5-26 昔噺の追憶(26)
五月事皐月見舞いを申し上げます。
今月もご拝読いただきまして、ありがとうございます。
※苦手な方は、迷わずに御閉じください。
よろしくお願いいたします。
暫く、滞在し終えると――…お布施とは、別に獣医としてや堆肥作りの給与と握り飯と香の物の弁当を持たせてもらいみおくってくれたという。
しかしながら…訪れた村の中には、子供を“小坊主”として引き取ってほしいと悲願された事もあった。
――口減らしである。
曾祖父の時代でも飢饉に苦しめられた時期も存在している。
恐ろしかったのは、とある村では『長子以外の子供』は“生贄”に捧げられている地域も存在している――…生贄用の子供を祠の前で、死ぬまで『暴力行為』を行った後に祭壇へと献上されていた。
祭壇ではなく、そのまま子供の亡骸を“土”に埋める地域も存在している――…特に米や雑穀等を主食にしている我々にとって、戦争や天候不良による災害を受けてしまうと『信仰心』を誤った選択をしがちである。
――神様は、子供の血と血肉を好む。
しかし、現実では…土葬か風葬に近い奉納のため、血の臭いを嗅ぎつけた熊や狼等の肉食動物の“貴重な食糧”となっていたのだ――…人も食物連鎖の『一種類』でしかない。
開拓前や開拓中での自然との“共存”しながらの『驚異』と『脅威』に怯えながらの作業は、想像を絶するものだ。
――そして、極限状態での弱肉強食真っ只中で“生活”している野生動物も『生きるため』に“必死”だ。
だが、それでも…真実を知ったとしても…生贄を絶やさなかった――…現在でも熊や狼は『森の守り神』とも呼ばれているからだ。
古来から“自然”は『神様そのもの』という伝承は、現在でも残されている――…神様が“目に見えない存在”だからこそ『自己中心』に過ぎない。
――両面無地な紙の一枚に過ぎない。
こんな痛ましい村の風習を“当たり前”に執り行っていた現実は、他にも存在している――…僧侶の昔、立ち寄ったこの村では『おじろく』と『おばさ』という名の“奴隷制度”が、色濃く根付いていた。
その制度の存在事態、希薄な他所の村から婿入り・嫁入りした者からしたら受け入れがたい『悪習』にて『因習』のため「我が子を“外”に逃がす」事を模索していた。
しかしながら…幼い頃から刷り込み教育というのは、色濃いものである――…何とか、他の村や小町に奉公として逃がしても…故郷か、家族恋しさに戻ってきてしまう子供も後を絶たない。
たが、幸か不幸か――…小坊主として、出家に出された子供達は『家族から離れる』事と『家と村から外に出る』事を躊躇していなかった。
まだ母親恋しい年頃だろうにと、思ったが…以前、世話になった別の村から話を聞いていた――…しかし親からの悲願とはいえ、直ぐに聞き入れられない。
子供の気持ちであり、本音を聞こうと問いかけようとした――…が、問わなくても子供の決心した目は…初めて会った時から変わっていなかった。
――目の当たりにした子供の“決意”に逆に恐ろしくなった。
どんなに血に染まった因習が、根付いている土地であっても住民は『極楽浄土』であるが…旅僧侶のように立ち寄った他人からは『忌み地』にしか、映らない。
しかし、それは『大人の自己中心的』から悪習から身を守るための“最大の愛情”であった――…洗脳じみているが、苦肉の策だったのだろう。
――よそ者という一方的な価値観は、酷く歪んでいた。
どんな一般家庭と環境による常識を身に着けたとしても…遠路はるばる婿養子や嫁入りしても『他人』に変わりないのだ。
生き残るには、長い物には巻かれよ――…極端だが、我が身を“助かる”唯一無二の苦肉の策だった。
だが、しかし…どんなに『身を守る術』とはいえ、愛情から来ている…誤っても“支配”をするしか次子の『奴隷』への免除されないと苦汁を飲み込むしかなかった。
――愛しいのだ。
どんなに長子への跡継ぎ信仰の強くとも…我が子であるのに変わらないというのに“無償労働実子”しないと、我が子を取り上げられる同時に嫁ぎ先から『不用品』として“追い出されてしまう”のを踏み止まるしかない。
郷に入っては郷に従うのが、当たり前な時代――…どんなに疑問に持ったとしても故郷の常識等、塵と同じ掃き捨てられる。
嫁いで早々に『村の掟』に疑問と疑惑を隠しながら我が子を“逃がす”ために意を決するしかなかった。
子供に恵まれる前には、既に嫁いだ者の多くは『洗脳』された素振りの演技をしながら打破を模索する。
気付いた頃には…毎年の春や秋頃、村に立ち寄る配置販売業や他の村や小町から『職場体験』として出稼ぎ勧誘者の行き来する事を知る。
この頃には、年頃であるが…村から出したくないが、村への潤沢と“社会勉強”として『出稼ぎ』させていたのが“幸運”だったのかもしれない。
他所の村や小町からの訪問販売や出稼ぎを許可している村は、極めて少ない時代でもあると同時に極力閉鎖的な村からしたら『軽蔑』対象でもあった。
唯一、許していたのは“嫁入り”か“婿入り”かの縁づきに限定されていた。
しかしながら閉鎖的な村でも『流行』には――…知りたいし、触れたいものである。
特に若者は、流行に古今問わずに敏感である。
祖父母世代や両親世代も同じなのだが、村の独自の信仰と習慣を知られないようにしないといけない。
知られてしまったら“失敗”と見做されてしまうと同時に生贄を増やさなくてはならなくなる。
――村の外からの『訪問者』は“危険”と“夢運び”という、隣り合わせの存在であると同時に他所の村の『独自』というのは“次回の流行”を見出す端緒する『調査団』の一種でもある。
まだ春と秋の“過ごしやすさ”を利用して、勧誘活動と『新たな』を発掘するのに適した期間と同時に貴重な新たな嫁入りや婿入り先の情報提供でもあるため無下に出来なかった。
この機会とばかりに井戸端会議を楽しむ、ご婦人も後を絶たない――…しかし、緊迫したままだ。
――何故なら“告げ口”されるからだ。
外からの流行情報というものは、とても新鮮かつ楽しい物だ…その拍子に『身の上相談』として愚痴を話してしまったら?
井戸端会議の傍らには、常に“監視=告げ口”する者の姿有りであったからだ――…村の習慣に耐え切れずに勧誘活動者に紛れて村からの脱出する者も後を絶たない。
時に「子が、出来ない」理由として『強制的』に相手側の有責として“離婚”させられていた。
――理不尽であるが…何故、行うのか?
何のことはない、お互いの利益になる『物々交換』である。
物々交換されるのは、主に――…お金や加工された玄米、香の物や川魚の佃煮や干物等の“困らない”物資だ。
この物々交換を欲しいがために『情報屋』を買って出る村民も後を絶たない…常に飢餓になりやすい天候により、明日には“生きれる”か“死ぬ”かの瀬戸際だ。
何度も「よそ者は、直ぐに裏切る」と――…過去からの邪見と偏見を色眼鏡をしているせいもあり、実に身勝手な事だが…各家の姑と舅自身も『よそ者』である。
――何年目の年月が、どんなに経とうとも“血を残すためだけ”の『見切り品』を置いてやっているのだ。
ゴールデンウィークの骨休め(?)にしていただけたら幸いです。
ご拝読ありがとうございました。




