第八十九話「邪魔者」
迎えた、調律省の創立記念日。
中枢卿は、朝から機嫌が良かった。
これまでの、恐ろしい所業など、まるでなかったかのように。
無邪気な口調で、灯に話しかけ続けていた。
「――ふふ、今日は、お祭りね」
あまりにも軽やかな声。
灯は、心の大部分擦り減り、何かが確かに壊れかけていた。
虚ろな目で、灯は天井の一点を見つめ続けていた。
頭の奥では――"あなたは紬。今日から紬よ"――実際に流れているのか流れていないのかも分からないくらい、途切れることなく、反響し続けていた。
「賑やかなんだろうなぁ。屋台とか、出てるのかしら」
「――特に今日は、特別に、機嫌がいいの。わかる?だって、記念日!記念日だもの!わたし達が、作った、この国の――記念日」
中枢卿の声には、隠しきれない、誇らしさが滲んでいた。
「みんなもわたしとお揃い、全部無くして、わたし達が幸せを作った日!」
「――それにね、今年の記念日は、特別なの」
中枢卿の声が、僅かに弾んだ。
「親子記念日でも、あるの♩失ったものが戻ってきた!こんな素敵な記念日は過去はないわ!ふふ、素敵でしょう?」
灯は、もはや抵抗する意思を持ち合わせていなかった。
繰り返された、電気ショックと、強制された施術。
灯の心は、ただ静かに沈黙するだけの器となりつつあった。
中枢卿の言葉に、反論することも、拒むことも、灯にはできなかった。
傍らに、横たわる環の姿が見える。
意識が戻る気配は、まったくなかった。
その、浮かれた独り言が続いていた、瞬間だった。
けたたましい警報の音が、部屋中に鳴り響いた。
中枢卿の、声が、ぴたりと止まった。
「――え? 何。何なの、これ」
中枢卿の声色が、瞬時に変わった。
灯は、その変化に、思わず身を強張らせた。
これまでの無邪気とも思える口調から、一気に冷たく鋭い響きへと変わっていく。
「地下に、誰か、入ってきた、ってこと? ――せっかくの、記念日に。本当に、無粋な、ことをしてくれるわね」
「――兵器人形たちを、動かして」
中枢卿の、静かな命令が響いた。
感情の読めない、平坦な声。
だが、その奥には、これまでにない明確な苛立ちが滲んでいた。
兵器人形達のつけている専用のカメラの映像が映し出された。
灯の、心臓が大きく跳ねた。
それまで、虚ろだったその目に、微かな光が灯った。
――晴さん。
その存在だけが、灯の擦り切れかけた、心の奥に、微かな光を灯した。
「でも、残念。あたしの可愛い、兵器人形たちが、相手をしてくれるはずよ。彼らは、疲れることも、恐れることもないから」
中枢卿は、そう言うと、僅かに笑い声のようなものを漏らした。
その笑い声は、これまでの浮かれた調子とはまったく異なる、冷たい悪意が宿っていた。
「――警報がなると、街中に鳴るの。お祝いモードだったけど、仕方ないわね。多勢に無勢よ」
だが、その余裕は、長くは続かなかった。
警報の音が、なおも鳴り止まぬ中、別のカメラが映し出している街の様子が何一つ変わらない。
「――街で警報が鳴っていない…?」
中枢卿の声から、次第に余裕が消えていった。
――全く、俺も甘いな。
うまくやれよ、忍は街に響く警報器を切っていた。
「――どういう、こと。あの子たちが、そう簡単に、突破されるはず、ないでしょう」
予定外の事態に、中枢卿の声色が徐々に荒々しく、変わっていく。
「――ふざけないで。今日は、わたしの、わたしたちの大切な日、なのに」
これまでの余裕たっぷりの態度とは、まったく異なる、剥き出しの苛立ち、滲んでいた。
「みんな、わたしの、邪魔ばかり――許さない。絶対に、許さない!!」
中枢卿の、荒れ狂う声が、幾度も、幾度も、反響している。
灯は、豹変ぶりに、恐怖を感じていた。
――荒れ狂う声が続いていた、その、瞬間だった。
部屋の奥、重厚な扉が、大きな音を立てて開かれた。
その、向こうに
――三つの、人影が現れた。




