汚れた高笑いが響き渡る。
それを聞き、縛られて動けぬまま、桃花がぼんやりと考えていた。
(……まあ結局、こんなものかしらね……)
それは達観、ではなく諦観――円らな瞳から輝きは失せ、ただ静かにうなだれる。
(むしろ都では、大体こうだったじゃない。改めて、元の通りになっただけだわ。ううん、もしかしたら、何かの罰なのかも……都を離れてからの日々のほうが、あまりにも出来すぎだったのだわ。私は結局、こうなる運命だったのね)
深い絶望の反面、思考だけはやけに鮮明で、それが桃花の悲観を煽る。
(このまま、妙な場所へ連れていかれて、薬を作るだけの道具のように扱われて……一生、外へも出してもらえない、というのなら。あの村へは、あそこへは……もう二度と、帰れないのよね。私たちのおうちには……そう、もう、二度と)
色の失せた瞳に、もう何も見たくはないと、ゆっくり瞼がおりていく。
(もう、二度と……パイとも、会えない――)
目を閉じる――――寸前。
(――――そんなの、イヤっ!!)
かっ、と桃花は目を見開いた。
(私は、帰りたいっ……こんな風に振り回されるなんて、もう、うんざりっ! あの日々を、知ってしまった。私はもう、あのおうち以外では……生きてなど、いけないのよ! この魂魄にかけて……諦めなど、しない!)
暗い諦観は消し飛び、桃花は表情を凛と引き締め、ささやかすぎるほど小さく開かれた窓の外を睨んだ。
(だから……どうか、お願い。……お願いっ……)
穏やかな心根でありながら、真面目な気質ゆえに仕事に励み、都ではそれが災いして心神をすり減らしてきた。
そんな桃花が今、生まれて初めてと言えるほど、己のための願いを内に宿している。
そうして生気の戻った眼で、眦から薄っすらと涙を零しつつ、桃花は――
(助けてっ――パイっ――!!)
絞り出すように、最愛の家族の名を、心奥で叫んだ。




