第八十話「新たな目的地へ」
蒼一郎は、そこまで語ると、一度深く、息を吐いた。
囲炉裏の炎が、静かに揺らめいている。
薪が、時折小さく爆ぜる音だけが、静寂を埋めていた。
「…わしが死ぬべきだったんだ」
誰も、言葉を発することができなかった。
「配下の者が、わしを庇ってくれた。おかげで命だけは助かった。だが、大きな傷を負った。この足の古傷がそれだ」
蒼一郎はそう言って、自分の足を撫でた。
着物の裾から覗くその足には、長年の年月を経てもなお深く刻まれた古い傷跡が残っていた。
「その者たちは……皆、死んでしまった」
その声には、長年抱え続けてきた、深い、悔いが滲んでいた。
囲炉裏の炎に照らされた蒼一郎の横顔に、これまで、晴が見たことのない、深い翳りが、浮かんでいた。
「――轟音の中、何が起きているのか、わしには、まったくわからなかった。ただ必死に、耐えることしかできなかった」
蒼一郎は、続けた。
「嵐が収まった後、わしは足を引きずりながら、息子の元へと向かった」
その時の光景を思い出すように、蒼一郎の目が細められた。
瓦礫を掻き分けながら進んだ、あの朝の記憶。
焦げた匂い、砕けた木材の感触
――それらが、蒼一郎の脳裏に、鮮明に蘇っているようだった。
「――雫さんの傍らには、お産の跡があった。だが、子供の姿はどこにもなかった」
「その後、亡くなった者たちを、一人一人確認していった。屋敷に仕えていた者、両家から来ていた者――その中で、雇っていた、環という娘だけが、どこにも見当たらなかった。すぐに、わかった。あの子が、赤子を連れて、逃げたのだと」
晴も玲も、翔も六花も、それぞれ言葉を失ったまま、蒼一郎の話に聞き入っていた。
「――連れ戻そうと、思えば、出来たはずだ。だが、わしはそうしなかった」
蒼一郎の声には、静かな、覚悟が宿っていた。
「息子の、血を受け継ぐ孫だ。せめて、何も知らずに、どこかで健やかに育っていてほしい――わしは、ただそれだけを願った」
蒼一郎はそう言うと、静かに目を伏せた。
その瞼の裏に、十八年分の想いが凝縮されているかのようだった。
「知らぬふりを通した。それが、わしにできる、最後の贖罪だった」
しばらくの沈黙の後、晴は深く頭を下げた。
畳に、額がつくほどに。
「――話して、くださり、ありがとうございます」
蒼一郎は、静かに頷いた。
囲炉裏の炎が、皺の刻まれた顔を、優しく照らしていた。
長年、一人で抱え続けてきた重い秘密を、ようやく誰かに託すことができた
――そんな微かな安堵の色が、蒼一郎の表情に、浮かんでいるようにも見えた。
灯の出生のすべてを聞き終えた、その重みをそれぞれが噛み締めていた。
「――そういえば」
玲が、口を開いた。
「環さんのことだが」
その名に、晴は顔を上げた。
「――環さん、どうか、したんですか」
「環さん、しばらく体調を崩して寝込んでいたんだが、東部へ、出立する前――環さんが、家からいなくなっていた。理由も、行方も分かっていない」
その報告に、晴の表情がみるみるうちに強張った。
「――なぜ、それを、もっと早く」
「黒曜幹部から灯のことを聞いて、そっちにずっと意識がいって遅くなってしまった。すまん。灯の出生の話を聞いて、環さんの身に、何かが、起きている可能性を感じた」
晴は、拳を、強く握りしめた。
灯の、出生の真実。そしてその灯を取り上げ、育て上げてくれた、環の失踪。
二つの事実が、晴の中で、これまでにない、強い焦りへと変わっていった。
「――支局本部に、向かいましょう」
全員、静かに頷いた。
「環さんの家にも、直接行ってみる必要があります」
四人は氷雨家旧邸を後にした。
夕日が、四人の影を長く地面に伸ばしていた。
灯を取り戻すための旅は、今、新たな目的地へと向かおうとしていた。




