不時着
飛行長の長い訓示が始まった。
新谷は、この飛行長が苦手だった。
立派なことを言うが、言葉に重みがない。
結論を先に言ってほしいとさえ思った。
一言、"特攻に行け"と
自分の中にある、罪悪感を薄めるための訓示など必要なかった。
ちなみに、この飛行長は、戦後も生き延びた。
「特別攻撃隊は、十死零生の志願であるから、志願者は一歩前へ」
新谷は正直、志願する気が無かった。
傍付の大尉が
「貴様ら、そんなに命が惜しいのか、行くのか、行かんのか」
と怒鳴り声をあげた。
整列した列がゆっくりと前に出た。
"ああ"という気持ちで、新谷は前に出た。
ここで、志願しなければ抗命とみなされる、敵前におけるとき最も重く、死刑または無期もしくは10年以上の禁錮になる。
遅かれ早かれ、この状況では、死ぬのだ。
インパールやガダルカナルのような餓死のような死に方は、嫌だった。
この時の、記録映画では笑いながら逝ったというが、それはほぼ間違いだと感じる。
一部の搭乗員は、「突撃錠」なる覚せい剤を飲んで出撃していった。
感覚が麻痺していくのだと、新谷は感じていた。
ましてや、帰還することがない特別攻撃など日常の中にあるのだ。
解散すると、みな無口に散り散りなった。
竹部が、近寄ってきた。
「志願したのですか」
新谷は、こくりとうなづいた。
「そうですか」
といって、竹部は肩を落とした。
「飲みますか、竹部飛行兵曹長」
「はい、お付き合いします」
といって、飛行場のはずれにある待機所まで、酒瓶を抱えて歩いた。
「竹部飛行兵曹長は、初陣はどちらでしたか」
「16年冬の台湾で、比島爆撃でした、零戦はすごい機体だと感じました。相手のP40なんて遅くて、楽に落とせました。全機帰還なんて珍しくありませんでした。初戦だけでしょうけれども、慣熟された機体と熟練の搭乗員で、誰もがこの戦争は勝てると信じていました」
と懐かしむように竹部は言った。
「覚えています、帝大に入ったころですから、連戦連勝で世界地図に国旗の旗を立てていましたから、零戦が飛んでいるのをよく見ました。」
「台湾の航空隊から、17年の夏頃にはラバウルに行きました。」
「ガ島での空戦に参加したんですか」
「はい、でも地獄でした。送り込まれた新鋭32型は、航続距離が足りずに21型でしか出撃できませんでした。1000kmも飛んで空戦をするのです。毎日未帰還機があります。悲惨なのは航続距離の足りない艦爆隊です、不時着ありきの出撃です。全機未帰還です。敵さんはガ島を占領してこっちが作った飛行場を無傷で手に入れての迎撃戦ですから、こちらに分が悪い。艦砲射撃もやたらと近くて゛砲弾が破裂するもんだから、次々と落とされましたよ。」
「よく生き延びましたね」
「先輩の教えです、燃料に気をつけて予備の弾を残しておくように、20mmは最後に取っておくように教わりました。実際、敵さんは上空で待ち構えていましたから、きつかったですね。それとB17には驚きました。まったく落ちないんですよ。20mmを打ちたくても、回転銃座が全方面に配置されていて近寄れないし、苦戦しました。私も一度ガ島で落とされかけました。」
「竹部飛行兵曹長がですが」
「ええ、燃料タンクに食らって火が付きました。でもとっさの急行で火が消えて胴体タンクはカラだったんで、助かりました。それでも基地まで帰れずに海に不時着して哨戒中の駆逐艦に拾われて助かりましたけれども」
竹部はグラスの中の液体を一気にあおった。
「どうしても、行くんですか特攻に新谷少尉」
「もう志願してしまいました。2階級特進の大尉ですよ」
「馬鹿なことを言わないでください。250kgで敵艦が沈むと思ってるんですか、ガ島戦線で空母のホーネットに250キロ爆弾3発と魚雷2本さらに、艦爆と艦攻各1機がホーネットに体当たりしても沈まないんですよ。飛行甲板なんて.一週間もあれば処理しますよ。」
竹部は一気にまくし立てた。おそらく現場にいたものにしかわからない現実なのだろう。
「一週間しか足止め出来ないいなんて、なんともみじめな作戦ですね」
「作戦? 作戦じやありませんよ。邪道ですよ。ここ比島が絶対防衛圏の最終ラインでここを崩されると、南方資源の還送が出来なくなるんですよ。軍令部のお偉いさんがいってましたよ、後半年分しか燃料がないと、大和がトラックから動けなかったのも燃料がないからだそうてず。」
「もともと、資源確保のために戦争に突入したのに、それすら手に入らないのでは、意味がないですね」
と新谷は言い、空を仰いだ。夕暮れの空は血の色に染まっていた。
何人の人が死ねばこの戦争は終わるのだろうと思った。
"国を守るため"・"愛する人を守るため"という、大義名分が死ぬために必要なのだそうだ。
さっきの、志願という名の命令でその意味すら薄らいでしまう。
「死ぬ意味がわかりませんよ」
と竹部は吐き捨てた。
新谷は、自分が死ぬということへの実感がないのが本音だった。
何事もなく、3日が過ぎ朝から晴天だった。
突然、新谷へ呼集がかかった。
来るべきものが来たと知った。
レイテ島に機動部隊が、空母が入港しているとの情報があり、急いで攻撃を仕掛けるというのだ。
出撃の訓示もそこそこに水盃も慌て行い、250kgの爆装零戦に、新谷は乗り込んだ。
直援を志願した竹部が、後ろにいた。
いつもより慎重にフラップの操縦をして、離陸した。かなり重いと感じた。なかなか巡行速度に達しなかった。
マニラ上空を通過し頃、発動機の温度か上がり、オーバーヒートの様相を見せ始め、発動機の出力がぐっと落ちた。かろうじて飛べているが、とてもレイテまでは持ちそうになかった。
竹部機が、並走飛行して、手信号で引き返せといっていた。
やむなく、海上に爆弾を投下して、南部のレガスピ基地を目指すことにした。
しばらく竹部機は並走飛行していたが、爆弾を落とした所を見届けると、直援機としての任務に戻った。
レガスピ基地に不時着すると、発動機のカバーにオイルが滴り落ちるくらいに滲んでいた。
出撃する前に、竹部か完璧に整備すると言っていたことを思い出した。
これは、竹部しかできない仕業だと確信した。
なぜか、新谷はほっとしている自分に気が付いた。
そして、カラカラの喉にサイダーを流し込んだ。




