第八十三話「古井戸の記憶」
環の家の居間。
日記帳を囲むようにして、四人はしばらくの間無言のまま考え込んでいた。
窓の外、月明かりだけが、部屋の中を薄く照らしていた。
「――東部の共鳴塔も、地下にあった」
翔が、静かに口を開いた。
腕を組み、天井の一点を見つめながら。
「だとすれば、中央塔の下にある、システムの中枢とやらも地下にあると、考えるのが自然だろうな」
晴も頷いた。
環の日記に残された「地下」という、走り書き。
東部での経験を経て、システムの中枢の在り処と、確かに符合しているように思えた。
手にした日記帳を、晴はもう一度見つめ直した。
「――問題は」
玲が、腕を組みながら続けた。
「その地下へ、どこから入り込めるか、ということだな」
中央塔は、この国の権力の中枢。
厳重な警備が敷かれていることは、想像に難くなかった。
正面から堂々と、入り込める場所ではなかった。
玲の脳裏には、かつて調律士として、間近で見てきた塔の威容が、鮮明に浮かんでいた。
四人はそれぞれ、思考を巡らせ始めた。
だが、なかなか有力な糸口は見つからなかった。
沈黙が、居間に重く垂れ込めていた。
その時、晴の脳裏に、ふと一つの記憶が蘇った。
まだ、灯と出会って間もない頃。
灯の通う学校の裏庭でのことだった。
専属監視官として、灯の様子を見守っていた日々の記憶の中。
灯と学校の昼休みに裏庭と他愛のない会話を交わしていた記憶。
灯がよく座っていた場所は――
「――井戸だ」
晴は、声を上げた。
全員の視線が、晴に集まる。
「灯の、通っていた学校の、裏庭に――確か、古い井戸があったはずです」
その記憶を、晴は慎重に辿り直した。
使われなくなった古井戸。
井戸の縁に、灯が腰掛けていた、あの日の姿。
傾いた陽の光が、灯の横顔を柔らかく照らしていたのを、晴は今でもはっきりと思い出せた。
「――『この井戸、随分、深いんだって。昔は、地下水路と繋がってたって、聞いたことがある』」
晴は、灯の言葉を、はっきりと思い出していた。
当時は、何気ない世間話として聞き流していた、その一言。
だが、今思い返せば、それはこれまで探し求めていた手がかりに、直結するものかもしれなかった。
あの日の灯の屈託のない声が、晴の耳の奥に鮮明に蘇った。
「――中央区の地下水路網は、この学校の井戸を通じて繋がっている、可能性があります」
晴のその推測に、玲も頷いた。
「地下水路であれば、中央塔の地下にまで繋がっていてもおかしくはない」
翔も地図を広げ、学校の位置を、確かめながら頷いた。
指先で、井戸の位置から、中央塔までの距離を、なぞるように地図の上を動かしていく。
「――行ってみる価値は、あるな」
六花も、静かにその話に耳を傾けていた。
地図を覗き込む、その目にはこれまでにない、真剣な光が宿っていた。
「――だが」
翔が、ふと表情を曇らせた。
地図から、視線を上げる。
「侵入経路が見つかったとして――問題は、その先だ」
「――どういう、ことですか」
「中央塔には当然、大勢の調律省の人間がいる。この四人だけで乗り込むのは、あまりにも無謀だ」
その言葉に、晴も、玲も、六花も、それぞれ押し黙った。
翔の言う通りだった。
これまでの、道中で培ってき、四人の連携。
それだけでは、この国の中枢に挑むには、あまりにも心許なかった。
「――俺は一度、集落に戻ろうと思う」
翔が、そう切り出した。
「仲間を集めて、態勢を整え直す。それから、改めて、中央塔に乗り込む」
その提案に、晴の中で複雑な感情が渦巻いた。
六花の様子を見ていたから尚更だった。
灯が、無事であるとは限らない
――その焦りを、抑えることは容易ではなかった。
拳を、無意識に握りしめる。
それでも翔の言葉には、確かな理があった。
「――それが、一番、無難、ですね」
晴は、絞り出すように答えた。
逸る気持ちを、必死に抑え込みながら。
四人が方針を固めかけていた、その矢先のことだった。
「――なにやら、面白そうな話をしているな」
不意に、聞き覚えのある声が、居間に響いた。
四人は一斉に、その声の方向へと視線を向けた。
開け放たれたままの、扉。
その、向こうに
――黒曜幹部、忍が静かに立っていた。
感情の読めない半眼の奥、忍の瞳が四人をまっすぐに見据えていた。
誰も、身動き一つできないまま、その場に凍りついたように立ち尽くしていた。
心臓の音だけが、晴の耳の中でやけに大きく響いていた。




