第八十一話「器」
「――お母さん……お父さん……」
灯の口から、掠れた声がこぼれ落ちた。
目の前の、繭型の機械。
その中に眠る、母の遺体。
中枢卿の言葉によって、初めて明かされた自分の出生の一端。
淡い光に照らされた動かない顔を、灯は涙で滲む視界の中、じっと見つめ続けていた。
知りたかったはずの自分の出生。
だが、それをこんな形で知ることになるとは、灯は想像もしていなかった。
喜びとも悲しみともつかない、複雑な感情が幾重にも、灯の胸を締め付けていた。
父の存在すら、これまで名前しか知らなかった。
その父が、母を守って、命を落としたという事実。
母が、最期まで自分を、想い続けてくれていたという事実。
――あたしを、守ろうとしてくれた、環さんの気持ちが解った。
涙が止めどなく、灯の頬を伝っていった。
嗚咽を、堪えようとしてもうまく堪えられなかった。
「――わたしはね、その様子を、見ていたの」
中枢卿の声が続いた。
感情の読めない、平坦な響きのまま。
機械の低い駆動音が、その声の背景に、絶えず流れ続けていた。
「その場にいた、調律省の役員が持っていた、専用の、通信用のカメラがあってね。カメラって言っても、見た目は、カメラじゃないんだけど。サングラスみたいな、眼鏡になっててね」
灯は、続けられる言葉をうまく処理でしないでいた。
十八年前の大嵐の日の真実――蓮の死、雫の死、そして、自身の誕生の瞬間。
そのすべてを、この中枢卿という存在は、遠く離れた場所から、まるで見世物でも眺めるかのように見ていた、というのか。
「――本当に、あなたのお母さんは、素敵だった」
中枢卿の声に、これまでにない熱がこもり始めた。
その熱の質は、灯が知る、どんな感情の熱とも、異なっていた。
「強い思い、感情、愛!感動した、本当に。忘れていた気持ちが、蘇るような、素敵な気持ち!あたしね、欲しいって、思ったの」
灯の背筋に、冷たいものが走った。
繭型の機械の中、灯は思わず、体を縮こまらせた。
「――死んだと思われて、放置されていた、あなたのお母さんは、本当はね、生きていたの。もちろん、死にかけてはいたけどね」
灯は、息を呑んだ。
心臓が、痛いほど、速く鼓動していた。
「わたしね、人を寄こして、助けたの。出血がひどくて大変だったわ」
中枢卿は、嬉々揚々と続けた。
まるで、ゴミ捨て場の中から宝物を見つけたような、そんな、口調だった。
「命は、ギリギリ、生きてたけど――感情は、死んでたの。
――嬉しくって、嬉しくって!」
灯にとって、これまでのどんな言葉よりも、恐ろしい響きだった。
歓喜の声、それ自体がこれほどまでに、悍ましく、響くとは、灯はこれまで知らなかった。
「この子に、なれるんだって、思ったら」
「――え」
灯は、思わず聞き返した。
頭の中が、真っ白になっていく。
「灯ちゃん、知ってる?感情がなくなるって、自我がなくなるんだよ。空っぽに、なるの」
中枢卿の声は、まるで、幼子に言い聞かせるような、優しさすら帯びていた。
それがいっそう灯の恐怖を掻き立てた。
「感情を、奪うシステムを、持っているっていうことは――逆も、できるって思わない?」
その言葉の意味を、灯は、瞬時に理解した。
理解したくは、なかった。
だが、目の前の、動かない母の顔。
その、静かな寝顔にも似た表情の、裏側にある真実に、灯は辿り着いてしまっていた。
空になった器に、別の、何かを、注ぎ込む。
その、恐ろしい所業の、器が、目の前に横たわっている母親なのだと。
「――あたしの名前は、中枢卿であり」
その声が告げる。
「黒曜冴。あなたのお母さんの体を、借りている。だから――今は、あなたのお母さんよ」
その一言が、灯の耳に届いた瞬間、灯の頭の中で、何かが音を立てて崩れ落ちていくような感覚があった。
目の前の、あの動かない体は、雫の遺体だった。
だが、そこに、宿っているのは――雫の魂では、なかった。
奪われた、器。乗っ取られた、命。
「――昔から、そうしてきたの」
中枢卿は、なおも続けた。
その声には、隠すつもりもない、ある種の誇らしさすら滲んでいるようだった。
「一つの体は、いつか朽ちてしまう。だから、わたしは、これまでも幾つもの器を、渡り歩いてきた。最初は大変だったのよ!なかなかうまく行かなくて」
「でもね、ほら、実験体はたくさんいたから」
その言葉に、灯は言葉を失った。
脳裏に、東部の、自分が収容されていた人々の顔が浮かぶ。
「気に入った器を、見つけるたびに乗り移って。そうやって、ずっと生き永らえてきたの」
目の前の母の体もまた、その数えきれないほどの、器の一つだという事実。
途方もない歳月を、この存在はそうやって、生き続けてきたのだ。
「でも、この身体も流石に限界」
灯の身体が震えた。
「親子の器って素敵だと思わない?」
震える体を抱きしめることしかできないまま、ただ、その、恐ろしい真実を受け止め続けていた。
管に繋がれたその身では、逃げることすらできなかった。




