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空が壊れるほどの恋だった  作者: Kakou
【第三部】第二章
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第八十四話「協力者」

「――たった一人の女のために、よくここまで、辿りついたものだ。天宮――いや」


忍の半眼の奥、その瞳がまっすぐに晴を捉えた。

月明かりが、忍の輪郭を青白く縁取っていた。


「東雲晴」


本来の名を告げられた瞬間、晴の背筋に冷たいものが走った。

心臓が、激しく鼓動を打ち始める。

手のひらに、じっとりと汗が滲んだ。



晴の頭の中で、瞬時にいくつもの思考が駆け巡った。


――どう、この場を、切り抜けるか。


幸い、忍は一人のようだった。

背後に、他の気配は感じられない。


ならば、強行突破も不可能ではない

――晴がそう判断し、体に力を込めた、その瞬間だった。


「――やめろ」


傍らから、翔の声が鋭く飛んだ。

晴の腕を、翔が力強く掴んでいた。

骨が軋むほどの強さだった。


「この人は、協力者だ」



晴は、思わず目を見開いた。

振り解こうとした腕が、翔の握力に押しとどめられたまま動かなかった。


「――協力者、って」


「とはいえ、俺と、付き合いがあるわけじゃない。手紙のやり取りだけで、会ったことは、なかったんだ。ただ――親父から聞いていた、風貌にそっくりだ」


翔は、忍の姿をまじまじと見つめながら、そう続けた。

値踏みするようなその視線には、まだ完全には拭えない、警戒の色も滲んでいた。


「――黒曜幹部と、親父さんが……?」


晴の頭の中は混乱していた。

どういうことだ。


この男が、地下集落の、重蔵さんと繋がっている、というのか。

これまで、積み重ねてきた忍への疑念と、目の前の事実とが、うまく噛み合わなかった。



「親父の付き合いだから、俺もよくはわからない。ただ、敵じゃないってことだけは、確かだ」


晴は、すぐには頷けなかった。

拳を握りしめたまま、忍を睨み続けていた。


「――信じられない」


「信じられなくても、事実だ」


翔は、静かに、確かな口調で言った。


「お前も、見ただろう。一斉送還の、密告の手紙を」



晴の脳裏に、あの日の光景が鮮明に蘇った。

地下集落、翔の家に、慌てた様子で、駆け込んできた若者。


折り目のついた、一通の手紙。

翔の顔色が、みるみるうちに、変わっていったあの瞬間。


「――嘘だ」


晴は、思わず、そう呟いた。

信じたくない、という思いが、頭の中で渦を巻いていた。


「――そうだ。あれは、私が送ったものだ」


忍が、静かに口を開いた。

感情の読めないその声には、これまでにない重みが宿っていた。

これまでの忍という人物への印象が、大きく揺らぎ始めていた。



「――味方、なら」


晴は、忍を睨みつけた。

声に、抑えきれない、憤りが滲んでいた。


「なぜ、全てを知っていて、止めようとしないんだ。それができる、立場だろう!」


その、叫びにも似た問いに、忍は沈黙した。

夜風が、開け放たれた扉から、居間へと、静かに吹き込んでいた。


「――そんな、簡単な話では、ないのだよ。私の家も――調律省もね」


忍の声には、複雑な翳りが滲んでいた。

黒曜に生まれた宿命と、背負っている多くの従業員たちの生活。


その全てを、一人の判断で覆すことの、あまりの困難さ

――忍の、その一言に凝縮されているようだった。



「――俺は、信用できない」


晴は、そう、言い放った。

爪が、掌に、深く食い込んでいた。


「信用しなくても、いいが」


忍は、静かに、晴を見据えた。


「――どうするんだ。調律省内だけじゃない。地下には、兵器人形たちが、わんさかいるぞ」


その、聞き慣れない言葉に、晴は思わず言葉に詰まった。


「――兵器、人形」


不穏な響きに、玲も、翔も、六花も、それぞれ、緊張の色を深めていた。

六花は、無意識に、自分の腕を抱くようにして、身を竦めていた。



その、重い沈黙を、破ったのは玲だった。


「――私は、信用します」


玲は、一歩、前に進み出た。

忍の目を、まっすぐに見据えながら。

その足取りに、迷いはなかった。


「だから、教えてください」


玲の声には、迷いのない、確かな、覚悟が、宿っていた。


「調律省の、このシステムを、壊すためには。中枢卿から、灯を、取り戻すためには――どうすれば、いいんですか」


忍は、玲の顔を、じっと見つめ、それから静かに、目を伏せた。


「――私も、今のこの国の在り方を、良しとしているわけではない」


静かな告白に、晴は僅かに、目を見開いた。


「だが、私には動けない理由がある。それを、今、話すつもりはない」


忍の声には、譲れない、何かへの線引きが感じられた。


「――これが、最後の、情報提供だと思ってくれ」


忍は、前置きすると、懐から、一枚の古びた地図を取り出した。


中央区の、詳細な地図。


そこには、地下の構造が、細かく書き込まれていた。


「中央塔の地下には、五つの共鳴塔のうち、中枢にあたる、五つ目の塔が存在する。国全体の、感情観測と、調律のすべてが、そこから統括されている」


忍は、地図の一点を、指し示した。


「――お前たちが、目星をつけていた学校の井戸。あれは、確かに、地下水路と繋がっている。だが、それだけでは、中枢までは辿り着けない」


「地下水路を進んだ先に、幾つもの分岐がある。そのほとんどは、行き止まりか、罠だ。正しい道筋を知らなければ、迷い込んで命を落とすことになる」


忍は、地図の上に、指で一本の道筋をなぞって見せた。

複雑に入り組んだ地下水路の中、一本だけ記された、赤い線。


「この、道筋を辿れば、中枢卿の、いる場所――中央塔の、直前まで辿り着ける。だが、そこから先は、私にもわからない」


「――兵器人形、というのは」


晴が尋ねる。



「感情を、完全に喪失した、“卒業”後の人間の、一部だ。子どもは外国に送られるが、大人はそうではない。幾人かは、感情を失ったその体を利用され、戦闘用の道具として、改造されている」


六花の顔が、みるみるうちに青ざめていった。

翔が、その肩に、そっと手を置いた。


「奴らには、痛みも、恐怖もない。命令に忠実に動くだけの、存在だ」


「――システムを、止めるには」


 忍は、続けた。


「中枢の塔、核となる部分を、直接破壊するしかない。それが、唯一の方法だ」


「――それで、この国の、感情天候システムは、完全に、止まるんですか」


晴の問いに、忍は頷いた。


「五つの共鳴塔は、すべて中枢と連動している。中枢さえ止めれば、他の四つの塔も、その機能を失うだろう」


翔たちが、東部の一角だけで、成し遂げてきたことの、その先にある、本当の目標が、初めて明確な形を取り始めていた。


「――中枢卿とはどのような存在なんですか」


玲が、尋ねた。


「この世界の最高権力者であり、はじまりであり、悲しみであり、怒りであり、亡霊だ」


忍は、地図を晴の手に、そっと握らせた。


「――これを持っていけ。私は、これ以上、お前たちに関わるつもりはない。次に会う時は、敵として、対峙することになるかもしれぬ」


その言葉を最後に、忍は背を向けて立ち去ろうとした。


「――独り言だが、二週間後に調律省の創立記念がある。その日は街が賑わい、調律省も全員非番だ」


忍は、そう言い、夜の闇の中へと、溶けるように消えていった。

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